2008-04-23 第169回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第6号
だから、これは決して易しいとは思いませんけれども、やっぱり全力でこの試験地獄、受験地獄を解消しなきゃいけない。もう五十年、六十年と同じこと続けてきているわけです。 それで答えになるでしょうか。
だから、これは決して易しいとは思いませんけれども、やっぱり全力でこの試験地獄、受験地獄を解消しなきゃいけない。もう五十年、六十年と同じこと続けてきているわけです。 それで答えになるでしょうか。
そういうところにどうも、なかなか総合学習というものが、実態的には、社会現象からいろいろ、試験地獄だとか詰め込み主義だとかという形で、新しい学力あるいは本当の意味の生きる力というものを持たせなきゃならないというふうに言いながら、やはり今までの学校の中におけるいろいろなひずみというもの、あるいは教員を養成する中における何らかの問題点なり、これは一般的に言えないんですけれども、最初に、総合学習という場合に
それに比べまして、大学の方は、御承知のとおり試験地獄であるとか、これは最近だんだん下の方までおりてきて、幼稚園に入るのも大変だとかいろいろな問題もございますが、しかし、とりわけ大学というものが本来の大学としての機能を果たしていないのではないか。
四十、五十がらみで国家試験の難しいものを勉強して、試験地獄を乗り越えて受けて、そしてやったら死んだ。何かにつけてそこに持ってこられるということはどうなんだろうか。こういうことなんでございます。 でありますから、今おっしゃることは法律上の建前ですし、自治体の消防ということですから、それはそうでありましょう。
最近よくいわれた試験地獄であるとかゆとりのない教育とか、いろいろな教育上の問題、あるいはまた生涯教育の中でもそうした観点等でとらえられることがあるわけであります。いずれにしましても、少年期に落ちこぼれになる子供たちというのが教育の世界でも出てくるわけでありますけれども、それが切り捨てられていくことについて今の教育制度に問題がないかということがしばしば問題になっております。
次に、話題を変えますけれども、今まで私は入学試験のことを中心にして話をしたのですが、入学試験で受験戦争に勝って、ようやく試験地獄から抜け出して大学に入学してみると、待ち構えておるのは何か。それは教育費地獄ですよね。また教育費地獄という道を歩かなければならぬ、苦しまなければならぬ。だから、今こういうことがよく言われております。
そういう点について、この入試地獄、入試戦争、試験地獄、こういうものをなくするという点についてのひとつ大臣の御決意のほどをまず最初に聞いておきたいと思います。
今日、学校に受験戦争、試験地獄、教育費貧乏という言葉があります。教育は、平和な雰囲気の中で、一人一人の個性と能力を引き出し、それに豊かな花を咲かせる文化的な営みであります。総理、教育をこの原点に立ち返らせるべきと思いますが、いかがでございますか。 次に、教育予算について伺います。 我が国の教育予算は、中曽根内閣以降、下降の一途をたどり、本年度までに約〇・二%、八十億の減額になっております。
だから本当に入学地獄、試験地獄と入試地獄というのをどう解決するかというもう少し抜本的な踏み込んだことを、これは知恵を出せばあるのじゃないか。
教育というのは平和な環境の中で、静かな環境の中でやらなきゃならないのに、その平和であるべき環境が、学校が、試験地獄だとか入試戦争だとか、戦争とか地獄というおよそ教育とは関係のないような言葉が教育界の中に言われておる。ここが非常に問題だと思うのです。それだけ深刻だと思うのですから、どうしてその入試地獄という地獄の言葉を取ってやるのか、受験戦争というこの戦争という言葉をなくしていくのか。
もう一つの試験地獄の方でございますが、私ははっきり言って、例えば一つの全体像が上がることはよろしいのですけれども、仮にもある特定の有名校を出ることが人生八十年の生涯の保証になるというような過ちは払拭させなければならない。
先ほどもお話しございましたが、非常に苦しまれたというお話もあったのですけれども、現在の教育の最も深刻な病根であるところの校内暴力だとか、荒れる学校とか、いじめとか、偏差値万能の試験地獄だとか、学歴社会だとか、学校歴社会だとか、教育費貧乏と言われる財政の問題とか、こういう問題を国民は緊急に改革していただきたいという気持ちを持っておったわけです。
