1994-10-27 第131回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第2号
調査団一行改めて自然の猛威を感じ、被災者の方々に思いをはせ、さらなる対策の検討を行わなければならないと痛感し、視察を終えました。 ここに、調査に御協力を賜りました長崎県を初め多くの関係者の方々に感謝とお礼を申し上げ、報告を終えます。 以上です。
調査団一行改めて自然の猛威を感じ、被災者の方々に思いをはせ、さらなる対策の検討を行わなければならないと痛感し、視察を終えました。 ここに、調査に御協力を賜りました長崎県を初め多くの関係者の方々に感謝とお礼を申し上げ、報告を終えます。 以上です。
その結果、対策は急がなければならないということを調査団一行は確認したところであります。 これは前になりますけれども、昭和十九年十二月七日、諏訪地方を襲った大地震は大きな被害をもたらしたわけであります。
実は四月二日に、マルコス資産疑惑を追及しておりましたアキノ政権の政治倫理委員会のダザ委員は、民社党の調査団一行に、経済協力に関連して少なくとも五つの日本企業がマルコス不正蓄財にかかわり合いを持っており、二企業は法律的に、不正な証拠が明白だとして刑事罰適用の可能性を示唆をしておりましたけれども、その後フィリピンの経済新聞の報道によりますと名前が出てまいりました。
われわれ調査団一行は、今次災害の被害の激甚なる状況に身をもって接してまいりましたが、いずれの県、市町村におきましても激甚法の早期適用について熱烈なる要望がありますとともに、その他、まだまだ報告し切れない、たくさんの地元からの要望がございました。これら島根県、山口県及び関係市町村からの要望事項につきましては、これを本日の会議録の末尾に参照掲載していただくことを委員長にお願いしたいと存じます。
市民からどのようなことで送られてきたかという、パーティーのありさま、あるいはそれを市民ぐるみ、日本の失業輸出なんという短絡的な考えはやめよう、むしろ日本の企業でわれわれのところに来てもらうものを探しに行こうじゃないかという、まことにその市にとってみると、私どもから見ても失業率がそんなにひどいのかなという、それに対する市民の祈りに似た、しかも身銭をみんなが出し合って旅費にしてくれと集めた使節団一行、調査団一行
当日も例に漏れず、大塚参議院議員と私と、そして、それぞれ秘書という立場で一人つけて、四名とは会うけれども調査団一行に会うことはまかりならぬ、会うことはできません、四名とならお会いします、三階の方でお待ちしておりますというような、全く木で鼻をくくったような、まあほかの方の言うことですが、そういう伝言を受けました。
調査団一行は、被害の実情並びに陳情を聴取後、国道四十九号線を経て中蒲原郡村松町役場に到着、特別豪雪地帯の後進性打開のための切実な陳情を聴取したのでありますが、村松町では、周辺の津川、三川の両地区が二級地であるが、当町では一級地であるので、普通交付税の額の算定に当たり、寒冷の差による地域区分を是正をしていただきたい、とのことでありました。 さらに東蒲原郡津川町役場で津川町、鹿瀬町、上川村、三川村。
○橋本国務大臣 この調査団一行は、まる四年間かかって、遭難機の原因調査を進めてまいったわけであります。その間におきましていろいろ意見が食い違っておるように聞いておりますが、私の手元まではまだ辞表は参っておりません。そうして最終的な報告もまだなされておりませんので、最終的な報告がありました場合において、これらをあわせて検討したい、かように考えております。
私ども調査団一行は、二十五日昼少し過ぎ新潟県庁に着き、関係者から説明を聞いた後、ヘリコプターで加治川、阿賀野川、新井郷川、新発田川流域の被災市町村、すなわち加治川村、紫雲寺町、豊浦村、新発田市、笹神村、中条町、関川村、黒川村、豊栄町、新津市、荒川町を視察、翌二十六日は、阿賀野川、加治川、新井郷川、豊栄町、新発田市、水原町、新井郷川排水機場、国道七号線、阿賀野川排水工事現場等を視察、新津駅から出発して
