2001-11-28 第153回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第5号
室町時代は、足利尊氏が京都の室町幕府を開いてから、織田、豊臣時代、江戸時代に入るまで含めまして二百六十五年。徳川家康が一六〇三年に江戸幕府を開いて以来、明治時代までが二百六十年。後はずっとこの東京に、都、首都が政治と経済を中心に移ってきたわけなんですが、過去の歴史を見ますと、権力がかわるときに都がかわってきた。
室町時代は、足利尊氏が京都の室町幕府を開いてから、織田、豊臣時代、江戸時代に入るまで含めまして二百六十五年。徳川家康が一六〇三年に江戸幕府を開いて以来、明治時代までが二百六十年。後はずっとこの東京に、都、首都が政治と経済を中心に移ってきたわけなんですが、過去の歴史を見ますと、権力がかわるときに都がかわってきた。
言うなれば、昔の豊臣時代からなんと言ってもなかなかわかりませんから、どこからという発想の、時期というのはなかなか難しかろうと。相手が、十二月の八日からはどうか、こういうふうにおっしゃったので、そのように思いますということをお答えしたわけです。
例えば大昔の話でありますが、豊臣時代に山内一豊の妻が、いざ出陣というときに主人が乗っていく馬がない、これでは人にばかにされる、天下の武将として恥をかく、そういうときに、やおら鏡の中から小判をざくざくと出して、あなた心配しなさんなと言って都合してやったあの美談、ああいうのはどう思われますか。
豊臣時代の刀狩りを例に挙げるまでもなく、明治以降のわが国の近代政治史においては特にこれは顕著であります。こうした過去の歴史を教訓に出発した戦後の平和憲法のもとでも、今日幾つかの法律においてこうした教訓が無視されていることを指摘せざるを得ません。本日議題となっている銃砲刀剣類所持等取締法も、一たびその運用を誤れば、これまでの歴史の轍を踏まないとは断言できないのであります。
それから昔からございます、ただいま御指摘の豊臣時代からの鉱山でございまして、鉱区内の坑口に大切坑というのが一つございますが、ここの水をとって調べておるわけであります。堆積場につきましては客土工事をやらしておるという鉱山監督部からの報告でございますが、なお御指摘のような状況につきましては、担当の蓼沼鉱山課長が具体的に承知しておりますので、かわって答弁させていただきたいと思います。
ちょうど豊臣時代に、「村々にこじきの種も尽きずまじしぼり取られる公状の米」という句がありますが、現在の国民の心情とよく似通っておるのではないでしょうか。今年度の政府予算を見ても、これらに対し何一つ改善される気配はございません。加えて、社会保障の水準は低く、教育費の完全国庫負担もはなはだしく不備であり、国民のための公共社会福祉は、欧米資本主義国に比べてはるかに立ちおくれているのであります。
この二つの島は北海道の一部であってこれを失うことは、昔の豊臣時代の大阪城の外堀を埋められた、いな内堀を埋められたのと同様だと私は感じております。ソ連が永久にここによって北海道を脅かす以上、永久にピストルを擬せられたと同様であることは、現地に行かなくても地図を見たらすぐわかることで、そう感ずる次等であります。この二つの島はわが国民として時に北海道としては離し得ない土地であります。
豊臣時代から売笑制度というものはあるのだそうですけれども、五百何十年の歴史を一ぺんにわれわれが今日くつがえすことは、それはできないということはわかり切つている。