2005-02-18 第162回国会 衆議院 財務金融委員会 第3号
これらは米国の銀行監督当局における評定制度、CAMELSというものを一つのモデルに、我が国でもこれらを導入したらどうかということを議論されていると聞いておりますが、本制度が金融機関のインセンティブとして機能するならば、評定項目の認定については、諸外国の制度実態を参考にしつつ、我が国金融システムに対するしっかりした現状認識あるいは分析というものがあって、それを踏まえたあるべき方向性というのが出てくるのではないか
これらは米国の銀行監督当局における評定制度、CAMELSというものを一つのモデルに、我が国でもこれらを導入したらどうかということを議論されていると聞いておりますが、本制度が金融機関のインセンティブとして機能するならば、評定項目の認定については、諸外国の制度実態を参考にしつつ、我が国金融システムに対するしっかりした現状認識あるいは分析というものがあって、それを踏まえたあるべき方向性というのが出てくるのではないか
現行の勤務評定につきましては、いろいろとその内容につきまして、例えば職員の性格というような評定項目があったりとか、あるいは評価の方法として基準が具体的には設定されていないことでございますとか、あるいは評価結果をどういうふうに用いるか、用途についても明確にされていないというようなことがございます。
さっき言いましたように文部省の勤務評定項目にある。それで、この人格をどうやって評価をするんですかと聞くと、これは五段階評価のようなそういう点数評価はやりにくいということで、消極的であるか積極的であるか。しかし、これは消極的であるか積極的であるかというのはそれを見る人によっていろいろ見方が変わるでしょう。そういうことからいって非常に主観性が入りやすい、恣意的判断になりやすい。
これは恣意的な評価であってはならないということで、しかもこれは、さっきも話出てました勤務評定項目についての文部省の案、この中に教員の場合についても一、二、三、二の(一)が適性、(二)性格。性格というのはどうやって評定するんですか。この性格、人格を評価する客観的基準は何か説明してもらいたい。
○説明員(諸沢正道君) おっしゃいますように、確かに公務員の勤務評定といいましても、一般の行政職の職員と違いまして、教員の場合には児童生徒といった人間を扱うわけでございますから、その評価というものは、したがいまして、非常に機械的、個々評定項目によってなかなかできにくい場合もございますが、実際に評価としましては、校長として当該学校の教員を見ておりまして、それぞれの教員が担当児童の教育を、徳育、知育、あるいは
私はそのほかに言いたいこともたくさんあるのですけれども、割り込みで、平林さんの大事な質問があるので、私ばかりやったのでは申しわけありませんから、私は御遠慮申し上げて、その質問をあとに保留しておきたいと思いますけれども、この中で一番けしからぬことは、このリストの中で評定項目があるわけです。その中でどういうのがあるかというと、税務行政にどの程度協力したか採点しろと書いてある。
これを裏づけるかのごとく、全国教育長協議会の作った勤務評定の評定項目に、私どもが夢にも考えなかった「上司や有力者にこびへつらい取り入ることはないか」ということがございまして、これを五段階に評定するというのでございます。校長がこのような情ない評定を受ける案を、文部省は最善のものとして賞賛しておるのでございます。ここに私どもは、大きな不安を感ずるものでございます。
○西村(力)委員 そうするとあなたのおっしゃることは、とにかく評定項目についてのそのつけ方というものは、これは第一次評定者の校長、それを調整する教育長ですか、そういう人々の主観に尺度が置かれているんだ、こういうことを認められておるように私たちは受け取るのですが、この点はいかがですか。
それは、あなた方が全国にお出しになっている試案の中に、しかもこれを五段階に評定するという項目の中に、たとえばからだや服装が清潔であるか、こういう評定項目があって五段階に評定されます。低学年を持っている女の先生たちは毎日どろんこになっている。そういう人たちが一体一々髪形や服装を気にしなければならない、こういう評定項目をきめた方に責任があるので、聞いた方に責任があるのじゃないと思います。
あの国家公務員の義務教育諸学校の教職員に対してやっている勤務評定の評定項目を見ましても、何ら国家公務員の特殊性というのはありません。だとすれば、今成案を得ていないとか、調査中だとか、いや何とかかんとか言うのは、ただこの委員会のその場のがれの答弁であって、ちっとも誠意がこもっていない。もう一つ言います。