こういう点を考えてみますると、今回のILOの調査団一行の意見も十分これを尊重いたしまして、今後大事に具体化していくような方向で進めたいと思います。ことに石田労働大臣は、このILOの調査団と終始行をともにしていたようでございますので、労働大臣自身、今後のあり方についていろいろくふうしておるようでございます。いずれそれが具体化すれば、お話が出ていくかと思います。
昨日、総理は、その答弁の中で、ドライヤー調査団一行から学びましたことは、関係者がよく話し合っていくということが非常に大切なことであり、問題解決に最も必要なことだということである、そういう趣旨の答弁をしております。御承知のように、ILO八十七号の批准問題は、与党、野党並びに関係労働組合との長い間の話し合いの結果として、いわゆる倉石・河野案なるものに合意を見たのであります。
その御用機関が、有沢調査団一行に対して、一つの、答申にワクをはめておる、制約を加えておるということであるなら、これは許されぬことである、私はこう思っております。
このように、今回の異常天候は、二年続けて農民から麦、なたねなどの作物を奪い、現金収入の道を断ったばかりか、麦、なたねなどの焼却の手数、その油代、手伝いの日当の支払いと、二重三重の重圧を与えているのでありまして、調査団一行は心から同情申し上げるとともに、その救済にはあらゆる努力を惜しまない決意をしてまいったのであります。
かくのごとく、この長雨は農家から麦を奪い、現金収入を断ったばかりでなく、さらに麦わらの焼却の手数、その油代、その上に手伝いの異常な高値という二重三重の重圧を与えているのでありまして、被害農民に対し、調査団一行は心から同情し、その救済にあらゆる協力を惜しまない決意をしてまいったのであります。
このように、この長雨は農家から麦を奪い、現金収入を断ったばかりでなく、さらに麦わらの焼却の手数、その油代、その上に手伝いの異常な高値という二重、三重の重圧を与えているのでありまして、被害農民に対し調査団一行は心から同情し、その救済にあらゆる協力を惜しまない決意をしてまいったのであります。
○伊藤(卯)委員 まず最初に、有澤調査団一行に対して、当面する非常な困難な、また非常にうるさい石炭問題を長期にわたって御苦労されたことを感謝をいたしたいと思います。すでに同僚各位からかなり広範にわたって相当具体的に質問をされておりまするので、私はできるだけ重複を避けるようにして、ここに五、六点だけ、どうしても調査団一行に内容的に伺っておきたい。
そうして今回の米陸軍の調査団一行につきましては、そうした開発援助協定を結ぶというような使命を帯びておるものではございません。
○須藤五郎君 兵器の国産化、兵器開発中期計画が立案進展しておるおりから、きのう立川基地に右翼調査団一行十三名が到着しました。またあすは立川には米海軍兵器局計画部次長のF・W・Sロック博士ら米軍使節団一行が来日するわけです。これら一行の目的と任務は一体何なんですか。
私ども調査団一行は、一本のたばこを吸うことも遠慮せなければならぬというようなみじめな惨害であったのであります。さらに、空より視察いたしました大鹿村、中川村の一部では、山腹が至るところで地すべりを起こし、その様はさながらシマウマのような模様をなしていまして、これらくずれ落ちた土砂は小渋川にあふれ、小渋川は砂の川と化していたのであります。
私ども調査団一行は、沼津において県及び関係当局より地すべりの概要並びに応急対策工事につき説明を聴取した後、直ちに現地に向かい、恐怖におののいている地元の人々に迎えられ、長靴にはきかえて、立ち入り禁止とされている山に登ったのでありますが、山腹が半分えぐり取られたように地はだを現わし、農地は至るところで隆起、陥没し、当地方の特産である温州ミカン、夏ミカンの三十年生、五十年生のものが根こそぎ掘り返されて、
まずわれわれ調査団一行は沼津に参り、沼津において県及び関係当局よりそれぞれ本地すべりの概況と陳情並びにその応急対策工事につき説明を聴取した後、直ちに現地に向かい、災害現場を視察したのであります。