2017-04-25 第193回国会 参議院 国土交通委員会 第11号
この中で、路面温度上昇抑制機能を有する舗装等につきまして、昨年八月に検討会委員の競技経験者に実際に舗装の上を現地で試走をいただきまして、御意見を聴取いたしました。また、学識経験者を含めた委員の皆様方からの御意見等も踏まえまして、委員御指摘の昨年十月に提言が取りまとめられたところでございます。
この中で、路面温度上昇抑制機能を有する舗装等につきまして、昨年八月に検討会委員の競技経験者に実際に舗装の上を現地で試走をいただきまして、御意見を聴取いたしました。また、学識経験者を含めた委員の皆様方からの御意見等も踏まえまして、委員御指摘の昨年十月に提言が取りまとめられたところでございます。
いずれにしても、十六の機関の中で具体的に使われておるのが、機技研の試走炉、それからあとは風洞実験とかイオン施設でございますが、我々としては、そういうふうに今後とも新しい施設を整備いたしまして、今後とも先導研究に対応できるような形で民間の方の施設利用が図られるように努力しているところでございます。
昭和二十六年、慶応義塾大学経済学部を卒業された君は、迷うことなく大映に入社、豊かな感性と独創的発想をもって、産業スパイ映画「黒の試走車」を初め、我が国初のSF映画を制作するなど、その異才ぶりを発揮されたのであります。
最後に、大臣は映画のプロデューサーをされたり、その中にはベストセラーといいますか大ヒットした「黒の試走車」というのがあって、田宮二郎さんが主演された映画があるのであります。
大臣御自身かつて大映で映画プロデューサーをやっていらっしゃって、「黒の試走車」とか「夜の配当」などという映画のプロデューサーをやっていらっしゃるという御経歴の持ち主ですから、文化、芸術の問題については殊のほか御理解が深いのだろうと思っているわけです。 御存じだと思いますけれども、ちなみに文化予算というものについて私も調べさせていただきました。
めているかという御質問でございますが、その点は地方郵政局の郵務部の輸送課というところがございまして、そこであらかじめ試行テスト等を行って所要時間を見て、一応権限としてはそこで決めているというふうに……(三浦(久)委員「どういう基準で」と呼ぶ)高速道路とか普通の道路等の道路事情によって違うと思いますが、一般には時速四十キロとか五十キロとか、そういったことであらかじめ郵便局と郵便局の間を受託会社の車に添乗して試走
したがいまして、先ほど試走テストを行ったと申しましたのは、主にそういった比較的交通の混雑してない時間帯を走ってダイヤを引いておりますので、同じ時間で昼間帯も引いておるとすれば、どうしても交通の事情が違いますのでおくれてくると思います。したがいまして、そういった問題につきましては、現在地方の実情を調査しておりますので、できるだけ早い時期にそういった問題は直していきたいと考えております。
○小川(仁)委員 ここに私たちとそれから村で試走しましたときの状況の写真がありますので、ちょっと大臣ごらんをいただきたいと思いますが、非常に危険な状況でございます。 そこで建設省、この三百四十号線、幅員を広げる等のことを直轄略業としておやりになる計画はございますか。
○佐々木説明員 試走させましたバスは先生御指摘のとおりでございますが、こちらの輸送量からいたしまして、この大型バスではございませんでもっと小型のバスで十分対応できると考えておるところでございます。
○小野委員 車の幅二メートル四十五センチの国鉄の試走バスは、この道路がおおむね三百メートル以内の区間ごとに待避所が整備されていない道路であるため、車両制限令第六条第二項の規定に基づいてこの道路は通れない、こうなりますけれども、これもお認めになりますか。
○小野委員 バスの高さ三メートル十八センチの国鉄の試走バスは、道路法第四十七条第三項の規定に基づいて、三百四十号線の浅内トンネル、高さ二メートル七十センチを超える車両のために通行できないということをお認めになりますか。
午前十時三十分から完成されたバイパス現地でテープカットが行われ、新しい道路の試走、そしてその後、氷見市農業会館で完成式とパーティーが持たれたわけであります。地元関係者を初め、あるいは県、市の関係、そしてとりわけ土地提供者も長年の悲願が実ったということで、お互いに喜び合い、そしてなごやかなひとときが過ごされたと思います。
○小川(省)委員 自転車に制動装置をつけ、あるいは反射板をつけるのは結構なんですが、道路等でいわゆる競技用自転車というか、競走用の自転車が試走をしておりますね。あれには恐らくブレーキもないし反射板等も取りつけてないはずであります。これの規制をどうするかという問題ですが、競走用自転車などは路上では走ってはいけないということになるわけですか。
