1954-04-30 第19回国会 衆議院 文部委員会 第29号
実はこの問題は、期日を明確にいたしませんが、新聞紙上に伝うるところによれば、去る三月の二十八日ということであります、そのほんとうの期日は一、二日のずれがあるかもしれませんが、二十八日を前後とする両日の間において、衆議院文部委員長の辻寛一なる者が、同じく衆議院の文部委員である右派社会党の小林進、並びに文部委員。
実はこの問題は、期日を明確にいたしませんが、新聞紙上に伝うるところによれば、去る三月の二十八日ということであります、そのほんとうの期日は一、二日のずれがあるかもしれませんが、二十八日を前後とする両日の間において、衆議院文部委員長の辻寛一なる者が、同じく衆議院の文部委員である右派社会党の小林進、並びに文部委員。
昭和二十九年三月十三日 日本教職員組合 中央執行委員長 小林 武 衆議院文部委員長辻寛一殿 三月一日附資料提出方依頼についての回答に関する件 首題の件につき、本組合中央執行委員会の決定により左記回答致します。
お手許の履歴書の通り竹尾君は昭和七年三月東京外国語学校露語科を卒業し、朝鮮銀行に就職後、報知新聞、東京毎夕新聞、国士館高等拓植学校講師に奉職し、後昭和二十二年四月以来、衆議院議員に当選しておりますが、その間、昭和二十六年十二月には、衆議院文部委員長となり、教育文化関係の議案等の審議に尽力したかたでもあり、且つ美術に関する造詣も深い者でありますので、昭和二十七年十二月国立近代美術館評議員会評議員に任命
ところがこちらのほうへ伺わせましたら委員長お一人とか何とかいう情報がございまして、そうかといつて、そのときに衆議院文部委員長が若し時間がちよつとでも割けられるなら五分でもいいから一つ出て、衆議院の文部委員会と人事委員会の合同のほうへちよつと入つてくれんか、と申しますことは、昨日その合同委員会があつたのでございますけれども、こちらの参議院のほうへ詰めておりましたものですから、どうしても出席いたせませんで
それは先ず第一点として伺いたい点は産業教育法が制定される場合に、地方財政との関係でいろいろ問題が論議されたわけでございますが、当時まあ提案者であつた当時の衆議院文部委員長長野議員も予算化については、政府與党内でも大体了解がついている、地方財政を圧迫しないように特に六三義務制にしわ寄せしないように十分努力するという誓約があつて、條文にはなつていませんけれども、そういう紳士協定の下にあの産業教育法は通過
提案者代表の長野衆議院文部委員長がお見えになつておりますので、御意見のあるかたは御発言を願います。それから明日もずつと続行いたしまするが、提案者の衆議院の委員長以外にそれぞれ関係する或いは大蔵省、或いは文部省の政府委員をお呼びになる御予定があれば、同時にお申出頂いて、そうして明日のその手配をいたしたいと思います。