2019-03-12 第198回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号
やはり世界にこんな反発を受けるようなやり方はまずいというので、例えば、スカボロー環礁の基地化ということについては手控えると、そしてドゥテルテ大統領と習近平が話をするというふうにして、少し柔軟性を取り戻して、しかし、中国としては、反発、非難を和らげるということに軌道修正しましたが、長期的に見て百年の屈辱、日本や西欧列強にひどい目に遭わされたその屈辱をはね返して、二十一世紀の半ばに強国となってしっかりと
やはり世界にこんな反発を受けるようなやり方はまずいというので、例えば、スカボロー環礁の基地化ということについては手控えると、そしてドゥテルテ大統領と習近平が話をするというふうにして、少し柔軟性を取り戻して、しかし、中国としては、反発、非難を和らげるということに軌道修正しましたが、長期的に見て百年の屈辱、日本や西欧列強にひどい目に遭わされたその屈辱をはね返して、二十一世紀の半ばに強国となってしっかりと
そういう意味では、明治憲法下においては、初めて近代国家が建設された中で、やはりしっかりした国民意識をつくり愛国心を養うと、歴史、伝統に対する誇りを取り戻すことによって西欧列強に対抗していこうとした、そういう志というか思いがあそこにも込められているんではないかと。 そのように考えますと、今の憲法は余りにも無国籍でありまして、前文には日本らしさはどこにも存在しません。
西欧列強がやった、イギリスのインドの支配のようなものもありますれば、日本の例えば植民地と言われている日韓併合、国と国との合意によってなされた、こういうのもございます。 ですから、ここら辺も全く中身を吟味しないまま、とにかく曖昧なまま済みませんというような、事なかれ主義でうまく仲よくやりましょうよみたいな文章になっているんですね。こういう談話であっては歴史的価値は全くないと私は思うんですね。
まさに、明治の時代、西欧列強や外国の脅威の中から日本は独立を守り、そして、後発した国家として富国強兵で国の力を増大させよう、必死にあらゆる人たちが頑張っていた、その人たちの青春を見事描き上げて、我々に大きな勇気を与えてくれたわけでございます。 先ほどの田中良生先生のお話じゃないですけれども、我々、海外へ行けば、頼りになるのはNHKの衛星放送ですよ。
あの封建時代から西欧列強に侵略を免れようとして大国になって、日露戦争やって、第二次大戦やって敗北して、それからまた経済成長やって世界の第二の強国になったと、まあ経済的にね。それからまた今度、どんどんと少子化が進行して、これから先どうなるんだろうかと、はっきり言えば成り行き任せみたいなところがあるんですよね。
非常に奥深い問題、そしてまた西欧列強が行った罪深い行為ですね、これを非常に強く私は感じたんです。 しかし同時に、私は、この日本の国で今直面している問題がこのアフリカの問題と同じじゃないかと。つまり、学力を向上させましょうということで、どんどんこれから授業時間も増やすし、そして専門的知識を高めるためにも教育課程をもっと充実していきましょうと。これはいいことなんです。
つまり、国家神道体制というのは、まことに残念なことに、一元的な、むしろ西欧列強に伍して近代国家をつくっていかねばならないという明治国家の苦渋の選択で、やはり国家の基軸となるものをどうしてもつくらなきゃならなかった。あちらはキリスト教がある、こちらは万世一系の天皇、そしてそれを、皇室祭祀であるとか神社神道であるとか、そういうものを再編して国家神道体制をつくった。
八十年前というのはどういうことがあったかというと、第一次世界大戦でオスマン・トルコが敗北して、その支配下にあったアラブ地域が西欧列強に分断された年であります。それで、そのときのいろいろなトルコが分断されたときにアラブの人たちに対して独立を約束しておきながら、全然それを履行しなかったという歴史があります。
