1996-02-23 第136回国会 参議院 農林水産委員会 第2号
従来の繭糸課と蚕業課の二つの課が統合されて蚕糸課一課体制となりました。 そこでまず、こうした変化はやはり時代の流れであるとの見方がありますが、政府はどのように認識しているのか伺いたいのであります。また、こうした厳しい状況の中で我が国蚕糸業をどのように振興していくつもりなのかについてお伺いしたいと思います。
従来の繭糸課と蚕業課の二つの課が統合されて蚕糸課一課体制となりました。 そこでまず、こうした変化はやはり時代の流れであるとの見方がありますが、政府はどのように認識しているのか伺いたいのであります。また、こうした厳しい状況の中で我が国蚕糸業をどのように振興していくつもりなのかについてお伺いしたいと思います。
○北條雋八君 では、次に伺いたいことは、養蚕と農薬の対立は、これは戦後の新農薬が登場いたします前から宿命的な関係にあったわけでありますけれども、長野県の蚕糸課でもって調べた結果によりますと、蚕の農薬被害が急増しました昭和三十四年以来、同県下の被害調査が行なわれまして、それによりますと、蚕が受けた被害と、それから桑が汚染されてそのために桑が使用できなくなったその桑の被害を繭に換算しまして統計で出ておるのですが
この中で二十三の項目について指摘をしたけれども、なお問題としてひっかかっておるのは、統計事務所それから食糧事務所、これらを都道府県に委譲をする問題、あるいはその機構のあり方の問題、あるいは蚕糸局を蚕糸課に格下げをする問題、さらに輸出品検査所は転身をすべきだというような問題等が、まだ残っているようであります。
昔から蚕糸課があって蚕糸局ができた。畜産課があって畜産局ができた。みんなその時代々々の農政の方向に従ってできた。園芸裸から園芸局ができて、私は今ここで断言をしてはばかりませんが、日本の園芸の将来というものは非常に発展をするであろう、また、発展させなければならぬと考えている。それがために局をここに作ったことはちっとも不思議はない。これは当然のことである。
蚕糸課を廃止して、畜産課へつける。それは養連としてはどうせそういう整理をせられるならば、特産課かなんか作って、畑作振興かなんかやってもらいたい、こういう議論がだいぶ出て相当進んでいるらしいんです。そこで、これは両関係者がおられますから、大体これはどっちへつけたら妥当性があるのか、おのおの主張してもらいたい。
○中田吉雄君 県の蚕糸課、蚕業指導所、試験場等では、今申し述べられたようなことですら十分徹底していないので、非常に弱っているのです。ですから、そういうことを一つ至急に技術改良課でおまとめになって、試験場、県の蚕糸課等に至急に、蔓延の激甚地等に御指導願いたいと思うのですが、いかがですか。
なかなか当局としても言いにくいところではありましょうが、末端では、当局の指導のもとに、都道府県の蚕糸課が、一般のこういう業者に対する問題も、やはり団体協約一本ということで、つまり徹底的な指導をする、指導だけならいいけれども、ときには行き過ぎがあるような行動までとる、こういうことではやはり問題が起るので、これらについては十分注意を喚起していただきたいことと、再び独禁法違反というような問題で問題を起しかねない
私が埼玉県の県庁の蚕糸課に行きましたところ、蚕糸課長がそれを出して見せて、こういうことだから困るのですよ、せっかく落ちつくべきところに落ちつきそうな気配が見えましても、大臣がこういうことを言い出すからますます暴落に拍車をかけてしまう、何とか高田さんが行って大蔵大臣にこういうことを言わせないようにしてもらわなければ困る、こういうことを実は聞いておる。
そして各県では県の蚕糸課なりなんなりが、養蚕課の係員が、それぞれ県内割当をどういうふうに各農家の実績を調べて割り付けるか、苦労しておったようですが、各県の県庁当局の方は一生懸命やる、そして上級機関的な農林省が何もやらなかったというのは、ほんとうに真相なんですか。
従いまして、府県別にその割当をいたしまして、あとは県の蚕糸課あるいは主務課と県の養蚕団体とが相談をして末端に割当をする、こういうことになっております。
そうして、あとは、府県別に割当られたものは農林省の会議で各府県の蚕糸課の方へこまかい指示をやって、そうして蚕糸課の方でこまかい割当の方は一切やった、こういうことですね。
ところがそのあとどういうことを蚕糸局並びにこれに連なる県の蚕糸課がやっておるかというと、それには穴があったからだ、従って仲買い業者というものが任意組合でやっておるから、意思の決定というものがうまくできなかった。
当時県の養蚕連合会及び県の蚕糸課、あるいは改良課、あるいは耕作団体の首脳者が一しょになって、そうした被害地を歩きました。ある農協の村におきましては、たとえば新里村におきましては、たびたび起るものですから、事前に桑畠の交換調整をいたしまして、多少の被害は免れたが、調整ができないところでは非常に被害を受けておる。
而も農業協同組合運動が非常に困難な途を歩んでいるときに、蚕糸局なり、蚕糸課というものが特別な意図の下に、自分の直轄するような団体を育成するために農業協同組合の運動を無視して行くというようなやり方ならば、おのずからそこに政府の対策との根本的対立という問題が起きて来ると思うのです。
蚕糸課にしたらどうですか。この蚕糸局なんというのを独立の局に、たつた四つの課しか持たぬのに独立の局にしておいて、統計調査なんというのは課が幾つありますかね。八つあるのです。丁度倍あるのです。これを監が支配するという、実にアンバランスだと私は思うのです。
ところが農業会の当時においては、蚕糸行政というものは、ひつくるめて農業会の蚕糸課でやつていたわけです。いまだにその形態というものは残つておる。徳島のごとくこれが独立しているところもあるし、愛媛のごとく、生産縣の中に包含されているところもあるが、そのままの形態が残つている。
一般農協の方においてこの内容の調査をしようといたしましても、縣の蚕糸課においてはこれを発表しない。それでいろいろな手を通じて本省へ来て、初めてどこの縣にはどれだけ補助金、差額金が流れておるかということもわかつたというほど、非常にえこ偏頗な扱いをしておるということがはつきりしておるのであります。
ところが蚕糸局は、県の蚕糸課を通じてどこまでも境界をつくつて、それによつてこれの分離をして来たのでありますが、これはよく聞いてください、われわれは今日している養蚕業の立場といものを考えるから、ある意味においては部分的には独立すべき可能性りある面もあるのですけれども、しかしある意味においては独立しない可能性のある面も多いわけです。
私のお伺いしているのは、この組合をお作りになるときは、縣の蚕糸課や農林省の御指示もあつたと思いますが、こういう補助金が行くんだからひとつ組合をつくれという御指導であつたと思われる。
現にこういうものが農林省内の蚕糸課の指導のもとに同一のものが扱われていると思う。しかも急速に中央に全國連合会をつくつてそこでは乾繭組合において数千万円、販賣連合会において数千万円の資金が集められている。これば一体何に使うのか。これは後に蚕糸局長にあらためて質問しますが、そういうむりなものが非常にできて來ておる。これは蚕糸課の関係ではない。
また蚕糸課の関係においても、それぞれ重要なものがあり、開拓課の関係では自動車のタイヤとか、その他いろいろな繊維品があるのであります。