1978-10-14 第85回国会 衆議院 外務委員会 第2号
日本のばかやろう、日独防共協定のときには、ソ連を攻めてくれと言ったときには第三次近衞内閣で、北進論の松岡だけを総辞職して首切って、アメリカとの戦争ばかり考えていた豊田貞次郎を外務大臣に据えて間違いを起こしている。 この間、私はソビエトへ招待されて行ってまいりましたが、ブラーツクというところで日本の捕虜がドイツの兵隊から攻撃を受けたという……(発言する者あり)耳が痛いですか。
日本のばかやろう、日独防共協定のときには、ソ連を攻めてくれと言ったときには第三次近衞内閣で、北進論の松岡だけを総辞職して首切って、アメリカとの戦争ばかり考えていた豊田貞次郎を外務大臣に据えて間違いを起こしている。 この間、私はソビエトへ招待されて行ってまいりましたが、ブラーツクというところで日本の捕虜がドイツの兵隊から攻撃を受けたという……(発言する者あり)耳が痛いですか。
○椎名証人 鈴木内閣成立後に豊田貞次郎氏が軍需大臣になりましたときに商工次官になつたのですが、あれはいつでしたか、ちよつとはつきり覚えておりません。