1998-06-09 第142回国会 参議院 本会議 第33号
小柄にして精悍あふれる豆タンクのような君が、昨年夏ごろから急に細身になられたことを私たちは少々心配をいたしておりましたが、君は健康を考えてダイエットに努めているなどと、今にして思えば、病魔に侵されつつも、周囲を心配させない心配りをされておられたのでありましょう。
小柄にして精悍あふれる豆タンクのような君が、昨年夏ごろから急に細身になられたことを私たちは少々心配をいたしておりましたが、君は健康を考えてダイエットに努めているなどと、今にして思えば、病魔に侵されつつも、周囲を心配させない心配りをされておられたのでありましょう。
後に豆タンクと愛称される政治家小渡三郎のバイタリティーと行動力は、このころから培われたものだったと言えましょう。 しかし、戦雲は急を告げ、沖縄は昭和十九年末から非常事態下に置かれ、二十年四月以降は国内唯一の陸戦場と化し、言語に絶する未曾有の戦禍をこうむり、日本は同年八月ついに敗戦を迎え、日本の苦難な戦後史がスタートしたのであります。
先生は、剣道五段、空手二段、囲碁四段で、青年時代からバイタリティーあふれる行動力の持ち主であり、疲れを知らぬ「豆タンク」の愛称で先輩から信頼されたと言われます。局長時代も偉ぶらず、どちらかというと服装にも気をかけることなく、郷土にあっては、仕事の自慢話もせず、後援会の会員と肩を組みながら世間話に花を吹かせ、後輩には面倒見のよいおやじさんという庶民派の政治家でありました。
みずから称して豆タンクと言っておった。新聞記事で見ますと、県会で決議したことを自治庁にのませるために、この知事を青森県の選手として送ったと書いている。その選手があなたの前に出て、どうも自治庁にはかなわぬといって頭を下げた。その給与ベース改訂の一線に乗り出したときに、私は折衝の上に金を見せびらかして非常に圧力が加わったと思いますが、そういうことはございませんか。知事はあったと言っている。