2017-02-23 第193回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号
農水省の調べによりますと、ピーク時の昭和三十四年には全国で千八百七十一社あった製糸工場は、今はもう七社になっており、もう少し減っているかもしれません。また、絹産業も、養蚕農家というのは、ピーク時二百二十一万戸だったものが、平成二十四年には五百六十七戸まで減っています。これは和装離れがあり、そして需要がなくなったからだということも言われております。
農水省の調べによりますと、ピーク時の昭和三十四年には全国で千八百七十一社あった製糸工場は、今はもう七社になっており、もう少し減っているかもしれません。また、絹産業も、養蚕農家というのは、ピーク時二百二十一万戸だったものが、平成二十四年には五百六十七戸まで減っています。これは和装離れがあり、そして需要がなくなったからだということも言われております。
○国務大臣(太田昭宏君) 例えばYKKが来春の北陸新幹線の開通ということを見越して本社機能を東京から富山県の黒部に移すということや、あるいは圏央道ができて山梨と、先生の、富岡製糸工場も近く非常になるとか、流れが非常に変わってきます。
そして、富岡製糸工場へ行ったら、理事長さんが越智さんに向かって、越智さん、もう自分たちの代でこれ滅んでしまいそうで大変心配しておるんで、工場を買い取ってくれというようなお話があったようですが、残すためには自分が買い取っては駄目だ、支援してまいりましょうと。 じゃ、支援者は誰かということでいろいろ物色、物色というのは悪いんですが、人を調べてみたところ、メーカーズの貞末さんと会うことができたと。
また、器械製糸工場も二工場となりまして、五年前と比べて四工場減少いたしております。それから、種でございます蚕種製造業者については、業者数は五社となっておりまして、五年前に比べて一社の減少でありますけれども、蚕種製造数量はほぼ半減しているところでございます。 また、平成元年度と比べますと、養蚕農家数、繭生産量は共に五十分の一、二%の水準まで減少いたしております。
行先のほとんどは上州か諏訪の製糸工場だったが、とりわけ器量の良い娘は東京へと買われた。そういう娘は値がちがうから、果報だと噂された。 こういうふうな文章があります。 私の郷土宮崎、ゴルフのダンロップオープンが開かれるシーガイアというところがございます。佐藤棟良さんという方がつくられたんですけれども、残念ながら、バブルの崩壊で外資の手に渡りました。
○国務大臣(小坂憲次君) 御指摘の富岡製糸工場は、明治政府の殖産興業政策の一環として最初に設置をされました直営工場でございます。
したがいまして、この例えが適当かどうかはわかりませんが、私はよく内部で、かつて富岡でも製糸工場というものが官営工場でできた、それが民間の産業をつくるのに役立った、だから、こういう事業再生みたいなものも、ある程度官が後ろにいるような形で複雑な利害の調整なんかが進んでいくような仕組みをつくる必要があるんじゃないかと考えたわけでございますが、同時に、しかしその手法というのはマーケットを重んじた、市場の規律
福知山では、京都の繭は京都の織物にと活路を見出そうとしますが、京都には製糸工場がもう一カ所もありません。そこで、島根の第三セクターの製糸工場まで繭を送っているわけですが、そこでは、県が負担している工場でなぜよその糸をつくらなければならないのかというような意見も出ていて、製糸工場を確保するのさえ安定しているとは言えない状況にあるわけであります。
製糸工場で働く人たちからは、特にこの点従来どおりという希望が多いのでありますが、一方養蚕農家の立場に立っても、ここのところは影響が少なくありません。 例えば、平成七年の繭代の精算のおくれによる取引の混乱、あの状況を見ても生糸加工費の算定というのはなくしてしまってはならぬなというようなことははっきり言えるわけであります。今後ともこの措置を継続すべきだと思うが、いかがでしょうか。
○谷本巍君 それからもう一つ、今の問題と関連しますが、製糸工場の操業度の維持の問題について若干伺っておきたいことがあります。
谷野さんは戦前、戦前は労働省はなかった、内務省の官吏として、日本で初めての女性の工場監督官として全国各地の工場の調査、指導をされてきた方で、戦前の日本の主要な産業だった紡績、製糸工場にも泊まり込んで、女工さんと一緒に体験し、その中で調査をされてきた。そういう体験を振り返って、「深夜勤がいかに疲労し、人間性をそこなうものであるか、体験してわかっています。
それならこれによって養蚕家が救われ、絹業家も救われているかと調べてみますと、この一元化輸入が実施されました昭和四十九年には養蚕農家数は二十八万一千戸、現在七万四千戸、それから繭の収量は、四十九年は十万二千トン、現在は三万五千トン、製糸工場は、四十九年には四百六十三ございました。現在は百四十五に減っておるのです。
