2021-05-12 第204回国会 衆議院 経済産業委員会 第12号
だから、最初は蜜月時代です。ハネムーンでございます。いいよいいよと、こうなっていくんですね。そういたしますと、研究が進んでいきますと、大学から企業への主導権の移動が起こります。後期になったら、企業は、ああこれはいいな、市場に出したいなということを思いますので、市場開発と販売が主体となってまいります。大学はバックアップになりますね。
だから、最初は蜜月時代です。ハネムーンでございます。いいよいいよと、こうなっていくんですね。そういたしますと、研究が進んでいきますと、大学から企業への主導権の移動が起こります。後期になったら、企業は、ああこれはいいな、市場に出したいなということを思いますので、市場開発と販売が主体となってまいります。大学はバックアップになりますね。
あるいは、フィナンシャル・タイムズ、日本学術会議スキャンダルが菅政権の蜜月時代を脅かす、非情な黒幕というような表現があったりします。
その橋本・大田蜜月時代というのがございまして、十四回もの総理官邸で大田知事と橋本総理との直接対話による沖縄振興協議会、普天間協議会等が開催されたわけであります。当時の大田県政も、普天間の移設は過渡的措置であると認識しているということを、当時の吉元政策調整監、後の吉元副知事になっていくわけでありますけれども、大田県知事の最も寵愛された部下の一人でありますが、そういう認識を持っていたわけです。
そういう中で、冷戦期間中でございますけれども、基本的にはソ連からの技術をかりまして、特に蜜月時代ですね、そういったものをかりまして、そして中国独自による開発を行ってきた。したがいまして、まず大陸間弾道弾、これはアメリカの本土に届きます大陸間弾道弾をまず持っている。約二十発程度と言われておりますけれども、これを持っております。また、これの新型化を図る努力も行っております。
先ほどのお話にございましたように、蜜月時代が過ぎまして悪くなった途端に三くだり手と、したがってそういったショックを与えるようなお話がございましたが、まさにこのケースはその逆でございまして、環境が変わりそれからまた企業がうまくいかなくなったときに、九〇年の十一月にこれを私どもがそのときにつぶせば、恐らく九十の信用機構と申しますか、金融機関あるいはノンバンクは非常にこれは混乱を来したと思いますし、また国際的
○北澤俊美君 これから蜜月時代が続くわけですよ、そう長くはないが。 高橋氏とは会食等で何回ぐらい席を一緒にされましたですか。
特に貿易摩擦等々では、日米関係というのも一時期のようにロン・ヤスの蜜月時代というのは私たちはなくなってしまったのじゃないかという感を否めないのです。 それをもう一度というお立場かもしれませんが、報ずるところによりますと、九月二十一日の国連総会にぜひ出かけたいとか、そこでまた日米首脳会談をやりたいというようなお気持ちのようですが、そういう日程なのかどうか。
このような長期経済協定を結ぶのは一九五〇年代の中ソ蜜月時代以来のことであり、中ソ関係は新局面を迎えることとなったと思われるわけであります。そして、この長期協定の最終年度の一九九〇年ごろには中ソ貿易は、現在の米中貿易量に匹敵する往復五十億ドル規模に達するのではないだろうかと言われてもいるわけであります。 しかし、新聞等で知る限り、これらの協定の中身がいま一つはっきりしておりません。
国連ができましたときは米ソ蜜月時代でありまして、もう戦争はこんりんざい起こしたくないという非常に強い平和に対する要望があってできたのです。 〔委員長退席、理事長田裕二君着席〕 アメリカはソ連を疑わず、ソ連はアメリカを疑わず、そういう関係でできたと思います。
私たちは、いまの産業用ロボットの役割りというのは、危険な仕事であるとか人のいやがるダーティーワークとか、そういうものを負担をしておりまして、現在では私はいわば人間と産業用ロボットの関係というのは蜜月時代じゃないか、いわば相互補完的な関係にあって、同時に日本の技術革新、産業の発展には大きな貢献をしておる、こういうふうに考えますし、今後ともいま説明をいたしましたようにロボットの経済の活性化に与える影響というものは
○与謝野委員 鈴木新知事が生まれましてから、自治省と東京都は蜜月時代に入ったんだろうと思いますが、鈴木新知事が持っております七月以降の予算というものは一千億しかありませんで、私どもの選挙区でも、いろいろな福祉施設あるいは幼稚園、保育所というところが、一体予算が来るのかどうかということを非常に心配をしているわけでございます。
だから、たとえばいまの文部省と日教組の対立などに比べて、人呼んでその当時を蜜月時代と言ったことは、その当時あなたも文部省にいらっしゃったから御存じのとおりです。 しかし、やがて占領軍の中におけるところの冷戦構造が始まって、朝鮮戦争を契機として日本に再軍備、憲法改正等の動きが出てきて、そして池田・ロバートソン会談等があって、二十七年まで学者大臣であったのが、岡野清豪から政党大臣になった。
仮にそれじゃ日米共同作戦、日米両国の軍事的蜜月時代が終わった場合にはどういうことになる。軍事力というものが、その自主的な防衛力ということで動き始めたときにどういうことになる。アメリカの潜水艦に関するデータは一切お持ちになっておらぬ、そうすると、そのデータで合わないやつはアメリカのやつじゃと、こういう話になるんでしょう。そのデータで確認できないものがアメリカのやっと、こういうことになる。
○木島委員 大臣、さっき私は、奥野さんが日教組と文部省の蜜月時代があったと言ったら驚かれたと申しました。終戦直後であります。そのときは、いま言われる意味の静かな場でした。静かでないとするならば、新しい教育を求めてのみんな一緒になっての騒がしさはあったかもしれませんけれども、蜜月でした。それがなぜこうなったかということを私は聞いておるのです。そういう流れの一こまにスト権があるのです。
奥野文部大臣がおやめになる直前でありましたけれども、奥野さんは御案内のとおり日教組諸悪の根源説をお持ちのようでありましたが、そのときに私は奥野さんに代議士として聞いてもらいたい、かつて文部省と日教組の蜜月時代があったのですよと私が申し上げたら大変驚かれました。
○木島委員 私、前の奥野文部大臣がおやめになる直前でありますが、大臣室でもって、あなた、ずいぶん日教組、日教組と頭に来ているようだけれども、日教組と文部省の蜜月時代があったんですよと言ったんです。そうしたら、えっとおっしゃるんです。
○木島委員 蜜月時代から対立にいったという私はその原点をいま聞いているのですが、その後のあなたの動きをおっしゃったようです。しかしそういうことは、私がいま質問するところの余り重要なものではないのです。たださっきおっしゃるように、対話と協調という場合にどこに土俵をつくるのか、どこに共通の広場をつくるのかという観点からお聞きしておるのです。
○木島委員 その出発、すなわち、いまの政争と言われる日教組と文部省なら文部省、自民党というものは、かつて蜜月時代があったわけですね。ところが、あなたがおっしゃる冷戦、朝鮮戦争、安保、憲法改正、そういうものが出てきた。そこで政党支配、党人文相、それがストレートに来た。そのことが任命制であり、校長の管理職であり、勤評であり、そこから蜜月時代と別れて政争に出発した。