1980-02-07 第91回国会 衆議院 予算委員会 第8号
ここに地図を持ってまいりましたけれども、マシーラ島というのはアラビア海に面しましたオーマンの小さい島でありますけれども、背後にサウジアラビア、イラク、イラン、アフガニスタン、西パキスタン、インド、こういう非常に重要な地域を——余りきれいな地図ではありませんが大体位置はわかると思います。そういういわば要衝の地であります。
ここに地図を持ってまいりましたけれども、マシーラ島というのはアラビア海に面しましたオーマンの小さい島でありますけれども、背後にサウジアラビア、イラク、イラン、アフガニスタン、西パキスタン、インド、こういう非常に重要な地域を——余りきれいな地図ではありませんが大体位置はわかると思います。そういういわば要衝の地であります。
○中野政府委員 御指摘のように、その後バングラデシュができたわけですけれども、日本との契約は西パキスタンとやっておりますから、債務関係は西パキスタンとの関係ということになります。
○政府委員(大和田渉君) パキスタンが、西パキスタン国とバングラデシュの二つに分かれたわけでございます。従来日本は、パキスタンに対する援助を行なってまいりましたのですが、その額は概算でございますが、約七百億円でございます。日本が債権として持っておりますものは、そのうちの約四百五十億円が東パキスタン、つまりバングラデシュにいったというふうに見積もられております。
○政府委員(稲村光一君) ただいま申し上げましたのは、すでにこのバングラデシュに、昔の東パキスタンにある貸し付け対象につきまして、西パキスタン、それに対する具体的な資金の引き出しということは、当面アジ銀としては差し控えておるということを申し上げたわけでございます。
そういうようなわけですから、これは東西両パキスタンが、いずれは私は、これは話し合いが始まるだろうと、そういうふうに思いますが、とにかく西パキスタンがバングラデシュの独立を承認をするというような事態になりませんと、この最終的な分け方ということがなかなかきまってこない、こういうふうに存じまして、これは注意深くわが国としては東西両国間の関係、この成り行きを見守っておる、こういうことなんです。
バングラデシュの現在の政情でございますが、西パキスタンに協力した人たちが一部の地域にそのまま残っておる、また、動乱の最中に武器がそのまま流れて、その回収にラーマン首相はじめ現在のバングラデシュ政府は種々努力をされたわけでございますが、その回収も必ずしも十分にいっていないというようなことで、動乱が終息しましたあとにおきましても、治安の問題についてはなかなか心配が多かったわけでございますが、幸いに現在の
それから最近バングラデシュが独立いたしまして、カラチあるいは西パキスタンの政府との関係が分離したと思うのです。これに対してどういう善処方を——これは佐藤政府もこの国の独立を認めておるわけですから、こういう点について、簡単でいいです。内容はあとでまた私ども資料を見ますから、積極的にやる考えを持っておるというならそれでよし、やる気はないならないでけっこうです。
今後適当なプロジェクトがあり、ぜひ協力をしてくれという事態でありますれば、これはもとよりケース・バイ・ケース、そのプロジェクトを検討しなければなりませんけれども、この協力をするつもりであるし、また同時に、バングラデシュと対立する立場にあるパキスタンですね、まあ俗に西パキスタンともいわれるパキスタン政府において同様な企画がありますれば、これにもまた協力するという、両方に協力する立場をとることが私は妥当
西パキスタンでは比較的によく改良小麦の増殖ができておりまするけれども、これは水の管理がいいからですね。ところが、パキスタン等におきましてデルタ地帯では水はあるのですね。あるけれども、管理が悪いためにそういう米も安定的な生産ができないという事態にある。ダムをつくり、あるいは排水をよくするということ、これはたいへんに金がかかるし、労働力が要る。金だけではございません。
また、国連自身これを中心にしてバングラデシュの救済、同時にパキスタン自身、西パキスタンにおいても救済を要するような実情にある。こういうことでございますから、国連の積極的活動を待っておるというのが現状ではないだろうかと思います。
ところが、人種の違うせいか、役人も軍人も産業界も、いわゆる支配階級の人々はほとんど西パキスタンで占められておったのであります。また、諸外国からのパキスタンに対する援助、東と西を含めての援助でございまするが、その八〇%が西パキスタンで使われておった、東はわずか二〇%であった。
○外山政府委員 インド、パキスタンにつきましては、御承知のような事情の展開によりまして、ごく最近におきまして保険事故事由の認定を東パキスタン、西パキスタン、インド全部について行なっている次第でございます。
