1971-12-10 第67回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会法務委員会文教委員会社会労働委員会逓信委員会連合審査会 第1号
そうすれば裁判主権を侵すようなこともない、日本のメンツもちゃんと立つ。こういうことで、こうあるべきだと思ったんですが、この点について日弁連の要望書の、いま私が読み上げました意見、これについての政府の見解はどうか、その見解を承りたい。
そうすれば裁判主権を侵すようなこともない、日本のメンツもちゃんと立つ。こういうことで、こうあるべきだと思ったんですが、この点について日弁連の要望書の、いま私が読み上げました意見、これについての政府の見解はどうか、その見解を承りたい。
その点をやはり重要に考えてやらなければ、日本の裁判主権というものの権威に関する、私はそう思う。それをあっさりとアメリカさんの、全部よろしゅうございますということは間違っておる、こう私は思うのです。再審の事由の緩和あたりでも考えなかったかということをちょっと聞きたい。
これは日本の裁判主権というものがあるのですからね。沖繩はなるほどわれわれ潜在主権を持っておった、そしてほとんどの構成は全部日本人である。ところが、例のサンフランシスコ条約第三条によって、残念ながら立法、司法、行政の全部または一部がアメリカの施政権のもとにゆだねられたというようなかっこうになっております。しかし、あくまで主権は日本の国にあったはず。しかしながら、それが妨げられておった。
それは当然私は、一応日本の裁判主権の問題からいっても、裁判に回すべきものだと私は思います、いままでの普通の事件との比例からいって。しかし、それは検察の内容に国会議員がタッチすべき筋合いのものではありませんから、これ以上のことは私の意見だけですが、私は納得できない。どうも起訴猶予にして早く向こうへ帰してしまえ、そういう内容になるのは納得できません。個人の場合には犯人蔵匿になって刑罰を受ける。
検察庁の方ではこういう形でこれを不起訴処分にして、特調の方ではこれを公務中だとして六万何千円かを払ってそれで事を済まそうという、それが裁判主権の問題という重大な問題があると同時に、個人の人権に対する問題があるのです。そういうものを事なくしてこれを済ましていこうとするほおかぶりのやり方というものは、私は立憲政治のもとにおける、人権尊重の政治のもとにおける行政のやり方では断じてないと思う。