1973-06-15 第71回国会 衆議院 文教委員会 第22号
したがって、われわれは、こういう文書が幾つもございますが、われわれの判断は共闘をしていたのではなかろうか、つまり文学部の本館封鎖解除は、大学は一生懸命でやろうというのに、おれのほうは知らぬ、学生補導責任はおれのほうにあるのだから、あれはうちの文学部の学生がやっていることだから要らぬことを言うなというような内容のことで拒否してしまったわけです。では、その封鎖を解除したかというと、封鎖は解除しない。
したがって、われわれは、こういう文書が幾つもございますが、われわれの判断は共闘をしていたのではなかろうか、つまり文学部の本館封鎖解除は、大学は一生懸命でやろうというのに、おれのほうは知らぬ、学生補導責任はおれのほうにあるのだから、あれはうちの文学部の学生がやっていることだから要らぬことを言うなというような内容のことで拒否してしまったわけです。では、その封鎖を解除したかというと、封鎖は解除しない。
それから、今度本学紛争を激化させたこと、それから、文学部の一部学生の行動に対して補導責任がある、それから、文学部の入試の延期、中止というようなことが言われているし、四つ目には文学部の授業開始の遅延、この責任になっていますよね。そうしますと、これを調べてみますと、あの筑波移転のときに反対をした。
それで中野氏は、自分がこのような補導責任を全うしない、不適任であるという理由で突然に解雇ざれるということはどうも納得がいかない、しかも今後自分の生活にも非常に影響があるので、人権問題として人権擁護機関において一つその点を調べて何らかの善処をしてもらいたい、こういうふうな訴えが出たのであります。
これは、厚生補導の事務の中心になりまして、全学的ないろいろな企画を立てるとか、それから実際にもこれは当たるわけでございますけれども、要するに、学生に接触いたしまする教官全体が学生を教育するという建前でこれに接触していくということが大事でございまして、多くの大学におきましては、そういう意味で補導委員会というようなものを作りまして、教授の中から補導責任者をきめて、広くこの補導をやっておるというのが実情でございます
その前に、もう少し私の考え方を申し上げておきたいと思うのですが、今までのように野放しで、小さい一年生の子供から全部、だれも補導責任者がなしに場末の常設館で見させることは、これは教育上どう考えましても悪影響があります。そこで子供の興味をそらせるためには、やはりよい映画を、それもいわゆる勧善懲悪式の昔の教育映画では、これは子供に対する文化の与え方としては不十分だと思う。