それは、西欧列強がすべて日本を取り囲んで、開国かあるいは植民地か、そういういろいろな、国の独立が本当に侵される状態の中でどういうふうに対応しなきゃいけないか、これが明治維新なんですね。あるいは、第二次大戦のときに日本軍が敗戦になって、日本が占領されている。それが独立の状態です。 そうした、独立が侵される状態というものは、どのように我々はイメージすればいいのか。いかがですか。
今、十九世紀のあたりをやっているのですが、西欧列強が主導する弱肉強食の厳しい国際社会の現実の中で、当時の日本人はどのように生きたのかを生徒たちと考えております。 先日、その教材として、明治二十三年、一八九〇年に起きたエルトゥールル号事件のことを取り上げてみました。
我が国を取り巻くアジアのもろもろの国は、時の西欧列強、欧米列強の植民地支配に席巻をされるというそういう状態にありました。日本は幸いにしてその難を免れて今日に至っております。 では、日本だけなぜ植民地にならないで済んだかと。これは当時の日本国及び日本国民に一つの英知というものがあったからではないかな。
明治時代を迎える以前の近世におきまして、このアジアをめぐる諸情勢にかんがみましても、特に中国、清の国がいかに傾いていったかというようなことをよく見てみますると、まさに西欧列強が植民地政策をとってまいりました。
十九世紀は国際政治のアクターはほとんど西欧列強ばかりでありました。それに対して、二十世紀において新たなるアクターとしてアメリカと日本が登場し、特に日本は非西欧諸国として世界史の主役の一つとして活動したということによって、西欧の世界史が世界の世界史に転ずる上で日本は重要な役割を果たしたのだろうと思います。
この方がやはり見直したい東洋の誇りというか、あの東京裁判は西欧列強が日本を一方的に断罪した裁判、その裁判の影響があの反省とかいろいろな名において日本の歴史認識というものを非常にゆがめているのではないかということを心配してこういうことを言っているんです。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って卑屈、退廃に流れていくのを私は平然と見過ごすことはできない。
しかも、我が国は、何も大げさに振りかぶって申し上げるわけではありませんが、明治以来西欧列強に追いつけ追い越せでやってきた。いわゆる理念型を西欧の文明社会に求めて我が国の経営をしてきた。そういう中で、欧米で長らく実際の経済界で御活躍の長官がこの衝につかれたということを、私どもは冒頭申し上げましたとおり大いに御期待を申し上げておるわけでございます。
すなわち、明治維新以来、西欧列強の脅威にさらされながら、日本は、経済政策においては、生産力の増強を第一とし、国民生活の豊かさは後回しにするという政策をとり、行政システムにおいては、徹底した中央集権体制をとり、地方自治を認めず、国民と各地域に対して画一的な目標を押しつけてきたのであります。
すなわち、日本は明治以降、西欧列強に経済的、軍事的に追いつくために富国強兵政策をとり、海外資源収奪のための海外侵略と軍国主義の道をひた走ってきました。そして、ついには第二次世界大戦においてアジアの諸国に重大な惨禍を残して敗北したのであります。 第二次大戦の大日本帝国のスローガンを思い起こす必要があります。
これは通産大臣が語ったそのものでございますが、まさに私どもは孤軍奮闘になるのかな、アジアをかばい抜くという形がある一面これだけの主要西欧列強の中でどのようにとらえられるであろうかということを私は大変気にしておりました。
私は今、明治維新後ひたすら西欧列強に追いつこうと坂の上の雲を見詰めて歩き続けた我が国が、日露戦争の勝利を過大評価した結果、帝国主義の道を歩んで四十余年、太平洋戦争で破滅したという、ある著名な作家の指摘を思い返しています。戦後の我が国もまた、GNPという坂の上の雲を見詰めてひたすら歩き続けた結果、経済大国と言われるまでになりました。
日本と中国との関係を見ますというと、戦争前の状態、いわゆる日中戦争という問題を見ますというと、その底流には、明治の初めに西欧列強が中国に利権を要求してさまざまな利権を獲得した。アジアにおける日本が、中国の領土保全を行うべき、協力すべき立場にあるのが、西欧的な列強の立場に紛れ込んでやったという面もなきにしもあらずであると思うのであります。