2013-03-27 第183回国会 参議院 総務委員会 第5号
画一的な評価システムは、多様な価値観で成り立つ放送番組の幅を狭めたり、あるいは視聴率至上主義につながったり、あるいは番組の質の低下を招いたりする、そういうおそれはないかと、このように思うんでございますけれども、いかがでしょうか。
画一的な評価システムは、多様な価値観で成り立つ放送番組の幅を狭めたり、あるいは視聴率至上主義につながったり、あるいは番組の質の低下を招いたりする、そういうおそれはないかと、このように思うんでございますけれども、いかがでしょうか。
最後にお伺いをしたいのは、視聴率至上主義とされる民放に引っ張られるリスクを冒しながらも、なお民放とコラボしなければ達成できないNHKの使命というのは一体何なのか。民放とコラボして初めてできるよい番組とは、どのような番組のことをいうのか。
私は新聞記者でしたけれども、とりわけ、やはりテレビと文化、文明というもののありざまを、これは言論の自由もございますから言葉は厳選いたしますけれども、メディア自身の自律というものを、つまり視聴率至上主義というものに対する反省とまでは言いませんが、見直しといいますか見詰め直しといいますか、やはり考えていただかなければならない。いろいろな問題を日本社会の劣化は抱えている。
私は、接触者率の向上を求める余りに、民放で問題となっている視聴率至上主義に陥る危険性はないか心配をしております。例えば、教育テレビに「福祉ネットワーク」といういい番組がございます。
随分ヒアリングをしたのですが、その調査をやっている最中も、それからその後も、視聴率至上主義がこういう問題を引き起こしたのだというような御意見をなさる方、随分いらっしゃいました。実はこの報告書の中ではそういうような書き方はしておりません。 つまり、こういうふうに考えていただければよろしいかと思います。当該ディレクターが捏造をして、そのビデオテープを放送局に納めたわけですね。
私の想像をある程度認めていただいたような格好になるんですが、この背景は、やはりチャンネル数それから番組数の増加や視聴率至上主義の蔓延などもあるとは思いますが、私が少し懸念をしておりますのは、番組に対する行政の対応姿勢が変化しているのではないか、それもコントロールが強くなる方向に変化しているのではないかということです。
ケーブルテレビ、CS、BS、それで番組が近年急速にふえているからなのか、それとも視聴率至上主義と番組の娯楽化の傾向が強まっているからなのでしょうか、それともほかに理由があるのか。総務省はどのような御見解ですか。
視聴率さえとれればいいという視聴率至上主義や、下請や孫請に対する無理な要求をするという業界構造が、今回の事件の背景にあるのではないかという、一つ問題意識。 また、報道の自由は尊重すべきではありますが、放送法においては「報道は事実をまげないですること。」と規定されております。
昨年も、視聴率をめぐって、日本テレビ社員が起こした事件に象徴的なように、視聴率至上主義のテレビ文化はいろいろの弊害を生んでいると思います。 その中で、NHKの歴代の会長の中でも、海老沢会長は特に視聴率を重視しておられるというふうにいろいろな御発言の中でお聞きしておりますけれども、公共放送でありますNHKにとりまして、視聴率をどのようにとらえておられるのか。
いたずらに視聴率至上主義にとらわれないで、教育、教養番組、あるいは日本の伝統文化を紹介するような番組、あるいは福祉番組等は、視聴率よりは質を図っていかなければならないだろう、常日ごろそういう指導をしているところでございます。
最近のメディア、特にテレビ局の体質、視聴率至上主義というのがまかり通っている感じがします。行き過ぎた報道、また取材、さらに、記憶に新しいところでは、視聴率を上げるために会社の経費を使って云々という事件などがありました。国民から見れば、何をしているんだろうということに相なるわけであります。
しかし、NHKも、先ほど会長言いましたけれども視聴率、私は視聴率至上主義がどうしても根底にあるんだと思うんです。 先ほど会長は、これは番組の評価には使用していないんだというお話でございましたが、それでも、受信料をいただいている以上、一人でも多くの方々に見ていただかなければなりませんし、やはり視聴率に無関心でいられるわけではありません。
私は民放の放送姿勢というものを批判するつもりは全くないのですけれども、何となく、視聴率至上主義と言ってはなんですけれども、最近の報道を見ていると、ちょっと視聴率を気にしてセンセーショナルな方向に行っているのかなというふうに感じるようなこともございます。 そんな中にあって、NHKの存在というのは、私はある意味で非常に重要かと思います。
ただ、制作者、プロデューサーがプレビューしたときに別にどうということもないという感覚は、大人の感覚では多分そうであろうというふうに思いますし、視聴率至上主義ということよりも、制作者の芸術的センスというか、こういうことが可能であればやってみたいという意欲は当然あると思うのですが、それが子供にとって悪い影響を及ぼしたということからすれば、これはやはり規制せざるを得ない。
また、視聴率至上主義ということはよく言われますが、私は、これは負け惜しみではないのでありますが、我が社は視聴率が先発各社に比べて相当低いのでありますが、視聴率で勝負する、視聴率はもちろん大切だけれども、問題は視聴質なんだ、長い目で見ればテレビの勝負は質だ、こう常日ごろから社内で言っているものでございまして、先と言われるような、とにかく追いつけ追い越せというようなことでハッパをかけるということは毛頭やったことがございません
それは、先ほど言いますように、視聴率至上主義、あるいは視聴率が一%あるいは〇・一%によって、あらゆる関連の業種がする企業戦略にまで影響を与えるということが今の映像の世界の実態だと思うのですね。そのために、いろいろな視聴者に対してショッキングな映像あるいは刺激的な映像がどんどんエスカレートしてしまう可能性がある。 ですから、放送法というのがありますね。