何となれば、少なくとも過去の養蚕業の推移というものがどのような経路をたどってきたかということは、明確に統計、数字が示しておるわけでありますが、例えばこの一つの面は昭和五十年以降、養蚕農家の数が五四%まで落ち込んでおる、それから桑園の面積が三〇%落ち込んでおる、それから繭の量が四五%、それから製糸工場の数が五五%落ち込んでおる、こういうことの推移があるわけなんですね。
御高承のとおり、組合製糸とは、養蚕農家が共同出資をして製糸工場を設備し、みずから生産した繭をみずから製糸加工して生糸を生産して付加価値を高め、さらに販売に要する諸経費を軽減するために共同販売を行い、その利益を養蚕農家に還元し、農家経営の安定と向上に役立てるための組織でございます。
また、一九六五年、昭和四十年には、南フランスにあった唯一の製糸工場というのが閉鎖されているというふうに言われております。 私は、フランスの蚕糸業の崩壊の原因も、またその間に講じられた政策というのも、今日の日本のそれと対比してみますと、かなり似通った点が多いというように思います。
残念ながら政府の力が弱いのか、農水省の力が弱いのか、私たちの力か弱いのか、皆さんの御期待に必ずしも報いておらないわけでありますが、その中で特に乾繭、繭ですね、繭が不足をする、繭の相場が上がってくると、組合生糸はそんなことはないんですけれども、ひとつ繭を輸入してくれというようなこともぼちぼち言われておるんですが、これについて実際製糸工場をやっておってどのようにお考えになっておられるのかということが一点
それで日本の製糸工場で引けばこれは結局日本の糸になります。そのために、これが余れば事業団の買い入れになってまいります。そういうことで、これを取り締まらなければいつまでたったって、私は幾ら行政改革をやると言ったって始まらないと。
まさに事業団に納入するために糸を引いておる製糸工場があるような事実がございます。また、納入額に至っては製糸協会の割り当て量の八倍あるいは二十四倍というふうな業者もある、こう言われておりますが、これはどうですか。
このような事態に対して、養蚕農家はもちろん、製糸工場など関係者挙げての需給均衡化策がとられ、懸命の努力を続けているにもかかわらず、蚕糸業の前途はずばり言って悲観的だと断定せざるを得ません。
また、全国至るところにございました製糸工場も、昭和五十年度は四百二十九工場ございました。これが、五十九年度におきましては百九十五という工場数に減少せざるを得なくなってまいりました。
これが、大体昭和五十八年ごろから町の製糸工場も経営がなかなか大変ということで倒産もいたしまして、そうしたら、私たちの組合もいろいろの経費が上がったというようなことで赤字が出始めました。昨年は、たかが知れた少しな額ですけれども、五百万くらいの売り上げのところに三十二万もの赤字決算となったのでございます。ほかのグループの人たちも経営が不振だということで、だんだんとやめて少なくなったのでございます。
桜田さんは、いや堀さん、その提案は大変いい提案だと思う、私は実は繊維業で、あの琵琶湖の北側に日清紡の工場をつくっている、この工場は、製糸というのはいい水のあるところでなければいい糸はできないのです、だから、あそこへそういって製糸工場をつくった、その後だんだんと琵琶湖の水は汚染をされてきて、当初に考えたとおりになっていない、だから堀さん、あなたの提案は私も全く賛成だ、こう言って桜田さんにも賛成をしていただいたことがあるのですが
そしてまた製糸工場に働いている労働者も、工場の操業停止をするというようなこと。国会においては、特別立法にして在庫の放出をするような手当てもした。
繭の生産が減りますと当然国産のくず繭の量は落ちてまいりますし、また、製糸工場といたしましても繭不足ということになりますれば、それまで原料選別過程におきまして原料に回さなかったような繭も無理をして製糸に回すということになっておりますので国内のくず繭の出回り量が極端に不足してくる、こういうことが供給面からの理由でございます。
こういうものが出てまいりますのは、何といっても天然物でございますから、養蚕の生産過程において発生いたしますものもございますし、あるいは一たん製糸工場で受け入れましたものが、その後の原料選別の過程におきまして製糸に適しないものとして、いわばはじき出されるもの、そういったものがございまして、通常でございますと繭の生産量の大体二%ぐらいというふうに考えておりますが、全体の量で幾らかということになりますと、
まあ通常、先ほど申し上げました製糸工場から出てまいります選除繭と申しますか、原料の選別に当たって除外されました繭の相場で申しますと、大体千円ぐらいということでございますが、これとても品質によりまして多少の振れはあるわけでございます。