2002-06-04 第154回国会 参議院 厚生労働委員会 第13号
○参考人(中島晃君) 薬害ヤコブの問題は、一九九六年の十一月に滋賀県甲西町の谷たか子さん御夫妻が大津地裁に訴訟を起こしまして、五年三か月余りの審理を経て、先日、三月二十五日に確認書が調印をされました。
○参考人(中島晃君) 薬害ヤコブの問題は、一九九六年の十一月に滋賀県甲西町の谷たか子さん御夫妻が大津地裁に訴訟を起こしまして、五年三か月余りの審理を経て、先日、三月二十五日に確認書が調印をされました。
私も一年ほど前に滋賀の谷たか子さんのお見舞いに行きまして、御家族の本当に必死の看病の姿も見てまいりましたが、残念ながら亡くなられました。大津訴訟の次回の和解の期日はあさっての二十二日ということでありますが、国として、所見を受け入れて加害者としての責任を認め謝罪をすること、そして被害者の全員の早期全面救済と再発の防止を図る、そのためにも原告団の皆さんと会って、その御苦労を聞いていただきたい。
○小池晃君 総理、この裁判で一番初めに裁判を提起された滋賀県の谷たか子さん、ことし一月に亡くなった。この方が、硬膜を使った手術を受けたのは八九年の一月なんです。総理が厚生大臣のときなんです。汚染された乾燥硬膜が使われ続けたその責任は私、重大だと思うんです。 ぜひ総理、これ原告の皆さんにお会いになって、いかに苦しんでこられたか、私、直接お話聞いていただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。
そういう点でいえば、この谷たか子さんの例について、医学的、学問的に正確にCJDかどうかということを言っているんじゃないんですよ、これは。これはやはり厚生労働省としてクロイツフェルト・ヤコブ病として扱ってきたことは間違いないじゃないですか。ここのところまで否定されるんですか。そこは間違いないでしょう。
この問題、命あるうちに解決をという願いもかなわずに、ことしになって被害者である谷たか子さん、林琢己さんが長期の闘病の末に亡くなられた。大変悔しく無念であります。このような悲しみを二度と繰り返さないためにも、国は責任を認めて、一刻も早い全面解決が被害者、家族の切なる願いでありますけれども、これにこたえることが今厚生労働省には求められていると。
谷たか子さんの症例につきましては、剖検の結果がないことから臨床症状から判断せざるを得ないというところでございまして、訴訟上得られました資料を踏まえれば、谷たか子さんの症例は診断基準の診断ほぼ確実例に該当するものと考えております。
日本で最初の薬害クロイツフェルト・ヤコブ病訴訟の原告となられた谷たか子さんが、一月の二十三日に亡くなられました。その三日前には、林琢己さん、三十代の若さでこのヤコブ病で亡くなりました。この病気は、発症すると自分で動くことも話すこともできなくなり、一、二年で亡くなると言われている恐ろしい病気ですが、たか子さんは、家族や支援者の方を逆に励ます存在となり、五年近く病と闘ってこられました。
私は、ことしの八月には谷たか子さんのお見舞いにも行ってまいりました。このクロイツフェルト・ヤコブ病の患者の方は、発症したときは自分がなぜこういう体になったかわからない。そして、本当に数カ月で植物状態になってしまう。薬害でもいろいろな形がありますが、この場に来て自分でその苦しさを訴えるということができないのです。
○宮下国務大臣 まず冒頭に、中川委員から毎日放送の編集によります谷たか子さんのビデオは拝見をさせていただきました。私も大変痛ましい、本当に同情すべき谷さんの状況と御主人の状況に痛ましく思いました。
現在、滋賀県在住の薬害訴訟の原告である谷たか子さんは、一九八九年一月に、汚染されたヒト乾燥硬膜の移植手術を受けまして、そしてクロイツフェルト・ヤコブ病に感染しました。谷さんが移植手術を受けたのは一九八九年です。