1995-01-31 第132回国会 衆議院 予算委員会 第5号
○山田(宏)委員 ここに、昨年の平成六年九月一日の防災の日ですが、自衛隊の、毎年訓練をしております、その「訓練経過の概要」という文書がございます。これは指揮所演習の、演習というか、何時何分に何をして、何時何分に何をして、こういう自衛隊の記録なんです、記録というか予定表というのですかね。 この予定表を見ますと、昨年の九月一日ですが、南関東地震の発生を想定をしての概要であります。
○山田(宏)委員 ここに、昨年の平成六年九月一日の防災の日ですが、自衛隊の、毎年訓練をしております、その「訓練経過の概要」という文書がございます。これは指揮所演習の、演習というか、何時何分に何をして、何時何分に何をして、こういう自衛隊の記録なんです、記録というか予定表というのですかね。 この予定表を見ますと、昨年の九月一日ですが、南関東地震の発生を想定をしての概要であります。
これは恩給に関係いたしますが、この義勇隊の募集にあたっては、まず水戸の内原で二カ月間内地訓練をして、それから満州に渡って、大訓練所、小訓練所と、一年、二年の訓練経過を過ぎて卒業していった。ところがそのときに、内地から学校の先生もその国策に沿って相当数転進していった。私がここで問題にしたいことは、その小訓練所の中に甲種と乙種とあるわけですね。
これは公社法の建前からいうと多少疑義もあるかもしれませんが、実体としては非常に現地で歓迎されておるように聞いておりますが、バンコックに設置した訓練所のその後の訓練経過等にかんがみて、成果としてわれわれに報告できるような点がございましたら、ひとつ説明していただきたいと思います。