1981-04-07 第94回国会 衆議院 本会議 第16号
幸いにも生命をつなぎとめ得た被爆者は、いまなお一様に被爆障害におびえ、現に放射能障害に呻吟し、死と直面している被爆患者も少なくありません。被爆者は、身体的な受傷はもとより、生活上、一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれ、さらに、今日に至るまで社会的、精神的な損失と苦痛に耐えてきたのであります。
幸いにも生命をつなぎとめ得た被爆者は、いまなお一様に被爆障害におびえ、現に放射能障害に呻吟し、死と直面している被爆患者も少なくありません。被爆者は、身体的な受傷はもとより、生活上、一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれ、さらに、今日に至るまで社会的、精神的な損失と苦痛に耐えてきたのであります。
去年の委員会で参考人がおっしゃっていた話の中にも、「被爆障害の学問的究明が三十年たった今日もできていないために、被爆者の不安をつのらせております。世界でただ一つの被爆体験国である点から、まことに残念で、被爆者は救われないという感を深くしているのであります。
被爆者の特殊性を考慮されて制定していただいた原爆医療法によって被爆者の医療対策が進められてまいりましたが、基本的な国の取り組み方が不十分であるために、被爆障害の医学的究明は遅々として進まず、医療法も手探りの状態にあると言えまして、被爆者をいら立たせているわけでございます。ただ一つの被爆国であり、しかも好むと好まざるとにかかわらず、被爆者は人体実験台に乗せられておると私は考えております。
私は、その後、血液の勉強をいたしましたものでございますが、この被爆障害を私の専門である骨髄の障害から見てみますと、この急性期の障害は、いわば急性の再生不良性貧血、つまり骨髄がだめになってしまうという状態でありまして、直後ではなくても、被爆後一カ月以内ぐらいに多数の人がそのために亡くなったのであります。
被爆障害の学問的究明が三十年たった今日もできていないために、被爆者の不安をつのらせております。世界でただ一つの被爆体験国である点から、まことに残念で、被爆者は救われないという感を深くしているのであります。
○小宮委員 それから被爆者の中で、被爆障害によって自宅で療養しておる人とか、あるいは施設の都合で入院できない人が、かなり自宅で療養しておるのですよ。特に寝たきり老人あたりは、その意味では訪診制度というものを非常に期待しておるのです。それでこの人たちが、いま長崎でも原爆病院に三人の訪診医がおるのですけれども、この人たちがずっと回りますと、ほんとうに神様のように喜ばれて尊敬されておるのです。
それではそれは一体どういうふうに解釈すればいいかということになりますと、なかなかむずかしい問題でございますが、まず簡単に申しまして、広島の場合と今度の被爆障害の場合との大きな違いを申し上げてみたいと思います。広島の場合はまああのときに爆風とか熱とかいうことを別にしまして、放射能の放射線だけについて申し上げましても、あの場合は相当高い空中で爆発を起しております。