1986-02-20 第104回国会 衆議院 予算委員会 第13号
その作業服に襟章が入っているのかどうかわかりませんが、襟章をつけていかなかった。そうしましたら、何かを持ってきて穴をあけて、二人がかりで当人を捕まえて襟章をつけさせた、こういうような横暴な対応をやっているという状況ですね。
その作業服に襟章が入っているのかどうかわかりませんが、襟章をつけていかなかった。そうしましたら、何かを持ってきて穴をあけて、二人がかりで当人を捕まえて襟章をつけさせた、こういうような横暴な対応をやっているという状況ですね。
私自体が昭和二十二年に登院したときには、海軍の軍服を着て襟章を取って出てきた、あるいは陸軍の軍服を着て襟章を取ってきた国会議員もおりました。そういう情勢下でわれわれは国政に参画したというところもあります。そういう面から見ましてもやや衝動的な面があったと、そして一日も早くアメリカの占領軍を帰して独立したいと非常な強い衝動に駆られておったことも事実である。
相当これに当るからには少佐とか中佐とか、あるいは大尉というような相当な位階の連中であると思うので、今襟章を聞いたのでありますが、そこで、今のお話を当時の現況から見て献上半分、預かる半分という状態にあつたのではなかろうかということが思えるのですが、この点についてはどういうふうに考えられますか。
でありますから、ちよつと常識では考えられないことでありますけれども、そういうような実情にあつたということをお話を申し上げて、それから、さつきの襟章の問題でございますが、あれは、そう言われますと、兵卒じやございませんということは事実です。たしか、何か随員か、そういつたような、副官のような、そういうような人だつたかもしれないと思います。ちよつと話のついでに申し上げます。
ただここの所の襟章が、同じ赤い所でも字が変つて来た、これだけですから、一体十五億、三十億、どこを押せばそういう数字が出るのかまるきり理解できない。要するに北海道の土木行政、自治団体の自治事業としての土木事業の、公共事業の費用がそれくらいなものですから、それですから、どこを押せばそういう殖え方をするのか、とにかく我々は理論的に申しまして一文も殖えない。
たとえばソビエト内における兵隊の数だとか、襟章だとか、飛行機の型だとか、飛行場の位置だとか、そういうものを聞かれた覚えはありませんか。
○淺岡信夫君 これは阿部証人、或いは細川証人、増渕証人、中村証人、いずれでも結構でありますが、ソ側においては日本人の捕虜に対するちやんと決定した書類があるということをさつき細川証人が申されておりましたが、そういうようにいわゆる兵士大会とか、或いは大衆カンパとかいうような場合において、襟章をもぎ取るとか、或いは階級章を取るというような場合において、そういうふうものはちやんとソ側にはつきりと、將校は將校
若しもこれで皆なが帰れなくなつたら大変だ、こう思いましたので、將校全部襟章を取り、大隊長殿と言つてはいけない小林さんと言え、急に白粉をつけましたけれどもナホトカですつかり剥げてしまいました。(笑声)そうしてナトホカ駅に着きまして、先刻申しましたように小林梯團は蒙古でうらぶれた混成部隊でございまして、列車から荷物を降すこと、集結をすること、炊事をすること、如何にもだらしがなかつたのだろうと思います。
ところがそこでアジが始まりまして、趣旨としたところは、將校が襟章を附け星を附け昔の軍國の姿そのままで來た、こういうような点を非常に突いて参りました。私は考えますのに、そういうことはソ連の意図ではないと私は思うのであります。と申しますのはナホトカに政治的顧慮からああいう運動が禁止されたということを漏れ聞いておりましたので、これは意図外に出ておるなということを感じまして、向うの政治部の中佐に直訴した。
○淺岡信夫君 それから各梯團或いは各將校がナホトカに帰つて來るまで襟章を附けておつたり、或いはこういう階級その儘の形で來ておるということに対しては、ソ連当局からそれに対して、こういうものを取れ或いはその儘行けというようなことに対しての許容はあつたのですか。