2021-06-09 第204回国会 参議院 憲法審査会 第5号
衆議院での憲法調査会時代、四つの小委員会をつくって、最終報告書の取りまとめに向けて非常に有効に機能していたと評価している、こういう前例あるわけです。じゃ、私たちの参議院でも、平成十六年第百五十九国会において、参議院の当時の憲法調査会にもこういう小委員会があって、二院制と参議院の在り方に関する小委員会を設置、活用して成果を上げた前例もあります。
衆議院での憲法調査会時代、四つの小委員会をつくって、最終報告書の取りまとめに向けて非常に有効に機能していたと評価している、こういう前例あるわけです。じゃ、私たちの参議院でも、平成十六年第百五十九国会において、参議院の当時の憲法調査会にもこういう小委員会があって、二院制と参議院の在り方に関する小委員会を設置、活用して成果を上げた前例もあります。
確かに、衆議院におきましては、かつて憲法調査会時代に、平成十四年に、基本的人権の保障に関する調査小委員会など四つの小委員会を設置をいたしまして、それぞれ分担して憲法の全条、章についての詳細な調査を行ったことがありました。 また、平成十五年にはそれを少し修正をいたしまして、同じく四つの小委員会をつくりまして議論をした経緯がございました。私もその一員としてやってきたわけであります。
今、船田発議者の方から過去の御紹介がありましたが、私自身、衆議院の憲法調査会時代の平成十六年に基本的人権の小委員会の小委員長を務めていたことがございます。状況についてはよく理解をいたしております。 ただ、今後のCM等の今回の進め方については、衆議院側では今幹事懇の中でもどういうやり方でやろうかという議論をしているところでございます。
中山太郎先生は平成二十三年十一月十七日の憲法審査会で、憲法調査会時代の憲法論議について報告を聴取した際、歴代の会長代理であった鹿野道彦、中野寛成、仙谷由人、枝野幸男の四先生には本当に助けていただいたとの謝意を述べています。 繰り返しになりますが、会長代理の役割と心がけに関して中野寛成議員は、憲法論議に当たっては、与党は度量、野党は良識を持つことが大事と述べておられます。
ただ、この審査会に関しましては、先ほど馬場委員からも、かつての歴史についても御紹介がございました、私も調査会時代から在籍しておりますが、当時の日本共産党、そして社会民主党も、そもそも設置に反対であるというような御意見もある中で、そういう意見も尊重しながら運営をしてきたということでありますので、この前提を欠いているのだということの、そういった主張も主張として拝聴しながら、円満な形での運営というのを目指
その総理とか一つの党がこれがいいと言い出すと、その色がつくから、だから、今までも、憲法調査会時代から十九年間、どこの党の何だと色がつかないように、中山太郎先生は物すごく慎重に運営をしてこられたんです。私、安倍総理である限り、ちょっと危ないと思いますよ、本当に。 それで、もう一つ、私は、自衛隊の正当性、これをしっかり評価しなきゃいけないと思うんですよ。
ちなみに、私は、二〇〇〇年以降、官房副長官、官房長官等々をずっとやって、政府側にいたのも事実でございますし、またあるいは、幹事長、幹事長代理と、ほとんどそういう職を務めておりましたので、機会は少なかったかもしれませんが、そうではなかったときに、憲法調査会時代に出て、意見を申し上げたことはあるということでございます。
私は、中山太郎先生が会長をしておられた憲法調査会、憲法調査特別委員会の時代から、幹事等の立場で憲法論議にかかわってまいりましたが、本日述べたように、憲法調査会時代から培われ、憲法審査会になってからも継承された運営上のよき伝統は数多くございます。
そこで、これはちょっと大胆な提案なんですが、私は憲法調査会時代、十数年前にもこの話をしていたんですけれども、憲法を大胆に変えるということもある。是非考えていただきたいんですが、憲法第四十三条は、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」という条文がございます。これにただし書を付けると。
既に先生の今の御発言の中に全て尽きているわけではございますけれども、衆議院憲法調査会時代の議会予算局の御議論については、海外調査を含めて大変詳しくございました。 まさしく海外調査で、アメリカの議会予算局、コングレショナル・バジェット・オフィス、CBOを調査した際に、CBOが、連邦予算の展望や国家財政の出動に伴う影響について独自の分析を行い、それを中立的に議会の先生方に御提供されている。
