1994-12-07 第131回国会 参議院 厚生委員会 第10号
これが私の被爆教師としての出発でした。 私が被爆したのは爆心地から約二キロほど離れた地点、八時十五分が少しでも前にずれていたら、私は生きていたか死んでいたかほとんどわかりません。 その日、私は学友と二人で、強制疎開によってできた木材を薪にするから持ってこいという教官、元帥範学校教官、当時比治山女学校教官の命を受けていました。
これが私の被爆教師としての出発でした。 私が被爆したのは爆心地から約二キロほど離れた地点、八時十五分が少しでも前にずれていたら、私は生きていたか死んでいたかほとんどわかりません。 その日、私は学友と二人で、強制疎開によってできた木材を薪にするから持ってこいという教官、元帥範学校教官、当時比治山女学校教官の命を受けていました。
○説明員(加戸守行君) ただいま先生御指摘のありました点につきましては、地元の長崎県教職員組合、あるいは長崎の原爆被爆教師の会等から苦情の申し立て等ございまして、その点に関しまして長崎県教育委員会との間の折衝があり、また新聞等にも取り上げられましたので、文部省といたしましてもある程度の事情は承知いたしております。
○国務大臣(渡辺美智雄君) 被爆者、特に認定被爆者の置かれた健康上の特殊な事情にかんがみまして、被爆教師の人事異動等につきましては、配慮方を各省に要望したいと思います。 また、僻地の巡回診療等は十分にこれを活用してまいりたいと存じております。
○説明員(加戸守行君) 本年の三月に発表されました昭和五十一年度末の長崎県におきます教職員人事異動におきまして、被爆教師の方々が僻地、離島へ四十名配転をされたという事実は承知いたしております。
○矢原秀男君 で、被害を受けられた広島の被爆の先生方の「全国被爆教師の会」というのもございまして、非常に教育の中で自分たちの体験を通して平和というものについて一生懸命教育で努力をされておられますが、そういうふうな方々も、よく調べておりますと公開質問状というものが出されております。
○中村(重)委員 広島県では、原爆被爆教師が年四回の健康診断を受ける日は特別休暇扱いにするということと、それから原爆被爆教師が原爆医療法に基づいて原爆認定患者になったときは治療に要する期間有給休職を認めるということが、すでに実施されておるようであります。長崎のほうは、まだこのことが実施されていないというような実情のようであります。
「被爆教師の会」というのが全国的に組織されているわけですが、この「被爆教師の会」が文部大臣に対しまして要望書を出しておるようであります。簡単でございますから、一応私がこれを読み上げまして……。 〔私語する者あり〕