1988-12-07 第113回国会 参議院 税制問題等に関する調査特別委員会 第6号
僕は、宮澤名義の株券ですから、恐らく間宮常務だっただろうと推定しますけれども、そういう方が二度も服部秘書官に、つまり九月中旬から二十四日までの間に二回見えて、そこで約定書を取り交わしたのですから、三千万円ですよ、こういうことを記憶がないということはこれは記憶喪失症に突如かかった以外は全く考えられない。そのことを長時間情理を尽くしても宮澤さんがお聞き出しになれない。
僕は、宮澤名義の株券ですから、恐らく間宮常務だっただろうと推定しますけれども、そういう方が二度も服部秘書官に、つまり九月中旬から二十四日までの間に二回見えて、そこで約定書を取り交わしたのですから、三千万円ですよ、こういうことを記憶がないということはこれは記憶喪失症に突如かかった以外は全く考えられない。そのことを長時間情理を尽くしても宮澤さんがお聞き出しになれない。
記憶喪失症はときどき何か思い出してぽこぽことやる、やられたほうはかなったもんじゃない。どうしてもこれは総合性と計画性と、そして仕事には段取りというものがありますから、段取りが必要である。私ども卒然として考えますと、もう少しあき地のほうにりっぱな環状線を樹林で囲んでつくる。そうすれば土地の値段は非常に安い。これには税制の問題も関係があります。
負傷者につきましては、三池災害の場合のように、一酸化炭素による記憶喪失症が後遺症として残るのではないかと憂慮されたのでありますが、幸いに、札幌医大から運ばれた医療用耐圧酸素室によって治療に当たっており、その効果も大きいと説明されました。
負傷者について憂慮されていることは、一酸化炭素による記憶喪失症が相当に多く、もしこれが後遺症として残るとすれば、その対策を十分考慮しなければならないのであります。 いま石炭鉱業全体が深刻なる事態にあるとき、かかる災害が起こったことが業界全体に与える衝動はすこぶる大きく、今後三池の復興、会社の再建につきましても、資金面など、政府の援助が強く要望されているのであります。
サンフランシスコ条約のときから鳩山さんが日ソ平和宣言に署名するまでの五年間記憶喪失症になっていたのは、どういう状態ですか。敗戦のためについ、うかうかしていたのでしょうか。その辺の心境のほどを——今の外務大臣の責任でありませんけれども、やはり同じ穴の——同じ穴ではない。
○帆足委員 五年間記憶喪失症になっていた患者が、私は、これに対して言いわけをなさったものと伺いまして、多少参考になりました。まことに失礼ですが、私はこの問題の取り扱い方はまことに遺憾である。特に与党がお出しになった最近の案のごときは、インドでも、イギリスでも、オーストリアでも、ハンガリーでも、またはスエーデンでも、ノルウェーでも、一国として、その論理に賛成する人はあるまい。
従いまして、私は、この健忘症と記憶喪失症との混淆的病的状況であって、こいねがわくば日本の国際信義上サンフランシスコ条約においてきまったことは一応きまったこととして、自後の善後策をどうするかということについて社会党は党首会談を開き、また幹部会談も開きたい、こういうようなことであったことを思い合わせて、それに対してむげに保守党が避けられる。
一体自民党の首脳部の方は、中国の言葉で、健亡症の人があり、家を移してその妻を忘れるというのがありまするが、それともう一つ心理学的には記憶喪失症というのがありまして、かつては忘れていたけれども、ときどき間歇温泉のように思い出して、そして何か論理の合わないことを言い出す。
そういうふうな事実を聞きまして、校長さんに伺いますというと、校長さんは行きましたと、それからあとはどうなりましたかと聞くと、やはり大へんいろいろな情勢をおもんぱかって、どうも記憶喪失症にかかったようでして、という非常に苦しい立場を見受けたわけです。
(「記憶喪失症だ」と呼ぶ者あり)どういうわけで、その記憶がないとおつしやるのでございますか。私にはその気持がわからないんですよ。決裁なすつたのじやないの、あなたは。
あなた自身は忘れたと言われるのだけれども、外のほうからずつと判断して行くというと、どうも仮に返しでおつても、とるべき措置はとつていなかつたということになると思うのでして、その点、稲垣前大臣を記憶喪失症と言うてきめつけられるあなたですから、そういうような大きな態度をとつてやられたのと違うのですか。はつきりして下さいよ。