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51件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2018-11-15 第197回国会 参議院 内閣委員会 第2号

そこで、国立公文書館が今度新たに建設を、国会議事堂の前、憲政記念会館敷地の中に建設をされるわけでありますけれども国会見学者、あるいは修学旅行生外国人観光客など多くの方々が利用しやすい立地となりますので、私は、宮内庁にも宮内公文書館、あるいは外交史料館等の類似の施設が所蔵する資料についても新たな国立公文書館でたくさんの方々に見せていくべきだと、宮内庁公文書館とか外交史料館についての閲覧者数とか展示

岡田広

2017-04-13 第193回国会 衆議院 議院運営委員会新たな国立公文書館に関する小委員会 第2号

憲政記念館は、国民浄財によって建設された尾崎記念会館を吸収して、議会制民主主義についての国民理解を深めるため、憲政資料収集、公開する常設展示館として一九七二年に発足しました。国会見学を初め、憲政についての学びの場として重要な役割を果たしています。  一方、憲政資料収集経費資料保管場所の不十分さ、憲政記念館として資料収集方針を持っていなかったことなど、充実させるべき課題は多々あります。

塩川鉄也

2017-01-19 第192回国会 衆議院 議院運営委員会 第19号

憲政記念館は、国民浄財によって建設された尾崎記念会館を吸収して、議会制民主主義についての国民理解を深めるため、憲政資料収集、公開する常設展示館として一九七二年に発足しました。国会見学を初め、憲政についての学びの場として重要な役割を果たしてきました。  一方、憲政資料収集経費資料保管場所の不十分さ、憲政記念館として資料収集方針を持っていないことなど、充実させるべき課題は多々あります。

塩川鉄也

2016-04-14 第190回国会 衆議院 議院運営委員会新たな国立公文書館に関する小委員会 第1号

すなわち、A案である憲政記念館敷地をお選びになるに当たりましては、まず、憲政記念館は、昭和四十七年に旧尾崎記念会館を吸収して開館したものでございまして、議会制民主主義について国民理解を深めていただくため、憲政資料収集、公開する常設展示館として発足したものでございます。  

向大野新治

2015-04-06 第189回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

手元に資料として対馬丸記念会館入館者数、これの十六年度から二十六年度までの推移を御覧いただいておりますが、なかなか入館者が増えない。いろんなことをやるんですが、入館者が増えない。したがって、自主財源がつくりづらい。その中で、昨年は、天皇皇后両陛下が御来訪いただくということもあってのことだと思うんですが、初めて三万人近い、二万九千余りの入館者があったんですね。

儀間光男

1995-12-04 第134回国会 参議院 宗教法人等に関する特別委員会 第8号

一九七五年、兵庫県芦屋市の高級住宅地を取得、三カ月後に境内地礼拝所にしている五千八百平方メートルに及ぶ関西戸田記念会館がございます。公明党元書記長矢野絢也氏は、文芸春秋九三年十月号の中で「芦屋池田名誉会長宅」というふうに私宅扱いで呼んでおられるわけであります。  こうした例はほかでも私どもは確認しています。私どもの新聞、きょうの赤旗にもこのことを大きく報じています。

有働正治

1990-04-17 第118回国会 衆議院 地方行政委員会 第7号

また、ハードな面では、現実的ですけれども芋シロップなんかを製造したり、あるいは今までなかなか難しかったヒラメの養魚基盤をやって町の産業振興の一つの起爆剤にしようというところもありますし、またある町によっては、こういう管理社会の中で子供が非常に型にはまった人間、そういう形じゃなくて、その町から出た文学者記念会館なんかをつくって、自由奔放に、読書と遊び場を提供した子供の園という形の中で、新しい試みをやられているところもありますし

奥田敬和

1978-03-28 第84回国会 衆議院 本会議 第16号

先生は、憲政の神と言われた咢堂翁の遺徳をしのび、その遺訓を後世に伝えるため、昭和三十五年には尾崎記念会館建設し、自来、憲政資料展示、映画、講演会の開催などの諸活動を活発に行うなど、これに注がれた先生の情熱は、咢堂翁に対する畏敬と議会制民主主義の発展を願う先生政治哲学に根差していたと確信いたします。

角屋堅次郎

1976-05-20 第77回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第8号

そういう重大な問題を、あの憲法記念日の二つの相反する大会が、自民党の本部と憲政記念館、旧尾崎行雄氏の記念会館で同じ政党の中の政治家によって行われておることば重大である。  そこで、私は、福田さんが日本の国の最高責任者という自覚に立ったときに、そういう位置に達したときに、本当に憲法を尊重する国民をつくるという考えならば、やはりそういう内部の自主憲法という思想の体質を払拭すべきである。

山中吾郎

1975-05-22 第75回国会 衆議院 内閣委員会 第17号

それで四日に横浜開港記念会館業者方々全部集まって決起大会まで開いている。なぜか、生活の問題だからですよ。生活できなくなってしまうからですよ。だから、地域におけるいろいろなそういうトラブルが起こっても、それは消費者の選択なんだからわしは知らぬ、これで私は済む筋合いではないと思っているのです。それでは行政というものは存在をしない、こういうことになってしまう。

大出俊

1972-03-18 第68回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

川崎(秀)分科員 いま憲政記念館ができまして、尾崎記念会館はその中に包含をされまして、尾崎メモリアルホールというので、特別の一室を展示その他に開放され、また、尾崎記念財団もあそこの一角におるわけですが、この尾崎記念財団というものはだんだん人員も整理をしまして、鈴木理事長のもとにやっておるわけでございますが、記念財団のやっておりまするあの記念講演というものは実質的に非常になかなかいいものがあるわけです

川崎秀二

1972-03-18 第68回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

知野事務総長 議会制度八十年の記念行事としまして、衆議院建設に着手いたしました憲政記念館が、新国会になりましてちょうど二十五年の記念すべきことし、いま先生のおっしゃられましたように、二十一日に開館の運びになりましたことは、まことに意義の深いことだと考えておりまして、かつて尾崎記念会館建設功労者でございました川崎先生から、その間われわれに側面からいろいろ御支援、御鞭韃をいただきましたことを、この

知野虎雄

1968-04-11 第58回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第2号

その場合に、両院の議院運営委員会ではっきり決定をいただいている国会周辺整備計画によりまして、現在の国立国会図書館尾崎記念会館との間の土地をその予定地といたしております。そこに六百万くらい収蔵し得る書庫をその時点においては建てなければならないだろうと、いまのところそういう考え方をいたしております。

河野義克