2009-02-20 第171回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号
そこで、叙勲とか褒章制度、これは今でも消防団の中では十分あるんですけれども、ある程度年数を重ねたりしないとなかなかその対象にならないわけであります。費用をかけずにモチベーションを上げていくというのは、やはり褒めてもらうというのが私は一番有効な方法だと思います。
そこで、叙勲とか褒章制度、これは今でも消防団の中では十分あるんですけれども、ある程度年数を重ねたりしないとなかなかその対象にならないわけであります。費用をかけずにモチベーションを上げていくというのは、やはり褒めてもらうというのが私は一番有効な方法だと思います。
ですから、時代とともに、勲章制度、褒章制度というものも時に変えていかなきゃいけないということは、勲章制度の見直しもやったわけですから、そういった意見があることも承知をいたしておりますし、現時点においても、そのことは可能である、我々も、スポーツの関係者の中からより多くの方々がそういった賞を受けられるような、そういった考慮もこれからしていきたいというふうに考えております。
○工藤委員 今いろいろ御説明をいただいたわけでありますけれども、等級による区分をなくして、現在の褒章制度のような、より広範な適用といいますか、現在の時代背景に考慮した制度につくりかえる必要があるだろう、このように思うわけでありまして、懇談会の今後の活動方針について改めて説明をしていただきたいと思います。
それから一方、褒章制度の方で申しますと、せっかくあります褒章で活用されていないものも大分出てまいりました。例えば緑綬褒章でございます。この緑綬褒章というのは、「孝子順孫節婦義僕ノ類ニシテ徳行卓絶ナル者」という規定でございますので、なかなか現在に適用しにくい。
あらかじめ申し上げますが、私自身は叙勲制度そのものについては、本来は、人に役所が順番をつけるような話というのは適切なものではない、制度自体をやめるべきだと私は思っておりますが、そうはいっても現実に今、叙勲制度、褒章制度が存在をしています。存在をしている以上はよりできるだけ公平に運営をされるべきだと思っております。
そうしたことと関連しまして、褒章制度の問題で賞勲局の方にお尋ねをしたいと思います。 最近の社会問題となっているものに、校内暴力の根源とも考える子供の家庭内暴力、子の親殺し、離婚の増大など、家庭のきずなの崩壊といったものが多発しております。
と同時に、こういう表彰というか褒章制度をより民主主義的にというのですか、一部の特権的な人でなくて、多くの人々が享有できるような発想へと賞勲局も変わっていっていただいた方がいいような気がしますが、もう一言御答弁いただけるでしょうか。
私は、これは内部的な問題でありますが、栄典制度あるいは褒章制度等におきましても婦人の評価というのはいままで低かったのではないか。
褒章制度の活用についてでございますが、特に前向きの御見解を承りたいと思います。 実は一昨日の予算第一分科会で、私は社会福祉の向上のため無償で奉仕活動を行っているボランティアの人々に対し褒章への道を開いてほしいと要望したわけですが、政府は褒章の運用基準を改め藍綬褒章授与対象者にボランティア活動者も含める、そうした答弁をいただいたわけです。
そういう意味でもこの褒章制度は大いに意義のあることだと思っております。 それから、戦後とかく利己本位に走りまして他を顧みないというのが、これまた子供のころからの競争社会の常で、よくあることでございますから、むしろ学校教育の中でも進んで連帯というものが必要だ、いわゆる個人というものが社会の中で生かされているということでの連帯責任というふうなものも必要かと思います。
この褒章制度ができてから従来いろいろと褒章をそれぞれの方々に政府は贈ってまいりました。ただいま贈ることを遠慮していると先生御指摘でございますが、それは恐らく緑綬褒章のことをおっしゃっているのだろうと思います。
そういう意味では、褒章制度というものがもっと積極的に今後とも活用されてほしいというふうに思います。
○有田一寿君 きょうは、国連大学のこと並びに褒章制度のこと、さらにもう一つ入学基準あるいは留年、卒業のこと、以上三点について、時間が短いわけですけれども、十分余りずつ質問をいたしたいと思います。
政府の褒章制度は隠れた人材を発掘しようということが趣旨でございますから、私どもいまお話を聞いて当然そう思いますが、それがもし行われていなければ、そのやり方についても検討せざるを得ないだろう、こう思います。
