運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
27件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1
  • 2

2021-06-09 第204回国会 参議院 憲法審査会 第5号

衆議院での憲法調査会時代、四つの小委員会をつくって、最終報告書の取りまとめに向けて非常に有効に機能していたと評価している、こういう前例あるわけです。じゃ、私たちの参議院でも、平成十六年第百五十九国会において、参議院の当時の憲法調査会にもこういう小委員会があって、二院制参議院の在り方に関する小委員会設置、活用して成果を上げた前例もあります。  

松沢成文

2021-05-26 第204回国会 参議院 憲法審査会 第3号

確かに、衆議院におきましては、かつて憲法調査会時代に、平成十四年に、基本的人権保障に関する調査小委員会など四つの小委員会設置をいたしまして、それぞれ分担して憲法の全条、章についての詳細な調査を行ったことがありました。  また、平成十五年にはそれを少し修正をいたしまして、同じく四つの小委員会をつくりまして議論をした経緯がございました。私もその一員としてやってきたわけであります。

船田元

2021-05-26 第204回国会 参議院 憲法審査会 第3号

今、船田発議者の方から過去の御紹介がありましたが、私自身衆議院憲法調査会時代平成十六年に基本的人権の小委員会の小委員長を務めていたことがございます。状況についてはよく理解をいたしております。  ただ、今後のCM等の今回の進め方については、衆議院側では今幹事懇の中でもどういうやり方でやろうかという議論をしているところでございます。

山花郁夫

2021-04-22 第204回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

中山太郎先生平成二十三年十一月十七日の憲法審査会で、憲法調査会時代憲法論議について報告を聴取した際、歴代の会長代理であった鹿野道彦中野寛成仙谷由人枝野幸男の四先生には本当に助けていただいたとの謝意を述べています。  繰り返しになりますが、会長代理役割と心がけに関して中野寛成議員は、憲法論議に当たっては、与党は度量、野党は良識を持つことが大事と述べておられます。

馬場伸幸

2021-04-22 第204回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

ただ、この審査会に関しましては、先ほど馬場委員からも、かつての歴史についても御紹介がございました、私も調査会時代から在籍しておりますが、当時の日本共産党、そして社会民主党も、そもそも設置に反対であるというような御意見もある中で、そういう意見も尊重しながら運営をしてきたということでありますので、この前提を欠いているのだということの、そういった主張主張として拝聴しながら、円満な形での運営というのを目指

山花郁夫

2020-02-12 第201回国会 衆議院 予算委員会 第11号

その総理とか一つの党がこれがいいと言い出すと、その色がつくから、だから、今までも、憲法調査会時代から十九年間、どこの党の何だと色がつかないように、中山太郎先生は物すごく慎重に運営をしてこられたんです。私、安倍総理である限り、ちょっと危ないと思いますよ、本当に。  それで、もう一つ、私は、自衛隊の正当性、これをしっかり評価しなきゃいけないと思うんですよ。

辻元清美

2019-10-11 第200回国会 衆議院 予算委員会 第2号

ちなみに、私は、二〇〇〇年以降、官房長官官房長官等々をずっとやって、政府側にいたのも事実でございますし、またあるいは、幹事長幹事長代理と、ほとんどそういう職を務めておりましたので、機会は少なかったかもしれませんが、そうではなかったときに、憲法調査会時代に出て、意見を申し上げたことはあるということでございます。

安倍晋三

2014-11-12 第187回国会 参議院 憲法審査会 第3号

そこで、これはちょっと大胆な提案なんですが、私は憲法調査会時代十数年前にもこの話をしていたんですけれども、憲法を大胆に変えるということもある。是非考えていただきたいんですが、憲法第四十三条は、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」という条文がございます。これにただし書を付けると。

愛知治郎

2013-04-18 第183回国会 衆議院 憲法審査会 第6号

既に先生の今の御発言の中に全て尽きているわけではございますけれども、衆議院憲法調査会時代議会予算局の御議論については、海外調査を含めて大変詳しくございました。  まさしく海外調査で、アメリカの議会予算局、コングレショナル・バジェット・オフィス、CBO調査した際に、CBOが、連邦予算の展望や国家財政の出動に伴う影響について独自の分析を行い、それを中立的に議会先生方に御提供されている。

橘幸信

2012-05-16 第180回国会 参議院 憲法審査会 第5号

一言だけ申し上げておきますと、当時いろんな党が案を出す中で、我が党として出したり議論をしたものでありますが、現在や今後の我が党の行動をこれを基準に図るものではないということは繰り返し明らかにしておりますし、二〇〇三年にたしか西参考人憲法調査会時代に来られたときにも同じように申し上げているはずなんですが、また持ち出されるのはちょっとテーマからいってもいかがなものかということは申し上げておきたいと思います

