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19件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1955-07-06 第22回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第9号

高場証人 井上功という入は三十年くらい前に教員をしたことがあるそうでございます。それから私は先ほど申し上げた通りでありまして、小渕吉郎氏は昭和二十六年まで教職にございました。それから石橋三作氏は昭和二十一年まで教職にあって、教育委員に立たれて、教育委員を一期勤めて、あとは無職、現在は取次店でございます。

高場季光

1951-11-08 第12回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第8号

森田証人 井上専務がおやめなつたことも吉田常務がおやめなつたことも、おそらくその責任でおやめになつたようにはお考えになつておらぬだろうと思います。そういうようなことがなくても、専売局から推薦を受けてなつたその人たちですから、専売局からもうやめたらどうかと言われたら、また任期が過ぎれば、やめることはあります。そういうふうなことが今までの実例からいうと始終ありました。

森田作太郎

1950-04-01 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第16号

吉田証人 井上清というのは、ハバロフスク二十一分所で彼はいわゆるインチンダントの補助者として被服工場被服倉庫修理工場そういつた面担当者でありまして、彼は東京のたしか城東区か江東区の人ですが、入隊前に刺繍工をしておつた人で、スターリンへの誓いに関して刺繍工として——スターリンへの誓いの感謝決議文は二十六メートルの長さのもので、いわゆる民主運動の歴史の流れ、そういつたものを中川というのがつくつたのでありますが

吉田幸平

1949-11-22 第6回国会 衆議院 農林委員会 第9号

○三浦証人 井上委員からことさらにということでございますが、もちろんただいま井上委員の言われたように、また先ほど私が申し上げましたように、二月初旬ごろから、この会計というものは妙だぞというふうに考えたことは、先ほど申した通りでありますが、一面において、その当時やはり狭いながらも均衡をとつて、ある程度の買上げを続けておつた、その当時におきまするところの薪炭需給調節規則が、いつもこの委員会で問題にされておりますが

三浦辰雄

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