別府のほうから下関への九州の輸送計画、あるいはまた今回の兵員輸送訓練において、東京以西のほとんどの主要幹線道路の試走というものが、全部私は輸送訓練が終了したんじゃないかと、こういうふうに考えているんですけれども、防衛庁長官いかがですか。
○横山委員 それは本番前の試走で、手をあげたら成立だ、ガソリンコックをひねれば八百長オーケーだという現場を見て、ああ、あれは八百長だ、それまではあなたがおっしゃるようにわかるまいと思う。それがわかればすぐ警察が引っぱる。あなたのほうとしても首を切るということは、あなたのおっしゃるとおりであります。しかし、そういうふうになっていく体質が放置されておるということを、私は言いたいのであります。
ただ、交通局で扱いまするものはああいった道路外の問題あるいは企業内でいろんな試走テストが行なわれているというような分野は入っておりませんで、やはり市販されている車が動いている。それの違反あるいは事故について処置するわけでありますから、これはそういった問題は全然ないと存じております。
○塩出啓典君 先般たしかトヨタだったかと思いますが、鈴鹿サーキットですか、あそこで試走車が、あの福沢選手というのが乗って事故を起こして爆発炎上した、そういうことで新聞雑誌をにぎわしたと思いますが、あのときに会社側が事故の原因というものを公表することを非常にしなかった、警察が行ったけれども写真一枚もとれなかった、そういうようなことがあったわけでございますが、やはりこういう事故の原因を究明するにあたって
○塩出啓典君 私がお聞きしたのは、総点検という問題のみではなくて、いまさっき言ったようなそういう試走車の事故の問題についてもこれは同様じゃないかと思うのですけれども、そういう問題に対しては、先般のようなそういう企業側の態度は断じて許せないじゃないかと私はそう思うのですけれども、警察庁ではどう考えていらっしゃるか、それをお聞きをしたかったのです。
このトンネルにおいては、供用開始までに試走もしていない。よその場所で、同じような舗装をしましたのでもうその必要がないと思いましたという答弁だそうでございますが、これはもってのほかだと思います。現在は改装してありますけれども、これは国家の責任において賠償すべきではないか、この点について答弁を願いたいこと。
これ以上、この問題をあなたに追及してみてもいけませんから、改造されたわけですから、とにかくこうした状態の中で起こった事故に対しては、私は建設省として、きわめて遺憾であるという遺憾の意は表してもらいませんと、二十六日の開通を急がすために、試走車も試験車も走らせなかった。現実に走らせてないですよね。
話によりますと、このサルビアシム工法を採用してあした開通というときに、一度も試走車も走らせていない、こういうこともいわれているのですね。とにかく五月二十六日に全線開通、全線開通というところに一切の道路施行者の力を注いで、この道路を走っていく車が安全に、事故もなく行ける、そういう道路構造になっているかどうかということすら検査をすることなくやったということは、私はミスだというんです。これはどうですか。
ところが、それを正式に調べずして、すなわち、あなたの言う正式な試走によって調べることなく、いきなりポータブルでやったこと自体にも私は一つの問題があると思うのです。さらにはまた、一体事故があれだけ相次いだあとで、正式にお調べになったのでございますか、どうなんでございますか。
○井上(普)委員 あなたは、先ほども、正式の試験はやらなかった、試走はやらなかったけれども、ポータブルでやったと言われたが、それはどういうことでございますか。
それからもう一つは機動隊、大学に入るのには、これはたいへんいろいろの説明を受けたんですが、去る二月十二日トヨタの試走車が走行テスト中に国際レーサー福沢幸雄さんが死んだ事故、この際に鑑識写真さえとれなかったというじゃありませんか。大学問題のときにはたいへんなことをやられるのでありますが、大企業を相手にしては警察は全然中に入っていって調査もしない、こういう形のものが実は出ているんじゃないですか。
リュージュ、ボブスレイ等には日本は選手を送っておりませんで、リュージュは新しい競技でありますが、日本の選手が特別に試みにすべる試走を許されたという程度でございまして、まだこれから日本が選手をつくっていかなければならない種目でございます。
この点につきましては、名神高速道路開通の事前に私たちの組織をもって試走さしていただきましたが、その試走のときにそういうことを痛切に感じて、建設大臣にあてて、この点の改善方の要望書を提出いたしておりますが、いまだに実現を見ることができません。 さらに本論に戻りますけれども、この項の第三点の、大型自動車の運転資格要件の引き上げでありますが、これも私は、昭和三十五年に主張した一部のものであります。