2017-04-28 第193回国会 衆議院 法務委員会 第14号
○緒方委員 いやいや、私は論理学の説明をしているわけであって、テロリズムという言葉を説明するときに、全部いろいろなものを代入していくと、その定義の中にテロリズムという言葉が入ってくるんです。これだと、どんどんどんどん議論がループしていって、何がテロリズムなのかということについてわからないじゃないですか。これはまさに自家撞着なんですよ。これが政府の答弁なんです。
○緒方委員 いやいや、私は論理学の説明をしているわけであって、テロリズムという言葉を説明するときに、全部いろいろなものを代入していくと、その定義の中にテロリズムという言葉が入ってくるんです。これだと、どんどんどんどん議論がループしていって、何がテロリズムなのかということについてわからないじゃないですか。これはまさに自家撞着なんですよ。これが政府の答弁なんです。
論理がこうあって、その最後のところに論を結ぶものとして結論があるわけですけれども、そういう論を結ぶ結論というのは、そもそも論理そのものを、これは論理学の世界ですけれども、論理を構成しないというふうに思いますか。
しかし、想定すれば想定外が生まれるという論理学的なパラドックスとの闘いでもございますけれども、大事なことは、今まさに先生がおっしゃいましたような、最新の科学的知見に裏打ちされた新たな被害想定を基にして首都直下地震緊急対策区域の指定をしなければならないというふうに考えております。 したがいまして、今政府で検討中でございます、この検討をできるだけ速やかにまとめていただくということが大事かと存じます。
正しいのは、高知県に新たに何かの制度を導入したときに、それがどういう効果があるかということを検証するというのが正しい政策科学に基づく方法でありますから、そうしたようなことで、これを引用しているというのであれば大変に問題でありますし、それから、通説というのは一つの反論、反証でもって覆るというのがこれは論理学の大常識でありますから、そのことも併せて申し上げておきたいと思います。
○前川清成君 時間がない中、自慢するわけじゃありませんが、私は去年、自民党の丸山先生と一緒にテレビ朝日の「Qさま」というクイズ番組に出まして、ファインプレーを三回ぐらい取って、司会の優香ちゃんにすてきと、こう言われて喜んでいるんですが、私もこの形式論理学という学問あることも知りませんでしたし、矛盾対当と言われても何のことか全く分かりません。
私事ですが、青木さんとは私も一九八四年に「感覚の論理学」という対談集を出させていただいたことがございます。観光庁ということで、ビジット・ジャパンでより良い日本に多くの方が来ていただく、あるいは日本の中の方がそこでくつろいで英気を養っていただく。
それから、大臣が言われた科学という言葉、これを、科学とは何ぞやといっていけば、これはもうまさに文系の世界というか論理学の世界に入っていく。ないことを証明しろということが非常に難しいということはちまたでよく言われていることでありますけれども、例えばこういう話になってくると、もう完全に文学の世界に入りますよね、科学といいながら。
そこのレジュメに、ちょっと何かきざったらしい、ヘーゲルの論理学なんということを書いたんですけれども、要するにこれは、私は別に論理学を非常にそんな勉強したわけではないんで、うろ覚えの話を前提にこういうところでするのは大変けしからぬのですけれども、うろ覚えの話を前提にすれば、ヘーゲルはたしか偶然は必然であり、必然は偶然であると言ったんですね。
無意味な答弁とは、論理学の用語で申し上げれば、トートロジーということであります。AであればBであるという命題に対して、AであればなぜBになるのかという質問をすると、なぜならBはAだからだという難解な主張をすることを指します。辞書によれば、トートロジーとは、特に繰り返したからといって何の意味も明瞭さも付け加えないような同じ言葉の繰り返し、難解な同語反復と定義されています。
ないことを証明することが難しいというのは論理学の常識であります。 そういった意味で、大義名分が、何度総理がこの場で同じことを言われても、少なくとも戦争が始まった時点におけるそのことと根本から違う論理を組み立てられているということをこの場で申し上げておきます。 それからもう一つ、総理から、私が憲法に反しているということを言ったことに対して説明しろということですので、これは簡単です。
これは別に社会的な、哲学の訓練とか論理学の訓練をしているわけじゃないですから。 だから、この法案が存在して、そして今、肉骨粉がEUからどんどん入ってきている、こういう状態を想定すればいかなることができたのであろうか、狂牛病発生が防止できたのであろうか、こういうことをお聞きしているわけです。
論理学といいますか、原則論で申しますと、おじいさんとかお父さんの求償権が残っていると、それが一定の期間が経過したままなお残っているというような状況の場合がもしあるとすれば、先生御指摘のとおり、その場合には中小企業者が信用保証を利用できないというような格好になってしまうという問題があったことは事実でございます。
○国務大臣(村井仁君) いや、それは、論理学の論理の問題として、私は大量観察としてこういう印象を持っておるということを申し上げた。それに対しまして委員は、特定の、あえて言えば集団についての認識をお尋ねになられて、これがこうだという論理を展開された。それとこれとは別に相矛盾するものではないと私は思うわけでございます。
それですから、今度は逆に一神教の論理から見ますと、あいつらは何かえたいが知れない、いつ立場を変えるかわからない、そういった連中だということで、そちらの論理から見ると私どもは評価できない、されないんですが、しかしこれは、実はAとBが連続であるという立場だと論理学はうまくつくれないわけです。
恐らく、多くの知識というものはそういったこと、これは決して技術だけではありませんで、例えば、いろいろな論争というのを上手にやるという中から論理学が生まれ、その論理学というのは現在のコンピューターの知識のもとになっているわけですから、やはりそういった、人間が必死になって考える、生き延びるために考えるということがもとになって人間の知識が生まれ、それが学問体系となっている、こういう歴史を持っております。
いわば論理学で言えば帰納的方法によって地方分権問題に取り組んでおられるという感じがいたすわけであります。私は、この地方分権問題を進めるに当たってはむしろ演繹的方法によって進めるべきではないか、こういう意見を持っておるわけであります。 地方分権推進法におきましても、国の事務というものを列挙をされておりまして、その他地方公共団体の事務と。
これの背景といたしましては、ただいま危機管理の話がございましたが、危機管理以外の部分でも自然科学と人文科学が調和をして発展をしていくという、例えば一つの例といたしまして、論理学がコンピューターの科学の基礎となったり、また、人工知能の研究に言語学ですとか心理学ですとかが支えになっている。
○小森委員 総理の一つの願いといいますか、かくあるべきであるという、論理学で言うとゾルレンですね。ゾルレンの世界におけみ立論とすれば、私もお聞きして傾聴に値すると思うのですね。しかしながら、現実に動いておる姿を見ると、次第に二大政党ではないか。実は同じ党に属しながら、私が小選挙区比例代表並立制に反対した理由はそこにあるのですね。
そういうことも前提条件として、論理学でいえば演繹法的論理学の大前提みたいなものですな、これは。政治に金がかかるといったら、うん、金がかかる。私は、不思議でいかぬのです。政治に金がかかる、何にかかるんじゃろうかと。