井上哲士

2011-11-17 第179回国会 衆議院 憲法審査会 第2号

憲法調査会時代には、野党第一党から会長代理を選任することとされ、五年間に、鹿野道彦先生、この場におられる中野寛成先生仙谷由人先生枝野幸男先生と、四人の先生方会長代理に就任されておられます。皆さん、私の考えを御理解いただきまして、本当に助けていただきました。また、与党筆頭幹事であった葉梨信行先生保岡興治先生船田先生にも、根気よく支えていただきました。

中山太郎

2007-04-18 第166回国会 参議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第3号

衆議院議員保岡興治君) 私は都合でその大阪の公聴会に行けなくて非常に残念だったんですが、憲法調査会時代民主党調査会長も務められて、理事として御活躍された中野寛成先生お話を伺いまして、私も非常に、民主党という野党ではありますけれども憲法改正見識を持って、一つ見識を持ってその手続に熱心に取り組んでいただいている姿勢を強く感じまして、我々そういう趣旨にのっとってというか、そういう趣旨を従前から

保岡興治

2007-03-22 第166回国会 衆議院 日本国憲法に関する調査特別委員会公聴会 第1号

中山委員長 なお、今公述人からお話のございましたインターネットとかあるいはパソコンの問題につきましては、当委員会としては、調査会時代からインターネット議事録の要綱についてはすべて流しておるということをこの際申し上げておきたいと思います。  これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  

中山太郎

2005-10-13 第163回国会 衆議院 日本国憲法に関する調査特別委員会 第3号

そして、その後に、自由討論の中で近藤理事から、自分がかかわることのできなかった憲法調査会時代議論も整理されて、そしてお考えを交えてきれいにおまとめいただけたことも、この特別委員会からここに席を得た六左エ門としては、理解を深めるに大変いい機会だったな、そのように思っています。  先ほど小川委員から、五十八年というこの歴史についての、若い、そして切れ味のいい立場での感想が述べられました。

吉田六左エ門

2000-03-23 第147回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第3号

ずばり言うが、私はこの審議会に入る前の調査会時代から官房の副長官をやっていた、そのときにいろいろなことを知っているが、これはうまくやらぬと大変なことになるぞということを事前から言ってありました、こうおっしゃるんです。私は今度審議会に入るときにも言っておきましたが、その中でも発言されたようであります。  

深田肇

1998-04-15 第142回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第5号

上田耕一郎君 私は、外交総合安全保障調査会時代の前回の七項目合意、あのときの小委員をいたしまして、今回も小委員をさせていただいたんですが、あの七項目合意もその後の政府大綱にも積極的な貢献をするなど大きな役割を果たしたんですけれども、今回の小委員会調査報告書はあのとき以上の積極的な内容を持っているものだと、自分が小委員なのに自画自賛みたいになるとまずいと思うんですが、小委員長初め小委員の努力

上田耕一郎

1998-04-08 第142回国会 参議院 国際問題に関する調査会対外経済協力に関する小委員会 第4号

上田耕一郎君 私は、前の外交総合安保調査会時代も小委員会に参加してずっとやって、今度またこの小委員会になって参加できたんですけれども、前のときも全会一致であの七項目合意がつくられましたし、それが政府開発援助大綱ODA大綱にも骨子が取り入れられるとか、役割を果たしたと思うんです。

上田耕一郎

1997-11-05 第141回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第3号

かつて外交安保調査会時代中嶋嶺雄現外語大学長が参考人でお見えになりまして、中国から帰ってきたと、文化大革命で犠牲者二千万人という数を聞いたと述べられたことがあるんです。その二千万人が死者の数か負傷者も含めてかわかりませんけれども、とにかく大変なことで、だから中国の戦後史というのは偉大さと暗黒面がないまぜられて展開されてきたと、そう思うんです。  

上田耕一郎

1997-10-31 第141回国会 衆議院 本会議 第8号

それ以来、党の、当時は行財政改革特別委員会でありましたが、その後の行財政調査会時代を通じ、このテーマを追い続けてまいりました。  そのときにありましたのは、人生五十年の時代に合わせて設計された行政のシステムというものが、人生七十年の時代になって果たしてたえ得るものか、そうした観点からでありました。その視点は、実は今日も私自身の思いの中にある一つであります。

橋本龍太郎

  • 1
  • 2