1990-04-25 第118回国会 衆議院 予算委員会 第16号
問題は、西部ニューギニアにおける遺骨収集でございますけれども、昭和四十九年度まで四回実施をいたしたのでありますが、その後は、再三にわたる遺骨収集の実施を申し入れておりますが、御案内のとおり、ここはインドネシアの領域になっておりますが、インドネシア政府は日本が同国内で行う遺骨収集は既に終了したという考え方のもとで、許可していただけない状態が続いております。
問題は、西部ニューギニアにおける遺骨収集でございますけれども、昭和四十九年度まで四回実施をいたしたのでありますが、その後は、再三にわたる遺骨収集の実施を申し入れておりますが、御案内のとおり、ここはインドネシアの領域になっておりますが、インドネシア政府は日本が同国内で行う遺骨収集は既に終了したという考え方のもとで、許可していただけない状態が続いております。
○菅原委員 ぜひ大臣にもニューギニアの現地を視察されまするよう、また西部ニューギニアの問題につきましても、外務省と積極的に対応してその突破口を開いていただきまするように強く要望しておきます。 次に、運輸大臣に東北新幹線盛岡以北の早期本格着工についてお伺いいたします。 東北新幹線の建設完成は、国土縦貫高速幹線鉄道といたしまして四全総の中の主眼でもあります。
○政府委員(中村一成君) 海外の遺骨収集につきましてでございますが、昭和四十六年度におきましては、西部ニューギニア、マーシャル諸島、ギルバート諸島及びソロモン諸島につきまして実施をする予定でございます。
遺骨の収集につきましては、主要戦域、先生のおあげになりました以外の地区におきましては、大体におきまして収集ができたかと思うのでございますけれども、なお四十六年度、この四月から、主といたしまして西部ニューギニア、マーシャル諸島、ギルバート諸島及びソロモン諸島について実施をいたしたい、こう考えておる次第でございます。
ついででございますが、申しますと、西部ニューギニアにつきましても四十六年度は遺骨の収集をやるという計画を立てておるところでございます。
それで、先ほどお答えいたしました二千百万円の遺骨処理費の対象となりますものは西部ニューギニア、マレーシア諸島、ギルバート諸島、ソロモン諸島、こういう方面の遺骨の収集に充てるということで予算は計上されたわけでございます。
それから、遺骨処理につきましては、三一ページの五にございますように、西部ニューギニア外二カ所について行なう予定にしております。 それから、三二ページが生活環境施設整備費でございますが、四十六年度は百三十七億円で、四十五年度の九十七億円に対しまして一四一%に当たる額を計上いたしております。
○実本政府委員 四十三年度におきます政府の行ないました遺骨収集は、西部ニューギニアにつきましてと、それからフィリピンのルソン、カミギン、ネグロス、ミンダナオ島につきまして、収集と同時に調査を行なってまいったわけでございます。なお、硫黄島につきましても二回の調査を行なっておるわけでございます。
それから一八ページに参りまして、外地死没者遺骨処理でございますが、これは四十二年度から遺骨処理につきましては計画的に処理してまいっておりますが、四十三年度におきましては、フィリピン、それから西部ニューギニアのビアク島におきまして遺骨処理を行なう関係の経費を計上いたしてございます。 次は、戦傷病者戦没者遺族等援護費は百九十五億四千三百万円を計上いたしております。
また、かねて海外戦没者の遺骨収集について努力してまいったところでありますが、昭和四十三年度においても、本年度から実施されている遺骨収集計画の第二年度として、フィリピン諸島及び西部ニューギニアのビアク島について遺骨収集を行なう予定であります。 以上申し上げました事項のほか、厚生行政を推進するにあたっては、なお重要な課題が少なくありません。
