1965-10-26 第50回国会 参議院 社会労働委員会 第3号
研究の成果は工場の製品の製造等と違いまして、一カ所だけを拡大すればそれだけ製造能率が上がるというように算術的にはいかない点があるのでありまして、どこで有効な業績があげられて、どこで誤った研究の結果が出てくるかわからないという事情にあります。
研究の成果は工場の製品の製造等と違いまして、一カ所だけを拡大すればそれだけ製造能率が上がるというように算術的にはいかない点があるのでありまして、どこで有効な業績があげられて、どこで誤った研究の結果が出てくるかわからないという事情にあります。
その場合に、現在車両の新造計画としては、いろいろな輸送効率、製造能率、資材の節約その他から考えまして、十五トン車を主として製造いたしております。比較的十トン車が少いのでございまして、十トン車をお待ち願えればそれを配車するような仕組みになっておりますが、これを十五トン車でもいいからくれ、おれは積むからとおっしゃる方には、十五トン車を配車するのであります。
本案はその目的にありますように、航空機及び航空機用機器の製造及び修理の事業の事業活動を調整することによりまして、国民経済の健全な運行に寄与すると同時に、航空機及び航空機用機器の製造及び修理の方法を規律するのでありまして、私は本案の通過によりまして終戦後数年間空白状態になつておりました我が国の航空機製造事業に規制或いは許可することによりまして、航空機製造の制度の上に或いは製造能率の上において国利民生に
私ども印刷局の職員は、銀行券を中心といたし、国会関係、郵政関係等の印刷物を製造いたしておりまして、生活に追われながらも製造能率向上のために、作業上の悪条件と克服いたしまして、現在増産の実をあげております。しかしながら、貧しい職員の生活は、去る四月印刷局当局に提出いたしました給与ベース引上げの要求となつて参つたのでございます。
○藤野繁雄君 各工場に割当てられるところの数量は、各工場からの希望によつてやられるのであるか、或いは政府のほうで製造能率を見計らつてやられるのであるか、その点をお尋ねいたします。
○藤野繁雄君 アルコール専売公社のほうで専売特別会計で製造能率その他から数量を決定したならば、その原料については製造業者の随意であるかどうか、その点お尋ねいたします。
従いまして、国内の文化の向上と相まつて、現在の製造能率がいかがなものであるかという点についてお聞かせ願いたいのであります。
従いまして、これらの許可、認可、またこの製造にあたりまして、たとえばブラウン管の製造能率が非常に低下しているという話を聞くのでありますが、ブラウン管の製造能率とその歩どまりのパーセンテージは現在どのくらいになつておるか、お伺いをいたします。
これはおそらく一人当り、一時間当りの製造能率から御検討になつたと思うのでありますが、過去においてどういう実績があつたか。現状はどうなのか、将来はどうなのか、そういうお見通しを承りたい。
これはやはり戦時中相当混乱の時期があつたのでありますが、だんだん安定とともに、山方面の製造能率が上りまして、最近においては――輸出を対象とすることでありますから、いくらでもこしらえてよいとは言えないのでありますけれども、所定の数量には達しているのであります。これは需要がふえれば、さらに供給をふやし得る可能性もできたというところまで増進しております。
ただいまの黄銅貨幣で製造いたしますれば、私の見るところでは、大体三つの工場を動員して、年間七億枚程度が最も手ごろな製造能率かと思います。ところがこれが先ほど申しました洋銀貨幣になると、溶解の点から言つても非常に困難があります。
私どもといたしましてこれまでやつて参りましたのは、戰爭で製造能率が非常に低くなりましたので、できるだけ早く製造能力の復旧をはかりまして、畳の上においてまず早く戰前に復したい。
商工大臣に先に伺いたいと思いますが、最近におけるわが國の繊維工業の状況、並びに紡績業に対する目下の製造能率、また紡錘機並びに工場の復旧状況及び今後わが國の対外貿易上最も重大な役割を占めておりますこの紡績業に関して、政府のとつておられますところの処置並びに現況及び將來の見透し、大体これについて三百万錘を目標として今やつておられますか、あるいは四百万錘を目標としてやつておられるか、この点について、ひとつ
少くともこの資材の確保ということは、この二千トンのゴムの確保ができて、それを自動車の方に振り向けたんだということだけでは、實際の製造元の方に對してどういう連絡をとつて、製造能率はこれで増産ができるんだという、その見透しがつかなかつたならば、ただあなた方の常に言う、官僚の空論に終るのじやないかということを私はおそれるのである。
私はこれはあまりに戰爭中に空襲があつたために、製造能率が低下したのかどうかしらぬが、ずいぶんな水あめ生産の差だと思う。戰爭が終つたとたん、翌年の一月から八月までの生産高は、少くとも昭和二十年度の戰爭の八月までの生産高よりものすごい上昇率を示しております。しかも食糧危機を叫ばれていたときに重要な澱粉によつてこのあめがつくられておるのであります。