一言だけ申し上げておきますと、当時いろんな党が案を出す中で、我が党として出したり議論をしたものでありますが、現在や今後の我が党の行動をこれを基準に図るものではないということは繰り返し明らかにしておりますし、二〇〇三年にたしか西参考人が憲法調査会時代に来られたときにも同じように申し上げているはずなんですが、また持ち出されるのはちょっとテーマからいってもいかがなものかということは申し上げておきたいと思います
憲法調査会時代には、野党第一党から会長代理を選任することとされ、五年間に、鹿野道彦先生、この場におられる中野寛成先生、仙谷由人先生、枝野幸男先生と、四人の先生方が会長代理に就任されておられます。皆さん、私の考えを御理解いただきまして、本当に助けていただきました。また、与党の筆頭幹事であった葉梨信行先生、保岡興治先生、船田元先生にも、根気よく支えていただきました。
○衆議院議員(保岡興治君) 私どもも、この調査会時代にも国民投票法制についてはいろいろ調査の過程で議論をしたり、また海外の視察なども、その点に関しても触れたケースもあったかと思います。
○衆議院議員(保岡興治君) 私は都合でその大阪の公聴会に行けなくて非常に残念だったんですが、憲法調査会時代の民主党の調査会長も務められて、理事として御活躍された中野寛成先生のお話を伺いまして、私も非常に、民主党という野党ではありますけれども憲法改正に見識を持って、一つの見識を持ってその手続に熱心に取り組んでいただいている姿勢を強く感じまして、我々そういう趣旨にのっとってというか、そういう趣旨を従前から
この間の各会派、少なくとも自民党、公明党及び民主党の理事の間で共有されていた基本的な認識は、実は、これに先立つ憲法調査会時代の平成十七年二月、当時の枝野幸男会長代理及び中川正春幹事の次のような発言に端的にあらわれていると思います。
○中山委員長 なお、今公述人からお話のございましたインターネットとかあるいはパソコンの問題につきましては、当委員会としては、調査会時代からインターネットで議事録の要綱についてはすべて流しておるということをこの際申し上げておきたいと思います。 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
そして、その後に、自由討論の中で近藤理事から、自分がかかわることのできなかった憲法調査会時代の議論も整理されて、そしてお考えを交えてきれいにおまとめいただけたことも、この特別委員会からここに席を得た六左エ門としては、理解を深めるに大変いい機会だったな、そのように思っています。 先ほど小川委員から、五十八年というこの歴史についての、若い、そして切れ味のいい立場での感想が述べられました。
ずばり言うが、私はこの審議会に入る前の調査会時代から官房の副長官をやっていた、そのときにいろいろなことを知っているが、これはうまくやらぬと大変なことになるぞということを事前から言ってありました、こうおっしゃるんです。私は今度審議会に入るときにも言っておきましたが、その中でも発言されたようであります。
私、この前身の外交・総合安全保障調査会時代からちょうど十二年、この調査会のメンバ一で仕事をさせていただきました。勝手なことをいつも申し上げていまして、大変感謝しております。
○上田耕一郎君 私は、外交・総合安全保障調査会時代の前回の七項目の合意、あのときの小委員をいたしまして、今回も小委員をさせていただいたんですが、あの七項目合意もその後の政府の大綱にも積極的な貢献をするなど大きな役割を果たしたんですけれども、今回の小委員会の調査報告書はあのとき以上の積極的な内容を持っているものだと、自分が小委員なのに自画自賛みたいになるとまずいと思うんですが、小委員長初め小委員の努力
○上田耕一郎君 私は、前の外交・総合安保調査会時代も小委員会に参加してずっとやって、今度またこの小委員会になって参加できたんですけれども、前のときも全会一致であの七項目の合意がつくられましたし、それが政府の開発援助大綱、ODA大綱にも骨子が取り入れられるとか、役割を果たしたと思うんです。
かつて外交・安保調査会時代に中嶋嶺雄現外語大学長が参考人でお見えになりまして、中国から帰ってきたと、文化大革命で犠牲者二千万人という数を聞いたと述べられたことがあるんです。その二千万人が死者の数か負傷者も含めてかわかりませんけれども、とにかく大変なことで、だから中国の戦後史というのは偉大さと暗黒面がないまぜられて展開されてきたと、そう思うんです。
それ以来、党の、当時は行財政改革特別委員会でありましたが、その後の行財政調査会時代を通じ、このテーマを追い続けてまいりました。 そのときにありましたのは、人生五十年の時代に合わせて設計された行政のシステムというものが、人生七十年の時代になって果たしてたえ得るものか、そうした観点からでありました。その視点は、実は今日も私自身の思いの中にある一つであります。