1954-02-04 第19回国会 参議院 地方行政委員会 第2号
死傷者に対する措置といたしましては、消防庁に連絡いたしまして収容病院を調査した上で、直ちに警備課長、警衛課長その他丸の内署員を派遣いたしまして弔問、慰問をいたしました。翌旦更に各収容先の病院を訪れまして、死亡者に対してはお花と弔慰金を呈上しましたし、又負傷者に対しては、見舞いといたしましてそれぞれのものをお贈りしまして遺憾の意を表したのであります。
死傷者に対する措置といたしましては、消防庁に連絡いたしまして収容病院を調査した上で、直ちに警備課長、警衛課長その他丸の内署員を派遣いたしまして弔問、慰問をいたしました。翌旦更に各収容先の病院を訪れまして、死亡者に対してはお花と弔慰金を呈上しましたし、又負傷者に対しては、見舞いといたしましてそれぞれのものをお贈りしまして遺憾の意を表したのであります。
死傷者に対する措置といたしましては、消防庁に連絡して収容病院を調査の上、ただちに警備課長、警衛課長その他丸の内署員を派遣して弔問、慰問を行い、翌日さらに各収容所の病院を訪ね、死亡者に対しては供花と弔慰金を呈し、負傷者に対しましては見舞と果実等をお贈りいたしまして、つつしんで遺憾の意を表明するとともに、厚く弔慰並びにお見舞を申し上げた次第でございます。
それから昭和二十年の十二月六日でありますか、渋谷警察署長、それから昭和二十二年ですか、三月六日ですか、警衛課長であります。それから昭和二十三年の三月六日防衛課長であります。それから昭和二十三年の五月二十五日でありますか、これは予備隊長であります。現在に至つております。
○羽仁五郎君 警衛課長がその時のあなたの家賃の交渉に大家さんの所に行かれるということは、余り不思議じやないでしようか。
○証人(岡崎英城君) 警衛課長をしておりました。