1954-06-03 第19回国会 参議院 議院運営委員会 第77号
その間、二回に亘りまして欧米の化学工業を視察したほか、朝鮮セメント社長、帝国燃料興業監事、山陽化学工業取締役、西部石炭鉱業会会長、山口県電力協議会会長の職を兼ねて来たものであります。
その間、二回に亘りまして欧米の化学工業を視察したほか、朝鮮セメント社長、帝国燃料興業監事、山陽化学工業取締役、西部石炭鉱業会会長、山口県電力協議会会長の職を兼ねて来たものであります。
会社営業部次 長) 壇上 忠一君 参 考 人 (北海道石炭株 式会社取締役社 長) 舟橋 要君 参 考 人 (宇部興産株式 会社総務室次 長) 俵田 寛夫君 参 考 人 (西部石炭鉱業
一方、西部石炭鉱業会は、会長俵田明君が中心となつて、同年四月分出炭量トン当り十四円ないし十五円の割合により、数回にわけて合計百十二万円余の運動費を徴收して、反対運動を継続し、その一部である大阪部会は、田中彰次、肥田理吉の両君が中心となつて國管反対の街頭運動を展開し、立看板、ポスターなどを多数掲示、頒布したのであります。
○肥田證人 その当時の事情を一通り申し上げぬといけませんが、大阪部会と申しますのは、西部石炭鉱業会というものが宇部にありましたが、大阪だけは二府十四縣を管轄いたしましたのが部会と申します。その部会の中に無煙炭有煙炭もありまして、四十七かと思いますが、私がその炭鉱の初代の会長に推されて会長をしておりました。
○守田委員 本請願は山口縣十市協議会長山口縣森林組合連合會會長、山口縣貨物自動車運送事業組合理事長、山口縣小運送業組合長、山来技研坑木林産組合組合長、山口縣自家用自動車組合理事長、山口縣乗合旅客自動車運送事業組合理事長 〔細野委員長代理退席、委員長著席〕 山口農業會、かやぐち水産業会会長山口縣町村會会長、西部石炭鉱業會會長の請願であります。