私は、自由化をされる中でも、オークション制度の議論とかいろいろなものを経て考えるに、高く落札をするところに使わせればいいじゃないか、そうもいかぬ、そうやっていろいろ考えていくと、やはり放送の場合をとって言うならば、視聴率というのがありますが、どうも最近の番組の構成とか、そういうものをいろいろと関係者から風聞するに、今、視聴率至上主義なんじゃないかなと思われる節があるのですね。
一つの尺度として視聴率がありますけれども、視聴率至上主義でない、それを補完するものとして、視聴率を補完するものとしては視聴質というものを考えていかなければいかぬ。
と申しますのも、今マスコミ、テレビのあり方について国民が非常に関心を寄せている中で、ややもするとテレビ番組が視聴率至上主義のもとに制作される傾向が顕著である、また反面、視聴者は概してテレビに対して受け身、受動的であって、視聴者のニーズを必ずしも十分に反映できない立場に甘んじているのではないかというような疑問がわいてきているところなのです。
私ども、最近、この事件に関連して、テレビ業界の視聴率あるいは視聴率至上主義というような話をよく耳にするわけでございます。確かに、私も間接的に仄聞いたしますと、視聴率によってテレビ自体の、放送業界自体の動向がいろいろ変わってきた節もある。そしてまた、ともすると何か視聴率自体が放送界の目的のような取り違いも起こってきておるような現象もなきにしもあらずというような印象を持っておるわけでございます。
○参考人(砂原幸雄君) 視聴率至上主義の問題でございます。 視聴率は視聴者の関心、支持、共感などをはかる一つの尺度でもございます。また、私ども民間会社として収益を支えるファクターの一つでもあるというふうに意識しております。しかし、決して視聴率至上主義ということにのみ走ってはいけない問題だと私は思っております。
○参考人(鴨下信一君) まず、視聴率をブロックするシステムというふうに私は先生のお考えを理解いたしましたが、もちろん視聴率に関しましては、先ほど来話が出ておりますように、まず視聴率至上主義は排する。
視聴率至上主義というんでしょうか、それに流されないためにも本当に各局の番組審議会がしっかりしていただきたいんです。 先ごろ開設しました東京のMXテレビ、これでは番組審議会の一時間番組を放送したそうなんです。
○氏家参考人 その視聴率至上主義という言葉は、視聴率をとるためには非常識なことでも何でもやってもいいというような意味が含まれていると思います。事実、過去にそういったようなこと、つまりやらせの問題がそれなんですけれども、あったと思いますが、やらせの問題は昨今ほとんど影を潜めております。これはやはり、やらせの問題に対する社会的な批判を我々が受け入れて、自浄的に努力したということだと思います。
○矢島委員 今のテレビというものが視聴率戦争だとかあるいは視聴率至上主義と言われているわけですが、俳優の愛川欽也さんなど、俳優、文化人の人たちが「テレビについて話す会」、こういうものをつくられております。その中心メンバーであります愛川欽也さんはこんなことを言っていらっしゃる。「なぜテレビの評判が悪くなったと考えていますか。」こういう質問に対して、「はっきりしています。視聴率です。
○遠藤(和)委員 視聴率至上主義という問題が放送番組の中身に大きな悪影響を与えているのではないかという声が強いのでございますけれども、おもしろおかしくということが報道倫理の低下や人権への配慮を欠くということにつながっているのではないかという心配をするわけですが、このことについてどのように認識をされておるかということを伺いたいと思います。
私は、こうしたすべてのことにはすに構えていく報道姿勢、これがワイドショーの報道の基本スタンスにもなっているわけでありますし、先ほどから出ております視聴率至上主義ということの中では、視聴率をとれるためだったら何でもいいというぐらいの非常に乱暴な考え方がそこにはびこっていくということにつながっているのではないかと思います。
この見解には特に外部からの意見が附帯されておりまして、「番組の不祥事の背景には視聴率至上主義による制作競争があり、これを看過してきた経営姿勢が問題である」等々述べまして、民放連の見解として全社にこれを徹底されまして、その尊重と番組向上への尽力を要請されています。 これは、磯崎会長が就任される直前かもしれませんが、民放連の統一見解、これ、いかがな御見解をお持ちでしょうか。御感想を伺いたい。
○上田耕一郎君 大きな問題として、きょうもいろいろ問題になりましたけれども、視聴率至上主義、センセーショナリズム、愛川欽也さんは「視聴率戦争」という言葉も使っておられますけれども、それが個々の皆さん方放送人のそういう倫理感覚を麻痺させていることがあるように思うんです。 私は、その一つとして、取材対象の歓心を買うために取り入るということが今度もあらわれたんじゃないかと思うんです。
そこで、視聴率至上主義の弊害を指摘せざるを得ないわけでございます。社会の公器としての自覚と責任を持って、要するにそこら辺が欠如していたということについて、改めて放送行政局長のお考えをお聞きしたいと思います。
ユーザーの支払いによって成り立つというものでございますのですが、平成五年度の予算案を拝見いたしますと、多メディア・多チャンネル時代を迎えるとか、あるいは衛星放送、ハイビジョンをさらに推進するとか、一方では難視聴の解消のサービスをやるとか、それから視聴率至上主義でない少数者のためのサービスもやっていきたい、大変多彩な事業内容が掲上されておりまして、それはそれですべて望ましいことではございますが、これはやはり
朝からおっしゃっているように、例えば視聴率至上主義といいますか、妙なところで民放と張り合って視聴率をとりたがる。それからNHKそのものが、これまた民放と張り合ってかどうかは知りませんけれども娯楽性を極端に追求しようとする。それからまた、メディアミックスがありますね。