1950-04-28 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第21号
そこで待つておりますと……、その前に、話が前後しますが、監獄を出ますときに、ソ連の護衞兵がその日は特別の正装をしまして、勲賞、徽章のあるものは勲賞、徽章を佩用しまして、一人について二名附いて参りました。で裁判所へ送られましたのは囚人自動車と言つて鍵の付きました真暗な車に乗せられて軍法会議まで参ります。控室で待つておりますと、法廷の方から、呼びに参ります。
そこで待つておりますと……、その前に、話が前後しますが、監獄を出ますときに、ソ連の護衞兵がその日は特別の正装をしまして、勲賞、徽章のあるものは勲賞、徽章を佩用しまして、一人について二名附いて参りました。で裁判所へ送られましたのは囚人自動車と言つて鍵の付きました真暗な車に乗せられて軍法会議まで参ります。控室で待つておりますと、法廷の方から、呼びに参ります。
その死骸を收容所の中に入れてはいけない、衞兵所のところに約一晝夜死んだままの形で道路上に放置をして、これは見せしめであるから、外へ持つて行つてはいけないというので、一晝夜死骸をそのまま放置したそうであります。
衞兵所にその女の看護婦が一名呼ばれたそうです。ところがその看護婦が拳銃で以て、その人を打殺した。それで結局どういうことになつたかと言うと、それはやはり何か怪しからんことをやろうとしたことのために、それが持つておつた拳銃で打殺したというようなこと、そうしてその看護婦はどこかへやられたということを、これは噂で聞いております。
それから三月の初め頃だつたと思いますが、第二分所の衞兵所に將校の中から約二十名ぐらいだと思いますが、交互に呼ばれまして、政治部員の少佐の人とか、先程申上げた見習士官の人から取調べを受けました。履歴と、特に帰つてから君は何をするかということを尋ねられました。自分は帰つたら、若しそれが無事に残つておれば老父の下で百姓をするのだと答えたわけです。
それが手続を貰いましてから收容所長の許可を得て次に衛兵司令の許可を得て、約三百メートル離れました工場の用度課から「らくだ」の車を一台借りて來て、それに重患者を乘せ、そして日本人が一名と、蒙古の歩哨が一名ついて北方の病院に運ぶわけでありますが、その間の手続が殆んど私一人走り廻つてやつたのでありますけれども非常にスムースに行く場合と、不在であつたり、或いは向うの衞兵司令とか或いは用度課長がおつてもなかなかその
從いまして初めの頃は北門の方だけに、北門を出ましたごく近くにいわゆる蒙古軍の衞兵所がありまして、そこには始終蒙古兵の歩哨が立哨しておつたのでありますが、逃亡兵が出るようになつたのが一つと、もう一つは反対側の正門であるところの南門の外側に筏を運搬する河がありまして、そこで夜間作業などが続くようになりました結果、南門の外にも非常に高い望楼を設けて、そこにも蒙古兵がやはり立哨をするようになつたのであります