1994-03-16 第129回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第3号
看護婦自身も、検査、薬という医師の診療介助から食事の介助、身体の清拭などのサービスに転換しますので、これが老人自身のADLの向上につながるということが考えられます。 しかも、出来高払いというのは、御承知のように医師が行った診療行為に対してすべての費用保障をするわけでありますので、ある意味では過剰な検査、薬を生みやすい。
看護婦自身も、検査、薬という医師の診療介助から食事の介助、身体の清拭などのサービスに転換しますので、これが老人自身のADLの向上につながるということが考えられます。 しかも、出来高払いというのは、御承知のように医師が行った診療行為に対してすべての費用保障をするわけでありますので、ある意味では過剰な検査、薬を生みやすい。
ただ、その個々の行為については、またいろいろな問題があろうかと思いますが、原則的には医師の指導のもとに診療介助という行為の場合には、これは看護婦業務として割り切れるわけでございまして、医師法の十七条に抵触するものではないというふうに考えております。
特にいわゆる診療所等で実施いたしております外来患者の診療介助という点をとってみますと、むしろ医師会等が考えておる点でございますが、メディカル・セクレタリー、MSという言葉で言っておりますが、そういった新しい職種をも考えておられるようでございまして、そういった点、看護協会の意見あるいは医師会の意見とかいろいろ出ておるところでございます。
一つは、いわゆる入院患者に対しますいろいろな身の回りの看護等の問題、もう一つは、外来等におきまして医師の手助けをするいわゆる診療介助の面での看護業務、この二つに大きく分けられるのではなかろうかと考えております。 それで、外来等で医師の介助をいたします診療介助部門というものが果たして従来から言われているようないわゆる看護業務であるかどうか。
そういうふうに分けて考えました場合に、診療報酬の点数配分をいたします場合に、看護婦さんの分は、その中で診療介助のほうについては医師サイドに配分をして、それから患者さんのお世話のほうは看護婦さんのほうに配分をするというようなことをかりにいたしますと、その割合が一割五分から二割くらいということであるとする。
ただし、それが本来看護婦がやるべき診療介助その他のことに手を出すということは本来やめるべきことだと思います。
また診療介助、いろいろな治療なり処置なり診断なり、いろいろなことが昼間に行なわれておりますけれども、そういう意味で、やはりどうしても昼間の看護婦が多くなければならない。しかし夜間は、現在でも二人制をとったり三人制をとったりして、その必要性に応じてやっている病院はたくさんあるわけでございますから、その必要度に応じてやはり二人夜勤なり一人夜勤なりに振り分けている。
○松尾政府委員 看護婦の任務は、一口に申し上げれば傷病者の看護と診療介助ということになるわけでございます。その場合に、看護婦はそういうことについて独立的な判断を行なってまいりますけれども、准看は医師または看護婦の指示を受けてその業務を行なうという点に相違があるわけであります。
そういう意味で、この保助看法におきます診療介助というものを、どこまでの範囲を認めるかということが現実の解決の方策であろうと思います。
しかし、ある意味では、たとえば皮下注射あるいは静脈内注射というような問題をここに取り上げますと、いろいろな問題があろうと思いますが、大局的に申しますと、やはり看護婦の本来の業務の中に数えられております診療介助という問題は、ある意味では、将来もおそらく幅広くなってくるのではないだろうか、また、それが社会の要請、あるいは医療それ自体の要請ではなかろうかと存じております。
○政府委員(若松栄一君) ただいま私どもの申し上げましたことの中で、医師あるいは看護婦の業務が混乱しているというようなことを申し上げたために、多少誤解もあろうかと思いますが、それぞれ法律ののりを越えてやっておるという趣旨ではございませんで、時代が変遷してまいりますと、どうしてもこのことばの解釈の範囲が違ってくることがあり得て、そういうものは時代の要請にある程度即応して解釈し、たとえば診療介助という業務
従いまして、診療介助につきましても、一般の国立病院よりも倍くらいになる。
本当に診療介助や身の回りの世話に当る看護婦は、約六千名前後、これがまた週休、短期病欠、祝祭日、講習等にさかれて、しかも二交代、三交代制の勤務をとっているために、毎日の勤務としては、平均して昼間一番看護力の充実しているときでも、患者十二、三名から二十名に対して一人、夜間は四十名から七十名に対して一人の看護婦の割合になっているのが実情でございます。
そして、ほんとうに看護婦としてやらなければならないいわゆる身の回りの世話、あるいは診療介助というようなものが、現在雑多な用のためにおろそかにされておる。そのために非常に看護力が落ちておる。ですから、私たちは看護婦も足りないけれども、そのほかに看護補助者としてのものも、どうしても定員の中に現われなければならない。