1949-05-07 第5回国会 参議院 逓信委員会 第6号
明治三十八年から始められたものでありまして、明治三十八年末当時の保管高は、枚数二万二千六百枚、額面金額二百三十三万三千円に過ぎなかつたものでありますが、その後、この取扱は証券による行賞賜金の制度及び郵便局における國債賣出の制度の実施等により、漸次拡充せられ、殊に昭和十二年日華事変が始まりましてからは、巨額の戰時國債、貯蓄債券及び報國債券が踵を継いで発行されましたのに伴い、その消化策として、この証券保管制度
明治三十八年から始められたものでありまして、明治三十八年末当時の保管高は、枚数二万二千六百枚、額面金額二百三十三万三千円に過ぎなかつたものでありますが、その後、この取扱は証券による行賞賜金の制度及び郵便局における國債賣出の制度の実施等により、漸次拡充せられ、殊に昭和十二年日華事変が始まりましてからは、巨額の戰時國債、貯蓄債券及び報國債券が踵を継いで発行されましたのに伴い、その消化策として、この証券保管制度
から始められたものでありまして、明治三十八年末当時の保管高は、枚数二万二千六百枚、額面金額二百三十三万三千円にすぎなかつたものでありますが、その後この取扱いは、証券による行賞賜金の制度及び郵便局における國債賣出しの制度の実施等により、漸次拡充せられ、ことに昭和十二年日華事変が始まりましてからは、巨額の戰時國債、貯蓄債券及び報國債券が、きすびをついで発行されましたのに伴い、その消化策として、この証券保管制度