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14528件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1950-04-12 第7回国会 衆議院 地方行政委員会公聴会 第3号

むしろこれが統制解除されて、自由競争になりましたら、今の取材競争といいますか、この統制下にあつても、すでに夕刊発行、四ページ発行といつたような、統制を逸脱するような、上手に法規に触れないように脱け出て、そうして競争場裡にどんどんつつ込んで行くという状態でありまするから、これが統制が撤廃されましたら、なおさらひどくなります。これだけは申し上げられると思います。

福島俊雄

1950-04-12 第7回国会 参議院 厚生委員会 第28号

最近実は各地において、健康保険の医療の範囲において鐵灸等を契約しおてところ最近政府はこれを余り好まずに、それはその医師の監督の下にやるというので、直接契約しておるのも随分それを解除しつつあるような傾向にある。これは折角やつてつて医師会とも了解してやつておるのですから、むしろ或る意味において善導する、助長していいじやないか。この点を一つよろしくお取計らいを願いたいと思う。この点だけ。

草葉隆圓

1950-04-11 第7回国会 参議院 厚生委員会 第27号

この二三の例外に対して責任は解除されていると放言する現在の政治は、政治としての失格意味するだけでなく人間としても失格である。」人間として失格。正に然りであります。民主主義が個人の尊嚴というものを基調とするものと考えなければならない以上は、ただの一人も餓えに泣く者なきを期するという政治こそ昭和維新民主憲法下政治でなくちやならんと確信するのであります。

松本隆文

1950-04-11 第7回国会 衆議院 建設委員会 第25号

東京都の美観ということを考えるならば、野菜も何もかも統制解除されておる現在でございますから、あれを少くともなくしていただきたい。そうして現在地主諸君が考えておられることは住宅公庫法案通つたならば、当然土地がなくなるだろう。この土地は、まずまず菜つぱはどうなつてもかまわないが、もう少しがまんすれば相当値が出るだろう、こういうのがちまたの声でございます。

坂野武雄

1950-04-11 第7回国会 衆議院 建設委員会 第25号

大方住宅建設と申しましても、爆撃によつてやられたところは主として大きな都会でありますが、ことに横浜のごときところにおきましては、中心部が全部やられておりまして、今中心部は占領されておりますが、解除されたときに、そこを復興させようと思いますと、どうしても四階とか五階とかいう鉄筋の家を建てなければならぬ。その際に全部その家が住宅ということになりますと、非常にむずかしくなつて来る。

内山岩太郎

1950-04-11 第7回国会 衆議院 農林委員会 第27号

内容等についてはまだ詳しく承つておりませんので、検討を加えなければならぬと思いますが、司令部におきましては、今申し上げましたように、独占禁止浩立場から、あるいは統制解除せしめたという立場から、これを強力なる法的措置において行うということは、同意はいたしません。しかしアメリカ企業体から考えますれば、どうしても日本の生糸かある程度安定しなければならない。

森幸太郎

1950-04-10 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第23号

しこうして武装解除せられたる後も強制的にソ連領軍備拡張のために、帰るまで使われておつたということは御承知通りでありますが、その事実をまのあたりあなたは日夜見ておりながら、この事実に対していかようなお考えを持つていらつしやつたかどうかということを、一言承つておきたいと思います。

木村公平

1950-04-10 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第23号

木村(公)委員 しからば簡單に結論を申し上げますが、ポツダム宣言第九條をあなたは御存じかどうかと質問したことに対して、よくわからないというお話でありましたので、ポツダム宣言第九條というのは、大要を申し上げますれば、日本人並びに日本兵隊武装解除された場合には、比較的早く日本に帰して、そうして平和的生産に従事するようにさせなければならない、させることが当然であるという意味です。

木村公平

1950-04-10 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第23号

木村(公)委員 ポツダム宣言の第九條の大要意味は、日本人兵隊武装解除された場合には、なるべく早く日本に帰して、平和的な生産に従事せしめることができるようにという意味です。そのことはおそらく数箇年間ソ連領において教育をされたあなたが御存じないことはないと思いますが、かりに御存じなければあらためて申し上げますが、さような意味が第九條の大意であります。

木村公平

1950-04-10 第7回国会 衆議院 大蔵委員会 第48号

それから第三は接收されておるところの問題でありますが、お話のように接收中のものは、この法案恩典には浴しないわけでありますが、これが講和会議になりまして——また講和会議前でも徐々に解除されつつあるのでありますから、その解除を受けましたならば、各市の方で一つ計画を立てまして、その都市計画に当てはまる範囲において、今回の法律でできます審議会等の議を経まして、産業の方に転換するものに対しては、この法の恩典

門屋盛一

1950-04-08 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第22号

そうしてそのために武装解除されて入ソしたわけであります。従つてわれわれは今後二度とソビエト同盟銃口を向けることはやめようということをみなが叫ぶようになつた。これは事実であります。しかしながらソビエト同盟銃口を向けることをやめようと言つたのであつて、決してあなたのおつしやるように、それではアメリカに対して銃口を向けよう、そんなことは一ぺんもどこにも言つたことはありません。

