2007-04-23 第166回国会 衆議院 教育再生に関する特別委員会 第3号
○伊吹国務大臣 今の先生の例えで言えば、第二次世界大戦に日本が敗れた後、国民は一種の虚脱状態にあったと思いますが、それを経済復興に至るまで担われた方は、戦後の教育を受けられた方ではないんですよ。これは、戦前の教育を受けられた方がリーダーとなって日本を今日ここへ持ってこられたわけですね。
○伊吹国務大臣 今の先生の例えで言えば、第二次世界大戦に日本が敗れた後、国民は一種の虚脱状態にあったと思いますが、それを経済復興に至るまで担われた方は、戦後の教育を受けられた方ではないんですよ。これは、戦前の教育を受けられた方がリーダーとなって日本を今日ここへ持ってこられたわけですね。
現行憲法は、周知のように、我が国がさきの第二次世界大戦で無条件降伏をし、占領中に占領軍から提案をされ、しかも、ほとんどの国民がいわば虚脱状態の中で、みずからの意思、考えを十分に言い尽くせない形で成立したことは、御承知のとおりであります。
私たち教師は、敗戦の虚脱状態から立ち上がり、教育の中心に平和を据えて戦後の教育復興に取り組んでまいりました。教え子を再び戦場に送るまいと誓った教育でありました。時あたかも日本国憲法と教育基本法が相次いで制定され、新生日本の道しるべとして、大きな光と勇気を与えてくれました。
また、住民は虚脱状態にあり、また、緒方貞子前UNHCR代表が記者会見などで述べられていますように、この地域は政治的権力の空白になって非常に不安定性が強いということで、このジェニンに関しても、たとえ小規模でも目に見える緊急救援をすべきではないか、そういうふうに思いましたので、そのように提言申し上げます。
敗戦直後、当時国民は、当然でございますけれども、私もその一人でございますけれども、虚脱状態に陥り、戦争は懲り懲りだという平和主義が国の隅々まで行き渡りました。大変結構なことであったわけでございますが、新憲法の標榜します平和主義に強い国民の支持があったのでございます。
国民の敗戦による虚脱状態に乗じまして、その宣伝は巧妙をきわめたものでありまして、今でも一部国民の中には、その宣伝から抜け切れないで、何だか戦犯者に対して割切れない気持を抱いている者が決して少くないのであります。 戦犯裁判は、正義と人道の名において、今回初めて行われたものであります。しかもそれは、勝つた者が負けた者をさばくという一方的な裁判として行われたのであります。
これは先に行きますと、やはり人間というものはちょっと感情を持っておるわけでございますから、非常に冷えたときにはまた火がつきにくい、一種の虚脱状態を招く、これは日常の業務にも大きな影響を与えるんではないかというふうに、私はその点は非常に懸念しておるものでございます。
○参考人(鈴木博雄君) どうもこれはその中身について申し上げると大変時間がかかると思いますが、私のそこで書きました一番の大きな意味は、敗戦直後、そして占領下という非常に国民がもう何といいますか、虚脱状態で向かうべきところがない。
この前税制調査会の会長代理の先生のお話を伺いましたときに、グリーンカードが消えかかったということで、政府税調全体が一種の虚脱状態に陥ったと、そこまでの表明があったわけです。非常に権威があると言われるところの政府税調が非常に長い間かけて答申をして、しかも法制化された。それが簡単に凍結をされてしまった、これは一体どういうことなんだ。
、グリーンカード制度は、私どもの税制調査会が相当の年限を使いまして検討しました上、総合課税を徹底さすためにはこれ以外にないということを自信を持って答申したわけでございまして、その当時の気持ちから言えば、一歩も退かないという気持ちで答申をしたわけでございますが、これが御指摘のようなことになりましたので、現在はそうではございませんけれども、その当時凍結されるというニュースが伝わりましたときは、一種の虚脱状態
私が本院にはじめて議席を得ました昭和三十三年当時は、わが国民がようやく敗戦の虚脱状態から脱し、廃墟の中から復興に立ちあがった頃でありました。世界の奇蹟と言われた高度経済成長が緒につく前夜であります。
あの敗戦の衝撃と虚脱状態から脱け出したときに、多くの国民の心の中に沸き上がってきたものは、民族の犯した過ちを二度と繰り返してはならないという強い自責の念と、真に平和を願う心情ではなかったのでしょうか。だからこそ、世界に類を見ない平和憲法を国民が進んで受け入れて、三十年余も定着させてきたのではないでしょうか。
あのナポレオンに敗れたときにフィヒテがベルリン大学で言ったように、あれだけフランス革命の前夜において進歩的な見解も持ったが、あの敗れた後における虚脱状態のベルリン大学において、学問の独立と研究の自由なくして、大学の自主性なくして民族の独立は果たし得ない、民族独立なくして一国は成り立たないという、痛烈な大学の学長としての演説をやっております。あんな演説はないです。
まず最初にオリンピックですが、一昨年のモスクワ・オリンピックへの参加をめぐる問題は、多くのスポーツ関係者や選手たちに、一時全くの虚脱状態に陥るほど深刻な打撃を与えています。幸い、柔道の山下選手やマラソンの瀬古選手などはその後復調して、最近では健在ぶりを示しています。
中に、何を考えてどうやって歩んでいるのかという模索の中に新しい芽が出ようとしているし、理論闘争では、議論ではあくまでも一歩も退かぬというような中国が沈黙を守って近代化の道をたどろうとする転換を現実において示そうとしたりするとき、鈴木さんも恐らくはその轍を学んでいていま半分わけのわからないこと言っているんだと思いますけれども、ちゃんとわかっているんだと思いますが、私はこれは第二次世界戦争後における虚脱状態
このむなしさの中に麻薬の習慣からヒッピーが生まれたのであって、その退廃の中から、いまレーガン政権の副大統領のシンパの石油の財閥のせがれが、人間としての虚脱状態のニヒリズムの中から一種の大統領暗殺のヒロイックなやっぱり西部劇に出てくるようなテロリストとなって出てくる。こわいのは、ほかじゃない、自分の中に生まれているウジです。
無条件降伏で、占領政策が実施され、一千万の餓死者が出るとも言われ、物心両面にわたる国民の虚脱状態が続いたことです。 連合国最高司令部の矢継ぎ早の厳しい政策は各方面に及び、祖国再建を願う先輩政治家の骨身を削る苦悩は続き、政党の離合集散、合同も行われたことであります。日本は復興に何年かかるだろうか、いつ独立するだろうかが最大の政治課題でありました。
また、その敗戦で虚脱状態になった国民が平和国家で一遍日本を再建しようということが新しいエネルギーを国民に与えたのである、この初心を日本は忘れては私はならぬと思うのであります。再び日本は核兵器を開発しては、私はならぬと思っております。
われわれの虚脱状態なり、涙を流して自分の不明をわびるというような、そういうあれがありましたか。あなたはエリート官僚として別な道にどんどん歩いていったでしょう。私はそういう意味であなたにお伺いしたいのです。この政治的な変化というようなものをあなたはどういうふうに考えているのか。
それに対してわが国におきましては、先ほど申し上げましたように、結局焦点を結ばないで、いつの間にかエネルギーが退化してしまったのか、私が見る限りにおきましては、大学人は、われわれの同僚も含めまして自責の念にたえませんが、虚脱状態におちいってしまっているような気がするわけでございます。