引き続きまして、その後の情勢がさらに悪化したということの情報がはっきりいたしましたので、インドから西パキスタンも同様の認定をすぐ翌日いたしました。 現在インド、パキスタン向けの保険残高でございますが、インドにつきましては三百六十七億円、それからパキスタン向けにつきましては二百四億円でございます。
それから同時に、西パキスタン及び——いまは東パキスタン、西パキスタン、同じ国でありますけれども、西パキスタンとインドの場合にはどうなっているのか、大体どのくらいの保険をかけているのか。これは国際収支がそれでなくてもよくないのでありますから、これも当然保険にかかってくるのではないかと思うわけです。
ところが、十一月二十一日、雨季明けになりますと、東パキスタンの印パ国境におきまして武力衝突が起こるという事態があり、その成り行きを憂慮しておりましたが、去る十二月三日に至りまして、これが西パキスタンにも影響を及ぼしてきておるのであります。
これを押えるために西パキスタンの軍隊が戒厳令をしいて片っ端から殺したようであります。インドで聞くと、射殺された者が百万人だという話でありますが、東パキスタンの人民は、間違って殺されちゃかなわぬというので、部落ごとこぞってみんなインドへ逃げてくる。
私は、特に東パキスタンと西パキスタンとの問題、及び、東パキスタンに起こりましたところのあの紛争の解決につきましては、次の時点において考えるべき問題だと思いますが、いますぐに考えなければならぬのは難民の問題だと思うのです。 この東パキスタンからインド領内に流れ込んできた難民、また東パキスタンの領内にあるところの難民、こういう人たちに対していまどのような手が打たれておるか。
四十三年度には、インドネシア、韓国、西パキスタン、インドを調査いたしまして、四十四年度には東パキスタン、インド、中華民国、四十五年度の予算でタイ、ビルマを調査いたしております。これらの調査団の報告書は全部公開いたしておりますので、御要求があれば、もちろんわれわれ提出する用意がございます。
○沢木政府委員 四十三年度にはインドネシア、韓国、西パキスタン、インドの四カ国を調査いたしました。四十四年度には東パキスタン、インド、中華民国の三カ国を実施しまして、四十五年度の予算をもって目下タイを調査しております。
西。パキスタンを調査いたしまして、そのほか技術協力効果の調査を五十カ国についてやっております。四十四年度予算では、インドに対する予備調査、パキスタン、それから台湾に対する調査をいたしました。
経済協力効果の調査につきましては、外務省に昭和四十三年度からそのための予算が認められましたので、四十三年度におきまして、技術協力効果の調査を五十カ国以上について行ないますと同時に、韓国、インドネシア、西パキスタンの調査をいたしました。
パキスタンのほうは、御承知のとおり西パキスタンのほうでございまして、これは奥地のほうでございますが、そこでガスを出しております。そのガスの開発をしてもらうということでございます。
また、近く西パキスタンのほうに電気通信の関係のセンターを開く予定になっております。さらに、セイロンにつきましては漁業センター、タイにつきましてはすでに電気通信センターが活動中でございますし、ヴィールスの研究センターというものも昨年開始をいたしております。また、近く中小企業のセンターも作る予定になっております。
対外的には御承知のようにカシミヤ問題があり、さらに今年になりましてから、東パキスタン、西パキスタンにおきまして、インドとの国境紛争が起っております。
○高岡委員 今東パキスタンのことだけ申し上げましたけれども、西パキスタンには今度は回教文化、これはコーランからきた文化でありますが、これもすばらしいものがあります。これはすべていわゆる回教圏内に通ずる問題ではございますけれども、なぜ回教徒の諸君が豚を食わないかとか、ないしは細君を四人まで持っていいのかとか、一体コーランの解釈自体も、日本においては完全に行われておりません。
それはどういうことかといいますと、私はこの前向うのミルザ大統領と話し合ったことがあるのでありますが、大統領自身も、東パキスタンは農業立国だ、西パキスタンは工業立国に将来持っていこうとするのだといよううな、いろいろな話をしたことがあるのでありますが、この東西両パキスタンは、歴史的に見ましても、経済的に見ましても、相違点が非常に多いのであります。
ただいまのお話の御趣旨の通り、東パキスタンまたは西パキスタンのそれぞれの文化、特に今御指摘の東パキスタンの農業の発展等につきましては、今後文化協定を結びました趣旨に沿いまして、十分研究して参りたいと考えております。