ところが日本でその思想に基づいて教育されたその中に、褒章制度といって、孝子節婦を表彰する制度が総理府にあるわけです。賞勲局にも紅綬褒章、緑綬褒章あります。どうですか、総務長官。あなたからひとつその褒章が、私はたしか二十八年から一切発行されてないと、渡されてないと思いますが、どうですか。植木総務長官のときに私はお尋ねしたことがある。一回、それを聞きたい。
○茜ケ久保重光君 いろいろとまだお聞きしたいと思いますが、時間が余りありませんのでありますが、褒章制度というのがありますね。奇特行為者を表彰するために栄典として授与する褒章というのがあって、紅綬、緑綬、黄綬、紫綬、藍綬、紺綬の六つがあるようです。この中で緑綬褒章は昭和二十九年を最後にぷっつりと姿を消したようであります。
○茜ケ久保重光君 最後に、先ほどあなたのお留守中、褒章制度につきましてお尋ねしたんですが、御承知の褒章の中に六つありますね、紅綬、緑綬、黄綬、紫綬、藍綬、紺綬と。この中の緑綬というやつがいわゆる「孝子順孫節婦義僕」なんていうのがありますね。そういうのがあるでしょう。これがその対象だったんですが、これを見ると昭和二十九年からほとんどストップしています。これは何といっても封建時代の観念ですね。
○原(茂)委員 それでは、跡利用に関する問題を一応これで終わりまして、次に、問題を変えて、褒章制度について少しお伺いをしたいと思います。 この間、春の叙勲で河合堯晴氏が、決定した後に辞退をされたのですが、そういう例は過去にあるのでしょうか。
さらにまた、紫綬褒章等の褒章制度があったわけでございます。 御案内のとおり、これらの点につきましては、どちらかと申しますと精神的な顕彰の制度でございます。物質的なものではございませんで、精神面でこれを顕彰していくという制度でございます。
そういうことで私はこういう褒章制度を、いま総務長官はこれからは推薦者があればやるとおっしゃいましたが、私は日本には親孝行者が二十年間一人もいなかったとは考えたくない。また、主人が死んで、子供を大学に出すのに、お手伝いをやって夜なべをやっているおかあさんも私はたくさんいると思う。そういうものを表彰してこそ新しい日本の心は帰ってくるのじゃないですか。
戦後になりまして百四十四名に対して授与せられているのでありますけれども、そのうちの百四十一名というものは、昭和三十年に褒章制度が改定になりまして黄綬褒章というのができまして、黄綬褒章該当者が百四十一名でございます。したがって、戦後は二十五年に二名と二十七年に一名の三名が、この徳行卓絶せる者ということで緑綬褒章を受けておられるのでございます。
それを裏づけるようにして、日本には褒章制度というものがあったわけであります。緑綬褒章というものがある。そういうものが一体どうなっておるのか、ひとつ賞勲局長か総務長官からお答えを願いたい。
その作業そのものについて危険度が高いということ、その危険度が高い、そういう方々に、三十年も四十年も勤務したのに、ただ数で比例配分的な、そういう考え方で褒章制度を適用していく、そういう考え方自体が私どもにはよくわからない。もう少し認識を新たにしてもらいたいと思うのですが、その点についてどうですか。
その中で、やはり長い歴史を持っておる一つの褒章制度の中で、三十年つとめたら何らかの気持ちを持って報いてくれたんだ、そういう精神的な安定法の一つだと思うのです。そういうものを、ただ形式論であったり、数字論なり、また他の省との関係、他の産業との関係というくらいのことで配分をしてもらうということは、団員としては割り切れない感じを持つわけですね。
○佐久間政府委員 本件の場合には、先ほど来御質問なさっておられますように、いろいろな背景の事情がございますので、これは別といたしまして、一般に五百万、六百万も市の公共のために寄付がなされました場合におきましては、これは市当局としては、感謝の意を表するだろうと思いますし、国の褒章制度といたしましても、紺綬褒章でございましたか、そういう制度もございますので、私どもの扱っておる場合におきましても、地方公共団体
そうして新しい観念で出発しなかったらですね、せっかく褒章制度を直すとなれば、もっと近代化するということを言っておるならば、いままでのような明治時代のことばをそのまま使っている、徳川時代のようなことばを使っているんでは話にならないんですから、直していかなければならないのではないか。
生存者叙勲が復活いたしましてからは、従来の褒章がそのままでよろしいか、つまり、御承知のように、戦前におきましては勲章というのは大体軍人、公務員関係中心で、民間は褒章関係ということでやってきたのでございますが、生存者の叙勲が昭和二十一年に停止になりましてからは、褒章制度というものがその後運用されてまいりました。