1979-03-22 第87回国会 参議院 予算委員会 第12号
○証人(井上潔君) もう一度お願いします。
○証人(井上潔君) もう一度お願いします。
○証人(井上潔君) 存じております。
○証人(井上潔君) はい。
○小菅証人 井上長三郎は、総務、財務の担当専務でございました。それから宮内は取締役で、東京支社の外国部長をやっております。
○久保証人 井上のくつの製造技術は必ずしも良好でありません。従来、検査の調書、これは検査官の報告書でありますが、これによりまして私が知り得ました範囲では、初回の検査で合格することが非常に少い状態に昨年の九月から十月にかけて立ち至りました。
○高場証人 井上功という入は三十年くらい前に教員をしたことがあるそうでございます。それから私は先ほど申し上げた通りでありまして、小渕吉郎氏は昭和二十六年まで教職にございました。それから石橋三作氏は昭和二十一年まで教職にあって、教育委員に立たれて、教育委員を一期勤めて、あとは無職、現在は取次店でございます。
○高場証人 井上功でございます。それから山崎健二、武藤御大、江崎善夫、杠友二、八色敏郎、もう一人ですけれども、もう一人忘れました。
○証人(井上慶造君) 自由党でございます。
○証人(井上慶造君) 持つております。
○証人(井上慶造君) ……。
○神崎証人 井上さんが持つて行つたことはあるかもしれませんが、平野さんがうちへとりに来られたという話も聞いておりますから、そういうことも当然あつたと思います。
○平野証人 井上君は伊藤君の秘書をやつておつたのですから、もちろんそういうことをある程度扱つておつただろうという想像は十分いたします。
○松本証人 井上秘書課長です。
○森田証人 井上さんは全般の人事とか総務、まあ專務ですからそういうことをやつて、吉田さんは経理の小切手の署名、経理の担当という役割で、やはりわれわれと一緒に勤めておりました。但し東京におる間が多かつたことは、その方々も私と同様と思います。
○森田証人 井上専務がおやめになつたことも吉田常務がおやめになつたことも、おそらくその責任でおやめになつたようにはお考えになつておらぬだろうと思います。そういうようなことがなくても、専売局から推薦を受けてなつたその人たちですから、専売局からもうやめたらどうかと言われたら、また任期が過ぎれば、やめることはあります。そういうふうなことが今までの実例からいうと始終ありました。
○証人(井上権吉君) お答えします。私は公安委員のほかに多摩の信用組合長をやつております。それで株式の申込の代理行為をやつておるために私の組合へ各株主が払込んだ、それを取扱つておりまして、自分では一文も接しておりません。
○証人(井上権吉君) 引受けたことはございません。
次に証人井上君。 〔総員起立、証人は次のように宣誓を行なつた〕 宣誓書 良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。 証人 井上 権吉
○吉田証人 井上清というのは、ハバロフスク二十一分所で彼はいわゆるインチンダントの補助者として被服工場、被服倉庫、修理工場、そういつた面の担当者でありまして、彼は東京のたしか城東区か江東区の人ですが、入隊前に刺繍工をしておつた人で、スターリンへの誓いに関して刺繍工として——スターリンへの誓いの感謝決議文は二十六メートルの長さのもので、いわゆる民主運動の歴史の流れ、そういつたものを中川というのがつくつたのでありますが
〔証人井上榮君各証人を代表して朗読〕 宣誓書 良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
○三浦証人 井上委員からことさらにということでございますが、もちろんただいま井上委員の言われたように、また先ほど私が申し上げましたように、二月初旬ごろから、この会計というものは妙だぞというふうに考えたことは、先ほど申した通りでありますが、一面において、その当時やはり狭いながらも均衡をとつて、ある程度の買上げを続けておつた、その当時におきまするところの薪炭需給調節規則が、いつもこの委員会で問題にされておりますが
○星加証人 井上君です。これは企画部長をしておりますが、そういう確認も求めておつたのですが、それらは了解して、そういう形式的なことにせずとも、これは当然そういうことになるのだというような声がありましたので、形式上はそれが決議になつたとは私は考えておりません。