2003-04-23 第156回国会 衆議院 法務委員会 第9号
それから、お尋ねの警備隊長でございますが、これは、同刑務所におきまして施設全般の警備や規律違反行為の取り調べなどを行う統括矯正処遇官、第二担当の統括矯正処遇官でございますので、このお示しの表の真ん中あたりの上から二つ目の、「(警備)」というふうに括弧で書いてございますが、そこの担当の者でございます。
それから、お尋ねの警備隊長でございますが、これは、同刑務所におきまして施設全般の警備や規律違反行為の取り調べなどを行う統括矯正処遇官、第二担当の統括矯正処遇官でございますので、このお示しの表の真ん中あたりの上から二つ目の、「(警備)」というふうに括弧で書いてございますが、そこの担当の者でございます。
看守長二人、副看守長三人、看守部長三人、主任看守一人だということでありますが、その一番偉い看守長の二人のうち、一人は舎房区の代理統括だった、もう一人の看守長は警備隊長だったと明確に我々に報告をしてくださいました。 そこで、お聞きをいたします。皆さんの中間報告の中に、資料1—1として組織図が書かれております。
そういうような状況で、不法侵入、投石をやめるように警備隊長は再三にわたって警告をいたしたわけでございますが、この警告を無視して、なおも投石が続けられたということで、やむなく、そういう不法な行為を阻止するために、消防自動車の水圧を低く調整いたしまして、基地内で十秒間二回、放水を連続してやったわけでございまして、そういう状況の中でございますので、これはまことにやむを得なかった措置であると考えておるわけでございます
金嬉老が言うには、警備隊長だけがその事情を聞いただけで、そのほか何もやってないということになっているわけなんです。これは一体どういうことなのか。四月二十二日に調べたときには、ちゃんとその三十三センチのほうちょうというのが出てきているわけです。
そういうことで、これはいよいよ事態が風雲急を告げそうなんで、やむを得ず河野密先生やわれわれが警察の警備隊長に直接交渉に行ったのです。
不可解なのは、釘原次席は代表者三、四名は入れて下さいと言っているにもかかわらず、第一線の警備隊長はどうしても入れないというような形で実は会見がおくれました。しかもようやく中に入りましたところが、私らが通されましたのは少年補導室であります。国会議員二名、県会議員三名、それから地方代表三名と八名の代表を入れるのに、こともあろうに少年補導室に入れるのは一体何という非礼なことをするのか。
○杉山参考人 実は一括して待遇ということでお話ししたのですが、先ほど申しましたように、病人とか食糧、それから、われわれに対する手紙、小包、一切の方面を改善してもらいたい、それは、警備隊長に言っても収容所の所長に言っても全然上部には行かないから、この際本属の局長とお話ししようというところからデモをやったわけです。
○板垣政府委員 その点につきまして、二人の兵士の生命の安全問題につきましては、従来特に問題はなかったのでありますが、最近の新聞の報道によりまして、何か現地の警備隊長が場合によっては射殺命令を出すというような報道がありましたので、この点につきましては至急に東京におりますフィリピン大使館を通じ、また湯川大使を通じて確かめましたところ、それは誤報のようでございます。
そこで今警備隊長の判断を聞いてみたのであります。今の警備隊長のお話では、自分たちの考え方としては、外に出そりと考えたのだが、それがそういう事態になってきて、だんだん問題が大きくなってきたというようなことに判断せざるを得ないようなことですが、この問題の処置でそういう判断があったか。
それは柿副という人、これは大同の炭鉱の警備隊長をやつておりました。この人が太原回りで日本に帰る予定であつたところが、太原に降りた。そうして武装部隊に入つたのです。この人が戦犯になつて銃殺されたわけです。このときに田中というて今日私たちと一緒に引き揚げて来ました田中清次という人がおります。
