1950-11-16 第8回国会 参議院 厚生・文部・地方行政連合委員会 閉会後第1号
○委員長(山下義信君) それでは証人にお尋ねしますが、最近証人達の計画に対して地元の人達は言うに及ばず、輿論が非常にやかましくなつて来ておりますことを証は人知つておりますね。
○委員長(山下義信君) それでは証人にお尋ねしますが、最近証人達の計画に対して地元の人達は言うに及ばず、輿論が非常にやかましくなつて来ておりますことを証は人知つておりますね。
○委員長(山下義信君) 証人にちよつとお尋ねしますが、この証人達が本問題の反対運動のために区長を訪問したときに、区長はこの計画は街の繁昌で結構じやないかといつて賛成のようなことを言つたということでありますが、そういうことは何か聞きましたか。
○委員長(山下義信君) 今一つは、やはり証人達が本問題の陳情に所轄警察署に赴いた際に、当時警察署長のとつた態度が大変面白くなかつたということでありますが、それに相違ございませんか。
それだから仮に、悪い言葉を私は使いますが、証人達がお互いに連絡をとつていろいろ謀略を凝らすというようなことがあつても、委員会としてはその立場までずり落ちて扱つてはならない。殊に実際上の便宜にしても、一通り一人づつ話を聽いて、その度に一人づつ又どこかへ戻して、そうして又一人づつ呼び出して、外の人間はこう言つたがお前はどうかというふうな扱い方はすべきではない。
それで、それについて山森証人達は日本新聞にも発表された筈の、確か五月二十日頃の、戰犯分子を除く九万五千の日本人俘虜は十一月までに全員帰すというソヴィエト政府の声明は読んでいらつしやるわけですね。
○江熊哲翁君 私はこの農林省の監視船の態度に非常にいかないところがあるということを考えるそれは本日の証人達の話を聞いていて私痛感したのでありますが、従来農林省の監視船は、この大洋の真ん中における天測の位置の決定の問題にとらわれて一浬出ておるとか、二浬出ておるとかと言つているようなことで、どんどん強制処分をやることは、ゼスチユアにしては業者の犠牲が余り大き過ぎる。
淺岡委員は先程から簡單に旅大地区、北満地区からの証人達が知つているだけのことを簡單に数を述べて貰いたいと、先程証人の方々からは申出がありましたけれども重ねて淺岡委員の御質問がありましたから、族大地区、北浦地区、皆さんの曾ておられた地区において知れる範囲の程度で、数だけのことでありますから明瞭にお答えを願いたいと思います。
これは池田隊長が述べておることで分りますが、併し他の証人達は百数十名の者が処罰されておると言つて証言は食違つておりまするが、この数を対比して見まするというと、報告書が一部と一部と対比してけりをつけておるが、これは吉村隊長の処罰は蒙古側の指図によつてなされた処罰よりも、何倍ものものをやつておるということが考えられるのであります。そういうことははつきり出ていないのであります。
その当時ナホトカは各地区收容所から輸送される人達で数万の人が殆んど設備が不完全なために野宿したり、或いはぎりぎりに詰められて、兵舎に入れられて罐詰のようになつておつたのでありますが、そこで働いている、ここにおられる津村証人達の働きに私は感激しました。本当にもう一刻も早く帰いたいという氣持を抑えて、同志同胞六十万の輸送完遂を目指して何ら報いられざるところの自己犠牲、この精神一点張りでやつておられる。
確かにそういうような差異があつたか、あなたがやつておつた友の会、民友クラブというものと、津村証人達がやつておつた民主同盟との間にどういう差異があつて、最後はどういうようになつたか。そういう点についてはつきりお答えを願いたい。
私達は聞くのであつて、証人達に言わせなければならんのですから、今の岡元君の提案には私は反対します。