1954-11-19 第19回国会 衆議院 労働委員会 第46号
行つた帰りにエレベーターにみんな一緒に乗つて、ちよつと私は便所に行つて来ると一人はずれて、先ほどは団体で来ましたので失礼申し上げましたが、実は私はそういうつもりはございませんのでどうぞよろしく、こういうぐあいで、これは事実なんです。そういう事柄は常識的に考えてあり得ることなのであつて、何か規制がなければ、決してやるものでないということもわかると思うのです。
行つた帰りにエレベーターにみんな一緒に乗つて、ちよつと私は便所に行つて来ると一人はずれて、先ほどは団体で来ましたので失礼申し上げましたが、実は私はそういうつもりはございませんのでどうぞよろしく、こういうぐあいで、これは事実なんです。そういう事柄は常識的に考えてあり得ることなのであつて、何か規制がなければ、決してやるものでないということもわかると思うのです。
殊にヒロポンはいろいろな網ができておりまして、出て来ても友達が呼びに来る、映画に行つた帰りにひよいと元の同僚に会うようなことから、ずるく入つて行くということを大変私たちの周囲でも聞いているのでございますが、これはやはり後保護施設といいますか、結核におけるですね。
会議に行つた帰りに多分中共に参るだろうと思つております。行くことを許すつもりでおります。そうしてできるだけそういうような施設も見、或いは話ができれば話もして来るということをやりたいと、そういうふうに思つております。こういう気持でおります。
現に私は中山競馬へ戦争前に行つた帰りに、電車に乗つて帰つて来たところが、私の横に一人おいてかけていた人が、あの市川の鉄橋の上から川に飛び込んだ。われわれはそばですぐ足を押えたが、間に合わないでとうとう自殺した。その悲劇をまざまざ見ておる。現在でも予想屋というものがたくさんいますが、あの予想屋は、財産を持つていた人が、ほとんど競馬ですつて、予想屋になつたという人が多いのです。
あるいはまた地方によりまして、何か個人的な恩恵を与えてやつたごとき感じを与えておりますので——和歌山県の何とか村のごときは、あなたの方じやありませんけれども、どこか九州に行つた帰りにもわざわざ和歌山に寄つたということが話題になつております。というふうに、補助金をもらうならば補助金の一割——二割とかいう説もあるのです。補助金の二割は饗応費に充てておかなければならぬという説がある。真偽は存じません。
そういう意味で、この輸送会社の実態をもう少し研究しまして、米を積んで輸送して行つた帰りに、そのぬか袋、あき俵というものをそのトラツクで積んで帰つて来るという方法でやつた方がいいのじやないか。そうすることにおいて、その輸送会社は必要じやないということも考えられるのでありますが、長官はそういうことを研究されたことがありましようか。
○証人(塩谷隆雄君) 実は私は、今度佐藤君が検挙されまして、そうしてああいうように警視庁の内部の相当広範囲に顔が利いておる、上から下までということは、今度の佐藤君の供述内容として新聞に出ましたことを新聞で見て、実は私びつくりしたくらいでありまして、私の保安部長時代、或いは保安部長から消防総監になりまして後会つておりますときでも、自警会の方に行つた帰りに寄つたとかいうふうなことは私に申しておりましたけれども
これを私は、責任を官房長官に追及したくなかつたのでありますけれども、官房長官は昨日一時に開かれる委員会に、二時十五分まで一時間十五分待たせておいて、出席しておいて釈明をしないから、私が追及しましたところが、写真の出ていることは事実でありまするが、あれは風邪を引いて咳に耐えないので、医者に行つた帰りに、お孃さんとちよつと銀の小船を買いに行つた、この写真はちやんと総理に示して、私はどうして出席してくれなかつたということを
これは二十二年十二月の香月町の町有森拂下げ問題、それから時期ははつきりいたしませんが、その頃行われました農業協同組合の役員選挙の問題、これらについて新開町長又は金丸組合長に横暴な行爲があつた、こういうことで江藤清太郎らが共産党などと同一歩調を取りまして新開町長と金丸組合長とをリコールしよう、こういうことで当日は打合せのために縣当局に行つた帰り路だつたのであります。
○本田証人 最初の一万三千五百円は、私の小切手を入れまして——買物に行つた帰りか、その点はつきり記憶しておりませんけれども、小切手で金を借りたのであります。次の一万円は、これも私用のために借りたのであります。それで、その後それを二度にわたつて返済しております。