2011-11-24 第179回国会 衆議院 議院運営委員会 第11号
○鬼塚事務総長 まず最初に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員谷洋一先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、各種委員の選挙を行います。この選挙は、動議により、その手続を省略して、議長において指名されることになります。 次に、日程第一及び第二につき、海江田財務金融委員長の報告がございます。
○鬼塚事務総長 まず最初に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員谷洋一先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、各種委員の選挙を行います。この選挙は、動議により、その手続を省略して、議長において指名されることになります。 次に、日程第一及び第二につき、海江田財務金融委員長の報告がございます。
十六年前の一月十七日から私実は三週間ほどして、自社さ政権でしたんで、自民党の村岡兼造先生、谷洋一先生、そして当時の社会党の私、松本龍三人が復旧復興プロジェクトの座長になりまして、もう半年間一生懸命努力をしました。しかし、半年間実は誰からも余り褒められませんでした。そのくらい災害というのは厳しいものだというふうに思っております。
そのときに、大企業をどうしようかということが実はありまして、村岡兼造先生、谷洋一先生、そして私と、いろいろ知恵を絞って、神戸製鋼とかそごうとか、かなり傷んでおりましたので、本当は大企業は瓦れきの撤去もできない状況がありました。
十六年前の阪神・淡路のときの瓦れきのスキームは、実は、村岡兼造先生、谷洋一先生、そして私と、三人が中心になってスキームをつくりました、当時は厚生労働省でありましたけれども。
村岡兼造先生、谷洋一先生、そして私と三人で交代で、復旧復興プロジェクトの座長をしました。 一カ月たったときに、避難所の見回りでありますとか、瓦れきの処理でありますとか、そういったことはもう私のチームではほとんどなくて、復旧復興に向けて、それは小里大臣のもとにやったわけでありますけれども、六千四百三十四人亡くなられた阪神・淡路、そして三名、行方不明の方がおられました。
前に私も、十五年前の阪神・淡路のときに、御党の村岡兼造先生、谷洋一先生、そして私、三人で、実は災害復興プロジェクトの座長をやったんですけれども、そのときの思いもしっかり腹に入れていきながら、防災というもの、そして復興というものに全力をこれから挙げていきたいというふうに思っております。
相沢英之先生でありますとか谷洋一先生、また堀之内久男先生、先ほどの遠藤先生もそうです。不肖もそのメンバーの一員であります。
○衆議院議員(平林鴻三君) 私が承知しておりますのは、現在のところは兵庫県の多紀郡四町、私の隣に谷洋一先生がいらっしゃいますが、谷洋一先生の地元でございますが、この四町合併が差し当たり該当するということでございまして、ほかには具体的なことは承知いたしておりませんが、私は実は次々と出てくることを大いに期待いたしております。
○松下委員 私も、兵庫県選出の谷洋一先生と現地をつぶさに歩いてまいりました。やはり土砂災害危険箇所が相当数に上っておりますので、その対策を緊急に実施してほしいということを提言しております。 それからもう一つは、監視点検システムを配置すべしということでございます。