矢浪久雄

1950-04-06 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第20号

そうして八月の終りにわれわれは武装解除のために公主嶺南下をするように命を受けました。それでわれわれは和田憲兵大佐の率いる部隊の一員として公主嶺南下をいたしました。その間に萢家屯あるいは孟家屯、こういう駅において暴動がすでに終り、ソ連軍が入満いたしておりました。そして公主嶺工作機械工場だと思います。そこにわれわれは集結をされたのであります。そうしてそこに約一箇月駐屯しておりました。

宇野喬夫

1950-04-06 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第20号

それから終戰時南下しまして奉天で武装解除これは二十年の九月、それから入ソしまして一番先に行つたのタシケントの第一分所、それから第一分所から第十分所というコルホーズにわずか四箇月ばかり行つておりました。それから第一收容所に帰りまして、それから第五分所、第五分所からベグワードの第一分所、それからベグワードからまたタシケントの第九分所にもどりまして、タシケントの第九からカラカンダに参りました。

小島清

1950-04-06 第7回国会 衆議院 大蔵委員会 第45号

宮腰委員 昔のような産金奨励制度がないということになつて、今度銀白金解除されるということになると、おそらくある程度力がそちらに集中されるのではないかと思います。それでこれは全体の業者として特に考えておることですが、政府で現在全金山から、どれくらいの金の産出があるのかという見込み計画を立てまして、その見込み計画の金は全部政府へ納める。  

宮腰喜助

1950-04-05 第7回国会 参議院 大蔵委員会 第36号

委員外議員門屋盛一君) 木村委員の御承知通り国内法を作りましてもこれが国際的に法律上の効力は大してないと思いますが、ただ今一部解除されております地帯に対してでも、まだどうかしたらこれは軍備を温存しておるのではないかとか、又再び軍港として使うのではないかというような疑いを持たれておるようにも我々は心得でおります。

門屋盛一

1950-04-04 第7回国会 衆議院 通商産業委員会 第28号

いわゆる一々解除の承認によつてやるのでありまして、ただこの承認の問題については、風早委員からなかなか痛烈な御質問があつたように覚えております。そういう状況でありまして、見返資金特別会計借入ができないのでありますが、貿易特別会計は、そのときの記憶では、たしか百五十億を限度として借入ができる。その限度においては積立、繰入れはやつて行けるのだということを申し上げてあつたはずであります。

宮幡靖

1950-04-04 第7回国会 衆議院 通商産業委員会 第28号

するやいなやの問題につきまして、分断の際におきます方針としましては、所有権者がかわりましても、財団というものはくずさずそのまま承継して行くのだ、こういう方針をとるよりしかたがないということを申しましたが、それは何らかの含みをもつて申し上げたわけではないので、特に財団を解体できないのは、たとい金額においては少額でありましても、国内債社債等担保になつておりますので、これをやはり一般担保にして、財団解除

宮幡靖

1950-04-03 第7回国会 衆議院 地方行政委員会 第15号

地代、家賃に関する限りは、率直に申せばあらゆるものが統制解除されております。私は現在住宅問題が非常に困窟しておる折柄、活発にもつと自由に建物建設させてこの問題の解決をいたしたい、こういう点から今空文となつているこういう法規意味のないもので、住宅問題を解決する上にこの法案を契機といたして、状況により相当政府当局としては考えていいのじやないか、かように考えて意見だけ申し上げておきます。

野村專太郎

1950-04-03 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第17号

田渕委員 私はきのう議院運営に出ておつたために、不幸にして証人がいつごろ入ソされたかを聞く機会を失つたのでありますが、一九四五年八月十五日、ポツダム宣言によつて日本が全面降伏したのだということを聞かれて、武装解除されて入ソしたのですか、そのまま持つて行かれて、向うで、武装解除されたのですか、まず伺いたいのです。

田渕光一

1950-04-03 第7回国会 衆議院 外務委員会 第13号

○佐々木(盛)委員 條約当局の御意向はわかりましたが、われわれがざつど政治的に解釈いたしましても、ポツダム宣言において規定しておるところから見ましても、すべて前線の兵隊武装解除をされた後は、すぐに内地に帰して、平和的な仕事に従事をさしてやるという規定から見ましても、少くともその根本的な精神には私は反する行為であると考えます。

佐々木盛雄

1950-04-03 第7回国会 衆議院 外務委員会 第13号

堀井政府委員 二千戸の住宅建設につきましては、私どもの聞いておりますとところは、米軍内における住宅の不足のためでありまして現在接収されております建物が、同時にある数解除になるかどうかということにつきましては、別個の問題ではないか、多少あるかもしれませんが、ただそういう程度の情報しか私どもは持ちません。

堀井啓治