○国務大臣(中曽根康弘君) 入学試験改革問題というもののそもそもの発端は、やはり受験生にチャンスをうんと与えるようにしたらどうか、今のような試験地獄というものの様相をできるだけ解消したい、それからいわゆる機械的な試験方法でなくして、もう少し深く入った、思考力等も見る試験に変えたらどうか、そういうような趣旨で改革が行われていると思うんです。
御承知のような試験地獄だとかいろいろな状況がありますし、また学期末等に、適切な時期に必ずしも親御さんが帰ってこられるとは限らない。いろいろな問題があるわけですね。
それで、学生紛争のところに戻りますと、学生紛争の直接のきっかけというものは、誘因というものは、試験地獄を経て入ってきた者が、入ってみると高校のときと同じような教養課程で、やはり同じようなことをまたもう一回二年間やる、これが問題なんだと言われる。
この共通テストが新設されることによって学生たちの負担が軽くなり、同時にいい学生が、それぞれの大学が欲している人材が、それぞれいいところに落ちついて、いわゆる試験地獄というものがよくなるのでしょうか。私は今のお話を聞いていても、また同じところへ戻っていくんじゃないか。教育改革、特に入試改革というのはこれという決め手はなかなかございません。
私はむしろ、学歴社会、したがって入学競争、試験地獄ということについての決めつけ方が、試験がいけないのではない、学校制度がいけないのではなくて、それに応ずる児童生徒ないしは父母、父兄の立場がひとつ反省をするものがある、こういう視点に立つものでありますけれども、いかがなものでありましょうか。 加えて、私の子供が幸いにしてことしから高校の教師にさしていただきました。
そこで、先ほどお話しがあった森前文部大臣じゃありませんけれども、国民の今のこの率直な臨教審に要請をする真意というのは、現在の試験地獄をこの臨教審ができたら解消できるんじゃないか、あるいはいじめとか非行とか、こういった問題や家庭内暴力いろんなこの現在の父母が、あるいは生徒、児童自身が持っているいろんな緊急な問題、これを、早くも解消してもらいたい。
私はそういう点で、この試験地獄というものが中学校からだんだん低年齢化されてきているという実態というものを受けとめて、きょうの問題を提起させていただきたいと思っているわけです。
そういう意味では、制度面あるいはまたその他教育の内容、そしてまた今日ございます社会的ないろいろな風潮、例えば試験地獄あるいは偏差値指導、そうした制度のあり方に対してメスを入れていく、そして基本的には学歴社会の是正に取り組むということが大事ではないだろうか。 三番目には、たびたび申し上げますが、生涯にわたります学習の機会を充実させていく。
何か共通一次がもう一番のガンで、悪い根源だみたいなことをよくいろんなマスコミなどにも書かれていることは極めて私どもとしては心外でございまして、共通一次ができました当時、これはもう田沢さん一番御存じなんで、あのときは、もうとにかく大変な倍率で試験地獄というようなことでございましたから、そしてもう一つ、一期校、二期校ということの区別が、いかにもAクラスの学校とBクラス学校と——私なんかは石川県ですから、
立場から見て、直接、私どもがこういう制度をつくるものじゃございませんし、入学試験の制度は当然大学の皆さんでおつくりになることであるわけですから、我々にとっては期待ということなんでしょう、そういう立場で申し上げたわけでございまして、文部省として当時考えておりましたことと、どういうことであったかについては、大学局長からでもお聞きをいただきたいと思いますが、私どもとしては、当時、入学試験に絡むいろんな試験地獄
○安永英雄君 数字的にはちょっと合わないところがありますけれども、時間がありませんから、また別でただしていきたいと思うんですけれども、少なくとも減になっていくということも、この八万六千の中には考慮されているとするなら、これは間違いだと私も思うんだけれども、先々五十七年度以降の減というものを見た場合に、六十一年から六十七年の間、この数が間違いであったら、ますますいわゆる試験地獄、こういったものが起こるんであって