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14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1962-09-01 第41回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

この管理貿易のもとで、アメリカに一方的に有利な複数為替レートによって行なわれ、輸入物資に対する自由選択の権利もなく、対等な対外取引権もなく、債務としての事前の契約は何一つなかったのであります。それのみでなく、国民の支払った輸入代金積立金は、円資金として当然残るべきはずのものも、貿易上の補給金として使われ、アメリカに吸い上げられてしまっているのであります。

鈴木市藏

1962-04-27 第40回国会 参議院 大蔵委員会 第30号

しかも、これは複数為替レートといいますか、品物ごとによるレートというふうな形で行なわれたものを平均して、輸出が一ドル三百四十円になっておるのですね、平均して、輸入の場合は一ドル百六十円ということですね。こういう大きな開きがあるわけです。だから、これを同じレートにして換算した場合に、六億五千万ドルの輸出価格というものは少なくとも十三、四億ドルになると思うのですね。そういうことになるわけです。

荒木正三郎

1962-04-20 第40回国会 参議院 外務委員会 第15号

当時の貿易の基礎は複数為替レート制であります。同時に、対米輸出その他に対しては、特にその当時の対米輸出に対しては、輸出補給金国家予算の中から支出されたことは皆さん御存じのとおりでありまして、この輸出補給金という形で、日本国民全体としては、生産費以下の輸出が行なわれ、輸出補給金の支出という形で、実は日本の国費の負担において、アメリカ貿易業者は、いわば不当な利潤を受け取っていた。

野々村一雄

1962-03-06 第40回国会 衆議院 外務委員会 第8号

ただ、日本の場合の見返資金というものは、これは援助物資特別会計法第三条第三項に規定されておりますように、向こうが持ってきた援助物資はそのままこちらに見返資金として積み立てる、その等額のものを積み立てる、こういうことをわが方できめたのでございまして、その前にいろいろと受けておった援助物資代金というものは、あるいは複数為替レートのしりぬぐいになったり、あるいは価格差補給金になったり、そういうことで非常

小坂善太郎

1962-02-13 第40回国会 参議院 予算委員会 第3号

それから物を輸出いたしますのに、その当時は複数為替レートで三百六十円ときまっておりません。私の記憶では、綿製品輸出いたしますと、二百七十円の綿製品で一ドルかせぎました。生糸は四百二十円で一ドル、医薬品その他の化学製品は六百円余りで一ドルしかかせげない。国内で六百円のものを買いましても一ドルしかしない。じゃ、国内ではもっとそれ以上の金を出さなければならない。

池田勇人

1962-02-09 第40回国会 参議院 本会議 第8号

その金がどういうふうに使われたかと申しますると、先ほど申し上げましたように、複数為替レートで、そうして輸出補助金とか輸入補給金、こちらへ、安定帯物資というものがございまして、価格も非常に押えておった。外国から物を入れましても、安く売ったために、その補助金輸入物資代金が充てられたのです。

池田勇人

1962-02-02 第40回国会 衆議院 予算委員会 第6号

春日委員 そのプレガリオアの問題ですけれども、これは当時アメリカ占領軍がオールマイティでありましたころに、御承知通りわが国為替相場複数為替レートでございました。輸出円安レート輸入円高レート、それで貿易公団をして買い上げ及び払い下げを行なわせておったのでございまして、当時の貿易資金特別会計は大きな赤字になりました。

春日一幸

1961-03-04 第38回国会 衆議院 予算委員会 第20号

複数為替レートというところまでもいっていない。そういうふうな輸出に対しての差損の問題、それからまた、向こうから物を持ってきましても、石炭六、七千円のものを三千六百円で工場へ売る、その差損におおむね使われたのが事実でございます。従いまして、昭和二十四年に対日援助見返資金というものを置きまして、そして今までの援助物資国内で売り払った金は全部見返資金へ入れることにした。

池田勇人

1955-06-26 第22回国会 参議院 予算委員会 第34号

のものはこれは納付金として全部国庫に納める、こういうことになると、ガットの規定第二条第一項の一般的最恵国待遇の規定なり、こういう点から見て、これが実体的には関税であるというような見方をされますると、国によって要するに非常に差等がつく、不平等な扱いをする、こういう一応の疑念が私は生まれてくるのではないかと思うのでありまして、あの国際通貨基金の協定からいっても、差益の吸収が国別に違ってきますると、やはり複数為替レート

片柳眞吉

1951-11-14 第12回国会 参議院 予算委員会 第15号

で三百三十円というのはどういうところから来るかと申しますると、御承知通りあの当時は複数為替レートと申しますか、品目によつて一ドル対何円というのがきまつております。多分あの頃は化学薬品等は五百五、六十円だつたと思います。又陶器類は五百円程度であつたでしよう。それから又生糸は四百二、三十円だつたと記憶しております。それから輸出の大宗であるところの綿製品は二百七十円程度相場であつたと思います。

池田勇人

1951-11-12 第12回国会 参議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第16号

どこへ行つたかわからないというような言葉は惡うございますが、複数為替レート的なものという……これは補助金になつてしまつたのであります。これでは折角アメリカ援助があつてもはつきり国民が知らずにおつたのじやいかんというので、大蔵大臣になりまして、対日援助見返資金というので積み上げたわけであります。その積み上げた金額は八億六七千万ドルになつております。

池田勇人

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