1954-09-29 第19回国会 衆議院 運輸委員会 第40号
ちようどそのときに函館乗合バスの組合の書記長の古田君が七重浜の方に家があるので、自分の車で夜の十一時半ごろに家までか行つて帰りしなに、七重浜へ打上げられて生還した十八人の人――頭に穴が明いて悩み子の出た者もあつたのですが、道路の方に上つて来た。それを見つけて、そのバスに乗せて、函館の中央病院へ運んだ。それと同時に別の人が函館の亀田町の交番にこれを急報した。
ちようどそのときに函館乗合バスの組合の書記長の古田君が七重浜の方に家があるので、自分の車で夜の十一時半ごろに家までか行つて帰りしなに、七重浜へ打上げられて生還した十八人の人――頭に穴が明いて悩み子の出た者もあつたのですが、道路の方に上つて来た。それを見つけて、そのバスに乗せて、函館の中央病院へ運んだ。それと同時に別の人が函館の亀田町の交番にこれを急報した。
いろいろのいきさつもございましたが、第二回目は引揚の船と華人を送る船とを別に分けまして、そうして引揚船は引揚船として空で行つて向うから引揚者を乗せて帰る、華人を送る船は華人を送るだけの船として向うに行つて、帰りは空で帰つて来る、こういうような無駄な、無駄なと申しますか非常に二重の手間をかけたのでございます。
日本まで行つて、帰りがどうなるかわからぬということでは、来やしません。こういう話を伝え聞いたら、一体どういうことになるか。これによつてオリンピックを日本に持つて来る試金石にしよう、前提にしようというお考えなら、もつとすつきりとしたものにしなければいかぬと思う。今のような話を聞かれたら、これでは日本にオリンピックは来ませんよ。一千万円に対して四百五十万円である。
私は、アルゼンチンへ行つて、帰りにアメリカに寄り・ましたが、私の調べた内容を水産庁に報告した。水産庁においてもそれまでの認識はなかつた。なあに、松田はいいかげんなことを言うのだろうというのだ。たまたま三国漁業交渉の予備交渉を見、今回藤永部長が行つて、専門的な調査をしたのが私と一緒だ。
それから阿波丸の関係でありますが、これは戦争の末期、昭和二十年に台湾沖でアメリカの潜水艦に沈められた、その前に阿波丸は南方における連合国側の捕虜の救恤品その他を運ぶために、連合国特にアメリカからは安全航行の保証を得まして、標識等もつけ、そうして向うへ行つて、帰りに台湾海峡にさしかかりましたときに、霧が非常に深かつたのと、約束の時間と多少ずれておつて、地点が多少違つているということはありましたろうけれども
行方不明になつたのは昭和二十六年十一月二十五日の午後六時過ぎ散歩に出たまま行方不明になつたという記事であるから、あなたが逮捕せられたときにはたして立ち会つておることが真実であるならば、この新聞報道あるいは週刊朝日、これはあなたにピンと感じられなければならぬのだが、それをあなたは何とやら水戸に行つて帰りに東京新聞とやらの写真を見てやつとわかつたというような――鹿地事件が世の中に発表せられてからわかつたような
または行動区域内だけでそれを許して、行動区域外へお客を運んで行つて、帰りはからで帰つて来いというように、行動区域と中心区域で自動車営業者がやる営業行為に差をつけておられるのかおられないのか。つけておられないならば、何も行動区域だとか中心区域だとか、同じ事業区内で差をおつけになる必要はない。
但しこれは万国郵便会議のほうも六十日で、欧洲に行つて、帰りにアメリカを通つて六十日ということで、一応計算をして見たのであります。飛行機で一周するといたしまして、ロンドン、パリを経由して千八百ドル、スカンジナビアを経由いたしまして二千ドル、駐在費は宿泊料、雑費を合せ一日三十ドルで、六十日と計算いたしまして千八百ドル、一人にいたしまして、従いまして三千六百ドル要るわけであります。
こういうものは、むしろ向うへ行つて、帰りに何か荷物でも積んで帰るというようなものを押えるという場合を除いては捜査上非常に困難があると思うのであります。
尚その石田の家へ安藤が謝まりに行つて帰り遂に、石田の子分両名が、安藤親子を殆んど瀕死の重傷に遭わしたという事件がありまして、これは我々調査の結果によりますと、危うく一命を失うくらいの重傷でありますが、それにも拘わらず、警察は手を拱いて手を着けようとしなかつたのを、漸く告訴があつたので檢挙しましたが、その取扱が頗る緩慢で、かような重大な傷害犯人に対して逮捕状による留置もしないし、又起訴前の未決拘留にもしない
その間において遠い地帯はその金をとりに行つて、帰りに事故を起して協同組合が非常な迷惑をしているというような実情であります。
この小さい町は非常に貧窮な町で、男は春になると和歌山縣方面に出かせぎに行つて、帰りに筆の行商をして帰つて來る。ここに二千二百ばかりの人口がありますが、この小さい町にとつては、これが非常に重要なことで、しかも全國の筆の生産の八割を占めておるというふうに書いてあります。ところがその原料というものは今まで中國から輸入されておつた。