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20件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2005-06-16 第162回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第7号

アジア豪華船というのがないんですね。五万トンとか六万トンとかそういう豪華観光船、こういうようなものが、あのすばらしい三宅村、もちろん母港開発というのが必要でございますけれども、一つの、係留をしながらアジアそれから世界観光、今、小泉内閣では、千万人の、今は五百万人だったんですね、向こうに訪問する人と同じぐらいだ、これが去年はふえました。そして、一千万人に倍増計画をしようということでございます。

佐藤剛男

1990-04-20 第118回国会 衆議院 予算委員会 第12号

確かに、ふじ丸とかにっほん丸とか豪華船が今既に出航してやっているわけですが、そうした面での厨房の外人あるいはコックを使うとかいうのはよくわかりますけれども、しかし、全体的には日本の船員を確保するという視点に立ってこれらの問題の解決を図らなければいけないと思うのです。ただ安易に外国に頼ればいいというものじゃない。

新盛辰雄

1975-01-17 第75回国会 参議院 運輸委員会 第2号

これが従来の一万トンクラス、戦前は一万トンというと非常に大型豪華船であったわけですが、これらの船でしたらそう問題はないわけですけれども、こういう大型になりますと操縦性能というものが非常に落ちてまいります。そして一たんかじを切り出すと、それをもとに戻す力というのは非常に強くかかりますので、なかなかもとへ戻らない、すぐ五、六百メートル突っ走ってしまうというあれを持っております。  

多筥良三

1966-07-20 第52回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第2号

ただ非常に豪華船につくられておるようでございまして、最初の原子力船、いわば実験的性格も持っておりますために、安全面その他でも非常に慎重につくられておるというようなこともございまして、当初は別でございますが、その後はもっぱら貨物船として使われておりまして、お客さまは扱わない、そういう形であるようであります。

村田浩

1966-03-07 第51回国会 衆議院 運輸委員会 第15号

この点、日本のかつての旅客船という豪華船がなくなってしまいまして、いまはようやく移民船を改造したものがわずかに運航しておるという状態でありまするが、私は、この機会に運輸大臣は思い切って旅客船を建造すべきだと思います。いかにスピード時代で、飛行機のいいものができましても、事故は絶無だと言えないと私は思います。

關谷勝利

1963-02-26 第43回国会 参議院 外務委員会 第8号

そんなことでは、やはり今後旅客取り合いは、豪華船世界一周するなら別だけれども、普通の旅客取り合いは航空機で取り合う。で、それに対する真剣なる研さんと努力が私は足りてないじゃないか。そういう意味で申し上げたので、あまりこれ以上申し上げると、外務委員会の議論からはずれるかもしれませんけれども、そういう着想も加えて、そしてサービス全般を上げるようにやっていただきたいと希望しておきます。

曾禰益

1958-03-15 第28回国会 参議院 予算委員会 第12号

従って各国は非常に豪華船と申しますか、そういうものを作っておりまするが、わが国は遺憾ながら氷川丸一隻である。そこで二万二千トン級の客船計画して、十億円要求したのでございますが、遺憾がら今の財政の事情において許されなかったのであります。と同時に、今後この計画を変えていかなければならぬ。

中村三之丞

1956-10-23 第24回国会 衆議院 運輸委員会 第39号

大型二万五千トンの豪華船ということになると、百億近い船価を必要とするのですが、それだけの建造費をやって、太平洋観光客を吸収するというが、客船はどんなことをしてもそろばんに合いはしません。昔客船をどんどん奨励したのは、一朝有事のときに日本海軍仮装巡洋艦にしようという目的のために、いろいろな保護を加えて客船を作った。

小山亮

1955-07-20 第22回国会 衆議院 運輸委員会 第32号

そういうことになれば、日本で戦後作った、たとえば五次、六次以降に作った船なんかを見ますと、非常に豪華船で、部屋の間取りなどは帝国ホテルの一等の客室でも、このようなりっぱな部屋の装飾のものはないというものを作って、そうして芝浦あたりへ持ってきてレセプションをやって、お役人さんを招待する。それも自分の金で招待しない。政府資金を貸してくれるから、その金でお客に見せている。

小山亮

1955-07-19 第22回国会 衆議院 運輸委員会 第31号

それは電動機装置のすばらしい豪華船だというので、喜んで処女航海フィリピンへ持っていった。フィリピン砂糖を満載してアメリカへ持っていく途中ですが、いかりを巻こうとするとウィンドラスが飛んでしまった。根底からこわれてしまった。日本第一の造船所で作ったものです。仕方がないからそのままいかりを切って、船を日本内地へ持って帰って、ほかの船に積みかえて、そいを外国へ出した。

小山亮

1955-07-19 第22回国会 衆議院 運輸委員会 第31号

今までだって、採算に合わないような船でも、政府船価の八割を貸してやるというから、幾ら高くても八割出してやる、どんな安い船でも八割出してやる、どんな豪華船を作っても、どんなむだな船を作っても、八割出してやるということになれば、貸してくれさえすればどんなものでもやってしまう。あとのことは仕方がないと言って手をあげれば、それでおしまいなんですから。

小山亮

1955-07-19 第22回国会 衆議院 運輸委員会 第31号

戦後日本が作った船が必要以上に豪華船であって、第七次、第八次なんというのに至っては、ほとんど太平洋スピード競争をするつもりで、高速船高速船として作りました。その結果今ではその作った高速船にほんとうに困っておる。一例を申し上げますと、日産の日光丸のごときは一万二千馬力のタービンですが、しかもそれは一日に燃料を重油で六十五トンたくのです。

小山亮

1955-04-30 第22回国会 衆議院 本会議 第15号

優秀船だ、豪華船だなどと言っているが、その素質の低劣なことは驚くべきものがある。一流造船所ならいい船ができる、こうおっしゃる。日本一流中の一流造船所が作りました船、豪華船が、それが、進水直後、港を出てフィリピンに参りまして、砂糖を積んでアメリカに行こうとした。行こうとして、砂糖を一ぱい積み込んで、いざいかりを上げようとしたら、いかりを揚げる電気の揚錨機がこわれてしまって、いかりが揚らない。

小山亮

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