2000-08-09 第149回国会 参議院 文教・科学委員会 第1号
むしろ時々世評で言われる、よくマル・バツ入試は考える力を養わないというような形で言いやすい言葉で言うんですけれども、むしろ難問奇問、論文テスト等々も含めてあった時代から、一次テストということで基礎的な学力を調べるという形で導入し、これが受験戦争を解消するんだということに対して、これがどういう形での成果を現実に与えたのか、そこのところをお伺いしたいわけです。
むしろ時々世評で言われる、よくマル・バツ入試は考える力を養わないというような形で言いやすい言葉で言うんですけれども、むしろ難問奇問、論文テスト等々も含めてあった時代から、一次テストということで基礎的な学力を調べるという形で導入し、これが受験戦争を解消するんだということに対して、これがどういう形での成果を現実に与えたのか、そこのところをお伺いしたいわけです。
○政府委員(阿部充夫君) その具体の事例を私も存じておりませんけれども、試験問題につきまして、例えば論文テストでどういう題が出たというようなことは受験生はみんな覚えておるわけでございますから、それを帰ってきて言えば、それはもう当然一般に知れ渡ることでございますし、受験者の多い関係の大学等では、あるいはそんなことをやっているケースもあるのかもしれないと思うわけでございます。
その三倍の者についてさらに二次試験が行われまして、これは教員による面接、小論文テストのほかに、理事長と学長による学生父兄の同伴面接が行われます。その結果、総合的な判断として最終合格者が決められ、これが入学試験審議委員会において確認をされているわけでございます。
三番目に、「大学がわが必要とする場合には、進学しようとする専門分野においてとくに重視される特定の能力についてテストを行ない、または論文テストや面接を行なってそれらの結果を総合的な判定の資料に加えること。」こういった方向が示されたわけでございます。
○湊参考人 ちょっといまのお話、つけ加えさしていただきますが、何が異質で同質かといいますのも大変むずかしい問題なのでございますけれども、結局共通一次試験の、ただいま加藤参考人からは内容的なことを申し上げましたが、もう一つは、形式的に共通第一次試験の方は客観テストであり、第二次試験の方は論文テストであるということの異質さもあるわけでございますが、そのために、やはり形式的なことで申しますと、どうしても、
○海部国務大臣 これはやはり一次試験と二次試験とを総合して判断するわけでありますし、二次試験の方についてはやはり試験する当該大学側の、たとえば論文テストなんかの場合になりますと、主観が当然入って判定されることになるだろうと思います。
それと、二次テストの段階になりますと、いまでも論文テストというのが出てきておりますが、こういう方向を強化できるんではないか、あるいは、場合によっては口頭試問というものも加え得るのではないかということを期待しているわけであります。でありますから、従来と同じような形で負担過重になるんではないかというお言葉がありましたが、これは従来よりも進んだ形で高等学校教育の内容に即したものが出てき得る可能性がある。
しかし、各大学でその資格試験だけで、資格試験の成績順位ということだけではなくて、やはり面接をかなり丁寧にやったり、あるいは論文テストみたいなことをやったりということは望ましいことではなかろうかというふうに考えております。いまの入学試験のペーパーテストではとらえ得ないようなことを丁寧にやっていくということが、その場合には必要になってくるんじゃなかろうかというふうなことに考えております。