1998-04-23 第142回国会 参議院 法務委員会 第14号
○政府委員(山崎潮君) 高等試験の行政科試験に合格された方につきましては、この附則で四科目を受ければいいということになっております。これは制度の改廃に伴う一種の既得権的な要請がございます。その後、戦後も商法が選択科目であったり必須科目であったり、科目はいろいろ変わったわけでございますけれども、その都度ここには全部改正を加えておりません。
○政府委員(山崎潮君) 高等試験の行政科試験に合格された方につきましては、この附則で四科目を受ければいいということになっております。これは制度の改廃に伴う一種の既得権的な要請がございます。その後、戦後も商法が選択科目であったり必須科目であったり、科目はいろいろ変わったわけでございますけれども、その都度ここには全部改正を加えておりません。
司法試験法の附則の四条ですが、「高等試験の行政科試験に合格した者」、これは受験資格について特別な扱いを規定しているんです。この受験生の割合というのはどのくらいあるものでしょうか。
今委員の申された制度は、私考えまするに、戦前から終戦直後まで続いておった高等文官試験行政科というのが引きずってきた現在の制度ではなかろうかというふうに思います。 問題は、その国家の試験によってその人のその時点における能力を一応判定し、そしてその人が中央省庁の重要なポストにつくという形での現在の仕組みであろうと思います。
しかし、やがて俊才として頭角をあらわした君は、第円高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科に進まれ、昭和二十二年高等試験行政科、司法科に合格、直ちに大蔵省に奉職されました。以来、津税務署長、大阪国税局総務課長、高松国税局直税部長兼調査査察部長、東京国税局関税部長など、税務行政一筋に力を発揮されました。
平成二年は六十五歳の方が合格されましたが、これは高等試験行政科試験合格者で、試験のうちの一部の受験を免除された方でございます。それを除いた、最初から短答式から受験された方で最高年齢合格者は四十七歳の方でございましたので、この点もとりたてて変化があるということではないわけでございます。
物の本によると、ここへは高等文官試験行政科十番以内の人でなければ昔は入れられなかった。今でもそうだと思うのですね。秀才の集まりの役所だと思うのです。そして、そこでは今長官が説明されたようなあやふやな用語の使い方は一切してられない。一つのテン、一つのマルでも、つけるかつけないかということで激論を飛ばしている、そういう役所だと私は伺っているわけです。
(拍手) 君は、大正七年三月九日和歌山県海南市に生まれ、県立和歌山中学を経て、第三高等学校に学び、東京帝国大学法学部に在学中、高等試験行政科試験に合格、大学卒業とともに厚生省に入省、労働局に勤務されました。昭和十六年四月十八日付、海軍主計中尉に任ぜられ、第六期海軍補修学生として、東京築地の海軍経理学校で猛烈な訓練に従事しました。
私どもは、昔は上級職じゃなくて行政科の試験、こういうので来たんだけれども、これは似たようなものでしょう、ランクからいけば。それはやっぱり全然違うものな、法務省の上級職とは。私なんかでも警視総監になるんだから、不思議なくらいだよ。だけれども、やっぱりこれは試験を通れば機会均等でいいことなんですよね。人によってはもうこれで終わりだ、絶対ここから行けないと、こういう世の中というのは余りよくないんですね。
これは大臣は行政科も司法科も両方通っておられるから詳しいでしょうけれども、後で考えておいていただきたいのですよ。これ、他事目的じゃないですか。そのことを目的とするのではなくて、別のことを目的とするためにやっているので、これは言葉をかえて言えば、報復的な行政処分ということになるのじゃないですか。
○山崎昇君 総務長官にお聞きしますが、私はこの委員会でたびたびこの問題を取り上げておりますのは、公務員の採用試験、御存じのように上級、中級、初級とありますが、その中で戦前の行政科試験みたいに幹部職員という意味で採っておられる。この方々は、採用試験であるにかかわらず一種の資格試験みたいになっている、事実上。したがって、それに合格して採用されますと、もはやその後は何にもない。
