1974-05-17 第72回国会 衆議院 社会労働委員会 第26号
それからその後、昭和二十四年に西日本海事工業株式会社によります、当時陸奥の搭載物資の引き揚げという際に、御遺骨の引き揚げも行ないまして、その際に六百八十四体という御遺骨が引き揚げられております。
それからその後、昭和二十四年に西日本海事工業株式会社によります、当時陸奥の搭載物資の引き揚げという際に、御遺骨の引き揚げも行ないまして、その際に六百八十四体という御遺骨が引き揚げられております。
○辻(政)委員 西日本海事工業というインチキ会社を御存じでしょうが、社長は武岡賢、この人がアメリカ軍から引き継ぎを受けて、そして役人と結託して、簡単に引き揚げられるものは引き揚げておる。遺骨は揚げても売れないから、高く売れる鉄だけを引き揚げて、そして英霊だけはあと回しにしておる。私はそういうふうに見ておる。
○市瀬説明員 ただいま西日本海事工業の話がございましたのですが、ただいま御紹介の通りでございまして、刑事事件につきましては、すでに最高裁の判決が出ておりまして、武岡何がしという者は有罪となっております。
○辻(政)委員 西日本海事工業社長の武岡賢という人は、業務上横領で有罪になった人だ。そうすると、大蔵省の御意見は、この民事裁判が決定しなくても、もはや、こういうものは相手にせずに、入札処分しようというお考えを持っているのですか。
これは、西日本海事工業株式会社が、山口県知事の許可を得て、搭載物資たる燃料、食料品、繊維品、非鉄金属類の引揚げを企てたことに端を発するものでありますが、当時陸奥は、連合軍からわが国に返還されていなかつたので、極東海軍司令部から抗議が来たために、一時この計画は中止されたのであります。
沈没戦艦陸奥艦体中に眠る英霊二千余柱の行政処置に関する件の取扱いにつきましては、過日の委員会におきまして、委員長に御一任を願つたことになつておりましたが、理事諸君と協議いたしまして、本件に関して本日引揚援護庁第二復員局残務処理部長初見盈五郎君、西日本海事工業株式会社社長武岡賢君、引揚援護庁長官木村忠二郎君、大蔵事務次官舟山正吉君、以上四名の諸君にそれぞれ本委員会に出頭を求める手続をいたしておいたのでありまするが
○内藤委員長 ただいま、実際にこの引揚げ作業をやつておつた、西日本海事工業株式会社の社長の証言を得たのですが、この証言によりますると、あなたの方のお調べと、非常な数において食い違いを生じておる。この証人の証言は、相当に調べたと証人は述べておるのですが、それによると、二千七百名の乗員があつた、こう言うのです。
○内藤委員長 陸奥が極東海軍の所管の時代、搭載物件の引揚げについて、山口県知事は西日本海事工業株式会社と契約を締結しました。その後引揚げ期間を三回にわたつて延長をしておりますが、その三回目の折は、艦体が国有財産として大蔵省の所管になつていたので、建設省からこの引揚げ期間延長について大蔵省に協議があつたことを御存じですか。
○内藤委員長 昭和二十二年の四月、西日本海事工業株式会社から元戦艦陸奥搭載物件引揚げの許可申請が提出されましたとき、県はどういう観点からこれを許可いたしましたか、特にその経済的なねらい等があつたそうですが、この点につきまして御説明を願いたいと思います。
○田渕委員 先ほど部下のしたことは大体乙号、丙号の書類であるというようなお話がありましたが、昭和二十四年の六月二十日に結んだ山口県と西日本海事工業株式会社との契約は、書類としては甲号でありますか。最初の引揚げ契約書です。
○浦口委員 それでは証人は、その間西日本海事工業の役員と、この問題について会談をされたことがあるかどうか。もしありとすれば、何回ぐらい会談をされたことがあるのですか。
○田渕委員 そうすると、この山口県と西日本海事工業との契約というものはこうなつておるのに、どんどん超過物件が揚り出したというがことがわかつたから、建設省の指示もあり、山口県から納めろというので、山口県へ払つたというのですね。
○鍛冶委員 山口県で西日本海事工業と契約をするときには、これはあなた方と相談の結果やるというのですか、山口県がかつてにやるものですか。