1982-04-22 第96回国会 衆議院 科学技術委員会 第5号
○下邨政府委員 この報告書がまとまりましてから、地元の谷田部町長、谷田部町議会に対しまして建設の促進方につきまして協力要請を行い、その後各地で本当の技術的な検討会を催されましたが、理研からも私どもからも、また反対の立場の方からもいろいろと御議論がなされたというふうに伺っております。そういうことで、いろいろな御説明を申し上げまして、御理解を得てきていると考えているわけでございます。
○下邨政府委員 この報告書がまとまりましてから、地元の谷田部町長、谷田部町議会に対しまして建設の促進方につきまして協力要請を行い、その後各地で本当の技術的な検討会を催されましたが、理研からも私どもからも、また反対の立場の方からもいろいろと御議論がなされたというふうに伺っております。そういうことで、いろいろな御説明を申し上げまして、御理解を得てきていると考えているわけでございます。
その間、中村参議院議員あるいは大穂町長をつとめた吉村、成島、さらに豊里町長の久保田、谷田部町長の飯泉、宮本、桜村長の横田、細田、さらに筑波町長の宮本ら八名の町村長と二名の議会議員、県の担当課長、それぞれ相次いで病に倒れ、この世を去るという深刻な事態の中でこれを行なってきたのであります。 農民から父祖伝来の土地を提供してもらうことの苦悩をあらためて御認識いただきたいと思います。