在学中に高等文官試験行政科に合格し、昭和十六年、卒業と同時に厚生省に入省されました。しかし、在職わずか十八日にして召集を受け、その後四年有半軍務に服し、終戦のときは海軍主計少佐として復員されたのであります。 そして、昭和二十一年四月、戦後初めての衆議院議員総選挙が行われるや、先生は、同志友人に推されて立候補し、四十八名の候補者が六つの議席を競う大激戦の中で、みごと栄冠をかち取られました。
そして私は、何かしら戦前の行政科試験というのが復活しているんではないか。人事院のやっております試験というのは採用試験です。しかし、実際は特定の者は戦前の行政科試験が復活したような状態になっておって、そして採用された者は最初行くときは、地方では見習いと称している。こういうやり方は戦前です。これは。
そして、在学中に高等文官行政科試験に合格、昭和五年、卒業後直ちに大蔵省に入られました。時あたかも世界恐慌がわが国にも波及し、いわゆる昭和の大恐慌が始まった年でありました。 先生は、新進気鋭の若き行政官として、わが国経済がこの難局を乗り切るために日夜を分かたず奮闘、御労苦を重ねられました。
○諫山委員 もう一点聞きたいんですが、公務員の上級職試験、昔の高文行政科と言われておった人たちの給与体系がいろいろあると思うのですが、この人と、裁判官の給与というのはどういう関係になりますか、そのことだけお聞きします。
これは当時のいろいろな資料から当然はっきりしておることですか、たとえば、清水茂徳君と同期の——この方は逓信官吏練習所第二部行政科を卒業しております。現在ここを出た同級生全部名簿がございます。この名簿によると、ほとんど全部の人が参事あるいは部長あるいは局長あるいはその他課長であるとか、こういう地位を占めておるわけです。
これはまあ私学も官学もないのですが、いわゆる元の高文——行政科、司法科、いろいろなものを取っておる者は資格者というからまあところてんでもないですが、ずっと局長まではいくと、私大出は地方の局長までは、まあまあ地方の部長まではいけると、こんなのはナンセンスだと思いますよ、私は。
戦前におきましても、いわゆる高等試験の行政科を合格した者が法務省の本省につとめるという意味で、すぐに行政科合格者を行政科合格者として本省に採用するということはされていなかったわけでございまして、判事、検事が法務省に参っておったという伝統がございます。
在学中すでに高等文官試験の行政科及び外交科に合格された君は、大正十一年三月卒業とともに直ちに外務省に入り、漢口在勤の領事官補として赴任し、外交官生活の第一歩を踏み出されたのであります。
なお、警察庁について次に三つ目の資料要求をいたしておきたいと思いまするけれども、いわゆる高等文官試験行政科試験に合格をした有資格者、さらにまた警察官上級試験合格者などについて、現在どれだけの実人員がどのようなポストに配置されているか。これらもひとつ資料にしていただきたい。 なお、資料要求がずいぶん百近くあるわけですけれども、早急に御用意いただきたいものとして、次の点をお願いいたします。
私はいま自治省がやっておる幹部の採用試験なるものは、戦前の行政科試験と同じではないか、いわば戦前の内務省の採用試験の復活であって、何かエリート族をつくっているのじゃないかという気がしてしようがない。そうしてこの試験に採用されると、各自治体に対して、あなたのほうは計画的に配置しているのじゃないでしょうか。向こうから配置してくれと言うのじゃない。
ところが、戦後、高等試験行政科試験というものがなくなりまして人事院の試験に切りかわってきて、また、司法関係におきましては司法試験がそのまま残っております。そうして法務省に入ってまいります職員も、現在はそのようなことは少なくなってまいりましたが、従来は、いわゆる高等官に相当する者で全部判事か検事の資格を持っている者でなければ実際上司法行政の仕事をやれなかったという経緯がございます。