そこであの静岡の国警隊長の言うたことなんかは総合してみますと、自分は与かり知らなかつたが、警備隊長が巡査の集りに、教研大会に行つたような人については知つていることのほうが便利だという意味の発言をしたという事実を認め、それからその調査については妥当性を欠いて誤解を受けたということを認め、併しそれは悪意の思想調査ではありませんと、こう言つているわけなんです。
又佐世保ではこれはストライキに入る前に八月の十一日に海軍の警備隊長が全員に対してストライキに入ることを威嚇するような不当な訓示を行なつております。これらについても撤回の要求をいたしておりますが、未解決であります。
ことに外口警備隊長は全身数同所に切傷を受けまして日赤病院に入つておりますが、お医者の診断によりますと、治療四十日を要するというようなことになつております。大分騒ぎが大きかつたように思います。刑務所図はほかからの応援方、その他関係官川にすぐ連絡いたしますとともに、極力参加受刑者を説得しまして、午後一時三十分ごろにはようやくおのおのの舎房内に全員引揚げさせたわけであります。
そんな関係で、いろいろそんなようなことで、又二・二六事件のときに私は特別警備隊長で、それでいろいろ折衝いたしまして、その後二・二六事件のときに増田さんが御活躍になりまして、特に御指導を受けました。そんなようなことで非常に御指導を受けました。それ以来病床におりましたから時々お見舞に行つておりました。まあいろいろ御意見、御指導を受けておつたというだけの関係でございます。
○証人(岡崎英城君) 昭和三年に東大の経済学部を出まして、それから和歌山県の属になりまして、昭和五年に警視庁の警部になりまして、それから交通係長、寺島の署長、特別警備隊長、監密官、捜査二課長になりまして、それから愛知県の特高課長、それから警視庁の特高二課長、山形県の警察部長、警保局の外事課長、警視庁の特高部長、警視庁の保安部長、昭和二十年の十月十日依願免官となりました。
個人が金を受けておるだけに、而もその出した方の人が面白からん人であるということは、そう国民の前で俺は警備隊長としてやつたので、決して恥じることはないということを言われると却つて警察官の品位を害するのではないか。例えば今羽仁委員の言われた通り遺憾だということで反省して初めて今後の警察官の権威が保たれるのではないかと思うが……。
○西村(直)委員 次に、亀沢証人が参議院において――先ほども触れました徳田要請に関連する問題でありますが、証人は二回徳田要請の問題については見られておるのでありますが、たとえば万国赤十字云々というはがきの問題が一つ、それからいま一つは、ソ連の警備隊長の問題、その文面の記憶等を御証言願いたい。
ただキイシイローフ・キヤピタンがどうして残つたかというと、ナホトカに送るための警備隊長としてその帰還手続きを取るために残つたのであります。そうして主として警備隊長の部下が行つております。ですからその場合に、キイシイローフ・キヤピタンの「言う必要はない」と言うたのは当然であります。併しその時は余り不思議には思いませんでしたけれでも、二三日経つて考えると、それは他人の事であると思いました。
警備隊長の名前で来ておるから、これは私達に示すものではないと思いました。尚政治部員というのが各收容所におりますが、私達の場合においては、そのキシローフ・カピタンが政治部員の代りをやつております。
矢吹公安委員は代表の要求を開き一委員では回答できない、公安委員長に相談して來ると話し、三十分の約束で退署したが、玄関先で群衆中の警備隊長に「何処へ行く、隊員二人を附ける、自動車に赤旗を附けろ」等と尋問要求されたので時間を要し、参加者の石城郡湯本町深澤修は十五分くらい遅れると玄関口から署長室に連絡あつたので、七時二十分頃帰れる予定のところ七時四十分頃署長室に戻り、代表に「今公安委員長が來るからちよつと
○證人(原田春雄君) 数回取次ぎましたのは、モヂツクという中尉が一回と、それから警備隊長をしておりましたサンドラという少尉、これに三回ばかり走らされております。それから後程收容所長になりましたバズルスルン、これには二回走らされております。
○証人(池田重善君) 警備隊長でありませんが、これは警備の下士官に百二十円借して呉れと言われ、借してやりました。私が長になつた昭和二十二年の七月頃と思います。