2002-04-18 第154回国会 参議院 国土交通委員会 第11号
例えば、一九九〇年から、今から十二年前になりますか、新宿区の西富久地区というところではずっとこのプランを作る提案の活動をやってきているんですね。この十二年間でプランの見直しは二十回もやっているんですよ。これはもうどこの役所でも、何度も何度も手直しして、最終的にでき上がったものを都市計画審議会にかけるわけですけれども、やっぱり住民組織もそうなんですね。この間に模型も十数回作り直しているんですね。
例えば、一九九〇年から、今から十二年前になりますか、新宿区の西富久地区というところではずっとこのプランを作る提案の活動をやってきているんですね。この十二年間でプランの見直しは二十回もやっているんですよ。これはもうどこの役所でも、何度も何度も手直しして、最終的にでき上がったものを都市計画審議会にかけるわけですけれども、やっぱり住民組織もそうなんですね。この間に模型も十数回作り直しているんですね。
次に、私はこういう都市計画を進める上ではやはり住民合意というのが非常に求められると思うんですが、今も公開の問題言われておりましたけれども、やはり初めから情報を公開し、住民の合意を得るように努力するということは、どの参考人の先生方ももちろん言われていましたが、私もそう思いますが、例えば東京の例で、新宿のよく西富久町というんですか、そこの再開発の事例が紹介をされておりましたが、ここは住民参加の合意形成という
○政府参考人(三沢真君) 昭和六十三年以降、西富久地区の約三割に及ぶ〇・六ヘクタールの土地が買収されまして、その結果、虫食い状態の空き地とか大量の空き家が発生したという事態がございました。このため、居住者が中心となって、平成三年にまちづくり研究会、それから平成九年に更に西富久まちづくり組合というのを結成されまして、まちづくりプランの検討等を行ってきたわけでございます。
それはお認めになって、私は、先ほど来申し上げた新宿区の西富久町とか非常に難しいところも立派におやりになっている、だから、そういうものは時間をかけてしっかりと再開発を進めていくべきだ、こう言うんですが、しかし何件かの中には、本来の公団さんの機能、目的とはかなり逸脱をした結果になっているなというものがありました。そういうものは、しっかりと管理をしていただいて見直していただきたい、新公団に移る場合には。
○島崎参考人 ただいま西富久町とそれから足立区の小台、舎人の用地についてのお話がございましたが、いずれも土地有効利用事業で買収をした土地でございます。 西富久につきましては、ただいま先生から御指摘がありましたように、そのうちの一部につきまして既に〇・六ヘクタールということで買収を進めております。
ちょっと申し上げますと、西富士道路二万七千四百五十二台に対して九千五百二十九台、藤枝バイパス一万六千三百六十九台の計画に対して五千八百七十二台、同じく掛川バイパスが一万一千八百三十五台に対して三千五百二十五台、磐田バイパスは一万三千三十五台に対して四千三百二十一台、浜名バイパスは二万三百八十三台に対して七千二百三十台。ほとんどこれは三分の一というぐらいしか乗らないわけです。
現に西富士開拓では酪農へと転換をしているのが事実です。 そもそも戦後すぐの徒手空拳のとき、言語に絶する食糧難に加えて、農具も資金も肥料も何もかもないない尽くしそのものであったときに、いかに開墾せんとするも、火山礫で固まっている土地を開墾できるわけがない。ちょうどこの開墾状況につき、本年の七月十二日、甲府地方裁判所において以下のような証言が行われています。
そのほかに、西富士有料道路、こういう計画もある。国道百三十九号線バイパス、別線になっている。そのほか、これまた山梨県に対してのいろいろな計画もある。それから静岡県にもまた計画がある。 こういうふうにしてやってみると、自然を保護するのだといいながら、こういう計画が国の手によって進められているということは、どういうことなんですか。
ただし終戦直後、西富士の演習場が実はありまして、そこで私は開拓事業を行ないましたその責任者でありましたし、つい最近まで、市長になるまでは静岡県の開拓連の会長でありました。したがって、あの当時米軍のいわゆる演習場または爆撃演習場ということでお話がありましたけれども、私は先頭に立って地域の住民の人たちと一緒になって米軍との折衝をし、とうとうあそこの演習場化を阻止したその当時の責任者であります。
静岡県の西富士の開拓農協のように、非常にすぐれた経営をし、農家自体もすでに全体で三千頭をこえている酪農をやっているというところもございますし、なかなかそうもいかないということで、土地を売ろうかというところまできているところもあるやに聞いております。
○鈴木強君 旧陸軍西富士の演習場それから旧陸軍少年戦車学校の土地がもともとこの払い下げをした国有地であったわけですが、これが農林省に昭和二十二年の十月二日に所管がえがなされて、その後富士開拓農業協同組合に売り渡されたのが二十七年七月一日、それから上井出薪炭林組合に売り渡されたのが昭和三十六年三月二十八日。それからが問題でしてね。
この前の懸案事項になっておる旧大蔵省の国有財産であった、この前質問の旧陸軍西富士演習場、旧陸軍少年戦車学校の跡地、これが農林省に所管がえをされ、昭和二十七年七月一日に富士開拓農業協同組合に売り渡されている。そのときの値段もう一回ひとつ教えてもらいたい。それから今度上井出薪炭林組合に昭和三十六年三月二十八日に売り渡されている。と同時に、この前増反組合のほうにもたしか払い下げておったと思うのです。
ところが東富士、西富士、富士の演習場は、あそこに行ってみればわかりますけれども、低い丘陵地帯があります。そういうところは非常に韓国の地形とも似ている。したがって、沖繩で演習のできない海兵隊がいま富士にやってきて、先ほどからあげましたように何回にもわたって各種の演習を行なってある。そしてそのねらいは、まさにチャップマンやムーラーの証言の中にもはっきり出てまいりますように、これは対韓作戦ではないのか。
○鈴木強君 えらい不確定なお話なんでしてね、正式に言うと、さっき私が、国が払い下、げた場所というのは上井出地区の旧陸軍西富士演習場、それから少年戦車兵学校のあったところですね。だからこの西富士のこの地区が建設省の考えておる砂防十カ年計画ですね、大沢くずれの計画の中にかかっているのか、かかってないのかということは、これはきわめて私の重要な質問をしようとするところの要素なんですね。
委員長 西富吉之助君 理事 藤野 繁雄君 土田國太郎君 小酒井義男君 東 隆君 委員 井上 清一君 入交 太藏君 木内 四郎君 安井 謙君 豊田 雅孝君 平林
また昨日二十四日佐世保からの電報によりますればアメリカ兵三名がくつ直し屋の西冨隆当三十五才方におつて、金を払わずにビールを飲ませて、その西富を山に連行して金九千円をなぐつて強奪した、しかもそれがために西富に治療一週間を要するの傷害を与えた、すなわち強盗傷人事件が昨日勃発いたして、アメリカ当局とわが方の当局が協力して、その犯人捜査にあたつておるというように報ぜられておるのでありまするが、はたしてこういう
こちらから案を出すにも文相当日にちがかかる、それに対して向うが代案を出して来る、又こちらが代案を出して来る、折衝の結果、御案内のごとく大分県の久住であるとか熊本県の阿蘇、西富士地方であるとか、いよいよ取らんということに確認される地域もだんだん出て来ておるわけでありまして、一日も早くまとめたいところでありますが、できるだけ地元の希望を入れ、農耕地等もつぶさないようにしたいというために今延びておる所が多
それからもう一つは、西富士に昔の戰車学校がありますが、あそこに開拓者の子弟を集めまして、これは農林省の委託事業でありますが、開拓者の子弟の養成所があります。