1980-04-24 第91回国会 参議院 運輸委員会 第4号
それで、私ども今度の事件を契機にいたしまして、ひとつ海上保安官のそういったようなことに対する知識なり技能なり、こういうものを、タンククリーニングにつきましてあるいはタンククリーニング作業というものの実態につきまして、海上保安官が知悉してやっていくということのために、この前は四月の月曜日でございますが、私ども地方の管区の警救部長を呼び集めまして、今回の事件についての反省、今後のやり方、こういったようなものを
それで、私ども今度の事件を契機にいたしまして、ひとつ海上保安官のそういったようなことに対する知識なり技能なり、こういうものを、タンククリーニングにつきましてあるいはタンククリーニング作業というものの実態につきまして、海上保安官が知悉してやっていくということのために、この前は四月の月曜日でございますが、私ども地方の管区の警救部長を呼び集めまして、今回の事件についての反省、今後のやり方、こういったようなものを
○国務大臣(田村元君) 警救部長会議もやるそうでございますが、大いにきちっとやるようにいたします。
でございますから、やることも決まっていないものをやめろと言われても、これどうにもお答えのしようがないわけでありますが、先ほど来長官が申しました考え方には私も同調できるといいますか、わかるような気もしますので、今後この問題、少し警救部長の答弁が、全部の言葉をつなげばいい答弁になるんですが、どうも表現的にちぐはぐの答弁をしておったような感じもいたしますので、十分実情を聞いてみたいと思っております。
○隅政府委員 東京湾の安全対策につきましては、ただいま沖本先生のおっしゃるとおりでございまして、きょういみじくも「第拾雄洋丸、パシフィック・アリス号衝突事故報告書」をお配りいたしましたが、警救部長からも報告がございましたように、昨日、「栄光丸」の座礁事件がございました。いま考えてみますと、確かに僥幸と申しますか、非常に運のいい状況で、被害を最小限に食いとめたということは言えると思います。
第一、いまの警救部長の言う四、五百メートルのところに浅瀬があるかないか、そういうことも、この航路設定の、航路がとってある、この航路の中側にあるのでしょう、いまの話は。だって、この接岸の桟橋でしょう。
いま警救部長の言うことを聞くと、四、五百メートルのところで浅瀬に乗り上げたというと、三万トン前後ぐらいの船で、そんなに操船というものはむずかしいのかと、そういうようなことならば、前もって運輸省自体としては、その港湾のつくり方というものがわかっていなければならぬじゃないかと。
そういうのではございませんので、さっそく話はいたしましたが、現在道南地区における問題がなかったといいますか、つい最近、先ほど申しましたように、一月の八戸の沈没した漁船の死体捜索にからみまして、多少違反の事実がございましたが、それ以外に継続的にそういったことがなかったこと、また噴火湾、内浦湾におきます無許可の操業は、従来割合発生いたしておりましたが、大規模な違反はない、比較的平穏であるというようなことから、一管の警救部長
私どもといたしましては、部外者の同乗につきましては厳格な取り扱いを行なっておりまして、昭和三十二年にその取り扱いの要領をきめまして、一件々々警救部長が承認いたしまして乗せるようにいたしております。
私が行つたときに初めて朝藤警救部長が同船をした。それまではまつたく三十二、三の船長が国家を代表して相手の前に立ちはだかつて交渉しておる。外交折衝はあなた方がやる必要はありませんが、船長は現に外交交渉をやつておる。そして命をかけて働いておる人々のその苦労を一体中央部や出先の六部の幹部が見てやつたらということを私は言つているわけです。事務は電話一本でできるわけです。
この人をやつて間もなく今度のような事件が起つたのでありまして、常に松野君はこちらにおります三年間ばかわの間、本部の警救部長としてこの仕事を日常やり、企画、立案をした人であります。常に外務省とか水産庁と相談をしておつた人であります。これ以上の人はないわけであります。この人が行つておりますので、これまでの本部の意向なり、関係官庁の方針というものは十二分に把握をしておる人がいたわけであります。
○山口(傳)政府委員 これまでの委員会でもたびたびその点に関する御質問がありまして、その都度ある程度お答えして参つたのですが、ただいままた御質問がございましたので概略申し上げて、なお私の御説明で足らないところは警救部長も参つておりますので補足させたいと思います。現在海上保安庁の警救部がこの問題に当つておるのですが、警救業務に当つておる船艇の勢力は、巡視艇と名のつくものが現在九十三隻でございます。