1973-04-20 第71回国会 参議院 商工委員会石炭対策に関する小委員会 第2号
特に、この中で環境保護諭者——いわゆる資源の今回の白書を、エネルギー教書を出すことになった責任の一端は、そのいわゆる環境保護論者にある、というような書き方を一部しているわけですね。しかも、これは結局われわれが考えますと、完全な責任回避じゃないか、こういうような考え方があるわけです。また一般のマスコミの中にも、そういうふうな批判をしている人がおります。
特に、この中で環境保護諭者——いわゆる資源の今回の白書を、エネルギー教書を出すことになった責任の一端は、そのいわゆる環境保護論者にある、というような書き方を一部しているわけですね。しかも、これは結局われわれが考えますと、完全な責任回避じゃないか、こういうような考え方があるわけです。また一般のマスコミの中にも、そういうふうな批判をしている人がおります。
○国務大臣(水田三喜男君) これにはいままで通説がございませんで、学者のうちには、極端な意見は、別に準備高をそう多くとる必要要らないという諭者からありますので、どれくらいを持たなければならぬという基準というものはいままでございませんが、一般によくいわれておるのは、輸入の四カ月分程度持ったらいいんじゃないかというようなことはわりあいに多くいわれておりますが、そうしますというと、私どももしばしばここで答弁
内容が偏向かいなか、われわれはある事実をとらえて、これを偏向といい、諭者はまた偏向にあらずと主張する人々もあります。そのいずれが正しいかは、これまた世論が決するところでありますが、少くともこういう観点に立って眼前の教科書問題を真剣に検討いたしてみたいと思います。
工場に働く一労働者を例にとれば、なるほど賃金から差引かれる源泉所得税は少くなつたでありましようけれども、一日の労をいやすために屋台店で楽しむ一杯のカストリに、より多くの税がかけれていることは、禁酒諭者の北村藏相といえども御承知のことと思うのであります。 一体、近代文明國家の税制において、所得税中心の直接税体系がその大宗をなし、根幹であるのが通例であります。