また、かねて海外戦没者の遺骨収集について努力してまいったところでありますが、昭和四十三年度においても、本年度から実施されている遺骨収集計画の第二年度として、フィリピン諸島及び西部ニューギニアのビアク島について遺骨収集を行なう予定であります。 以上申し上げました事項のほか、厚生行政を推進するにあたっては、なお重要な課題が少なくありません。
それから昭和三十一年におきましては、ビルマ、インド、西部ニューギニア、ボルネオ、この地域について行なったわけでございます。昭和三十三年にはフィリピンについて行ないました。 それで一応その三十三年におきますフィリピンの収集で概了いたしたわけでございますが、さらに六年ほど経まして、昭和三十九年にインドネシアについて行ないました。
なお、マーシャルあるいはギルバート諸島のほかに、先ほど申し上げましたように、フィリピンのレイテ、それからできましたら西部ニューギニアのほうまで考えております。
○両角政府委員 海外原油の開発計画につきまして、昭和四十二年度の具体的な計画内容は、継続事業といたしまして、北スマトラ沖、東カリマンタン沖、カナダ西部、ニューギニア、サバの五カ地点を行なうことにいたしておりまして、新規の計画といたしましては、アラスカ、南カリマンタン沖、カナダのオイルサンド並びにオーストラリアの四計画を推進をいたす予定でございます。
○両角政府委員 四十二年度の計画につきましては、まだ最終的な段階になっておりませんけれども、計画地点といたしましては、石油資源開発の分といたしまして北スマトラ沖、それから東カリマンタン、カナダ西部、ニューギニア等の諸計画を推進いたしたいと考えております。また帝国石油のサバの計画も推進をいたしたい。
それから三十一年におきましては、ビルマ、インド、西部ニューギニア、ボルネオ、その方面の収集に当たったわけでございます。それから昭和三十三年にはいま先生のお話のフィリピンを収集に回ったわけでございます。それから、ずっと最近になりまして昭和三十九年にインドネシアでの収集に当たったわけでございます。
まず沖繩、台湾関係の戦没者の数でございますが、それが十二万、それから南方八島、これは十万八千、それから中部太平洋諸島が十三万八千、それからフィリピンにおきまして四十九万八千、それからベトナム、ラオス、カンボジアが一万二千、それからタイ、マライ、シンガポール、それからニコバル、アンダマン地方で二万、ビルマ、インドで十六万四千、インドネシアが六万二千、ボルネオが一万八千、西部ニューギニアが八万二千、東部
私、ちょっと調べてみますと、昭和三十一年に西部ニューギニア、当時のオランダ領ですね、北ボルネオ、当時の英領、こういうところの遺骨の収集を実施したときに、いま問題の起こっているインドネシアの遺骨収集計画を申し出たけれども、できなかったのですね。その後三十九年にインドネシアの地域の遺骨収集団というのを派遣して、百四十柱ぐらいを収容しているんですね。
もとより行動期間及び地域の関係上、全部の遺骨を収集したわけではありませんが、予想外の多数の代表遺骨を得ましたことは幸いでありまして、今後になお残されてある西部ニューギニア、セレベス、ボルネオ及び比島方面のことを思うときに、ビルマ方面の残存遺骨の処理は、大使館及び在留邦人の適宜の処置にまかせ、すみやかに前述未派遣の地域の処理を行うべきものと愚考いたします。
第二の従属民族問題につきましては、これは植民地主義を排しまして、西部ニューギニアにからむオランダとインドネシアの紛争については、インドネシアを支持する決議を採択いたしましたが、たまたま、二十二日に、セイロンの代表から、古い型にかわる新しい型の植民地主義が脅威しておる、共産主義を阻止する、こういうふうな意味の発言がありました。
第二の従属民族問題につきましては、植民地主義を排して西部ニューギニアにからむオランダとインドネシアの紛争については、これはインドネシアを支持する決議を採択いたしましたが、たまたまこの際に、二十二日にセイロンの代表が古い型にかわる新しい型の植民地主義の脅威を指摘したわけであります。